![]() | 音のない記憶 ろうあの写真家 井上孝治 (角川ソフィア文庫)黒岩 比佐子角川学芸出版このアイテムの詳細を見る |
【音のない記憶】生き方そのものが写真的
「生き方そのものが写真的だった」。
黒岩比佐子・著の文庫版「音のない記憶 ろうあの写真家 井上孝治」には、こんな帯がつけられていた。
読み終わって、この帯の言葉の意味深さを感じている。
この本は、ろうあ者で、写真家の井上孝治さんを追ったルポルタージュだ。
井上さんは、幼い頃に聴覚を失い、言葉も話せない、ろうあ者。
つまり、音のない世界を生きた。
井上さんが育った時代は、障害者に対する差別が今よりも強い時代で、学校では手話が禁止されていた。
しかし、井上家が裕福だったこともあり、孝治さんはのびのびと育ったようだ。孝治さんは、父親から、一般的には高級品だったカメラを与えられ、写真に興味を持っていく。
井上孝治さんが、写真家として注目されるようになったのは、晩年のこと。
福岡のデパートが「思い出の街」というテーマで広告を作ることになり、その広告に井上さんが撮影した写真が採用されたためだった。広告の制作担当者は、「思い出の街」というテーマに適した写真を一般募集し、さまざまな手を尽くして探していたが、思い通りの写真はなかなか見つからなかった。縁あって、井上さんの写真が見つかり、それは誰もが驚くできばえだった。
井上孝治さんの写真を見た人は、どこか懐かしい風景にであった気もちになる。
広告は、大きな反響があり、そして、「思い出の街」の写真展が開催され、写真集も出版された。
著者の黒岩さんは、井上孝治さんが亡くなった後、あらためて、井上さんの生涯を追う取材を開始したそうだ。
生前、井上さんにインタビューをした経験があったが、その時には、聴覚障害者とのコミュニケーションの難しさを感じていた。井上さんが亡くなり、生前にもう少し取材できていたらという悔しい思いがあったにちがいない。
黒岩さんは、井上さんの家族、同級生、ろう者の知人・友人、写真を通じて関わった人々などを丹念に探し、話を聞いている。写真に関する膨大な資料も探し出し、井上さんとのつながりを見つけている。
黒岩さんの労力、努力、情熱が相当なものだったことが強く感じられる本だ。
大変な作業があったからこそ、すでに故人となっている井上孝治さんの人柄や、彼がカメラを通して見ていたものを描き出すことができたのだろう。