![]() | コーダの世界―手話の文化と声の文化 (シリーズケアをひらく) |
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医学書院 |
「コーダ(CODA;Children of Deaf Adults)」とは、「聞こえない親を持つ、聞こえる子ども」を意味する言葉です。
本書はコーダのさまざまな体験を集めて、その世界を描きだしています。
本書を読んで思ったのは、
「障がい」は、関係のなかにある。
ということです。
「障がい」のある人と、その家族・親せきとの関係。
地域の人や職場の人との関係。
もっと広くいえば、社会のなかにある「障がい」に対する意識との関係が、「障がい」のある人やその家族に影響するように思いました。
著者は、
「コーダのざっくばらんな語りからわかるのは、実は親が聞こえないということよりも、むしろ親が聞こえないことに対してまわりの人が否定的な見方をすることのほうが、コーダの負担になっているという点だ。つまり、特別視、同情、賞賛といった周囲の目や行動がコーダにプレッシャーをかけているのである」
と指摘しています。
また、コーダは、周囲の人から「あなたががんばるのよ」「たいへんね」などと声を掛けられますが、
それに対して、「不思議な気がした。ズレてるな、とよく違和感を覚えた。自分にとっては、親が“ろう”である環境は“普通”のことで、特に大変だとか、みじめだとか感じていなかったからだと思う」と違和感を覚えたり,
「余計なお世話。両親がろうということに大変さはあまり感じていなかったけど、そういうふうに言われることに嫌悪感を抱いていた」などと反発や不快感、悲しみを感じる人が多いそうです。
「親が、聞こえないから」といわれないように、学校で常に良い成績をとることを心がけたりする人もあり、コーダは、周囲の人から「親が聞こえないから」といわれることはあっても、それを親に伝えたりはしない人が多いといいます。
「聞こえない親」を守ろうとして、子どもでありながら、背伸びをして頑張ってしまうのでしょう。
「親」と「子」の関係の間に、「聞こえない」と「聞こえる」の違いがあり、そこに周囲の人のまなざしが影響するといえます。
私は、ろう映画の上映会に行ったとき、会場に集まった人たちの大多数が手話で話をしているのを目の当たりにしたことがあります。手話ができない私は、「手話で話す人が大多数の社会だったら、私が“障がい者”なのかもしれない」と思いました。
本書を通して、「コーダの世界」を垣間見ることは、自分自身が「障がい」のある人やその家族に対して、どのようなまなざしを注いでいるのかを考える機会になりそうです。
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