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後世への最大遺物・デンマルク国の話 (岩波文庫) |
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岩波書店 |
本棚のお掃除をしていたら、奥のほうから岩波文庫の「後世への最大遺物 デンマルク国の話」(内村鑑三・著)が出てきました。
大変薄い本のため、普段なら見逃してしまいそうですが、「後世への最大遺物」というタイトルが、大震災を受けた後の今、とても気になってきて、読み直すことにしました。
「後世への最大遺物」は、明治27年の夏期学校での、内村鑑三氏の講演を収めたものです。
キリスト教信者(クリスチャン)の立場では、「この世の中に名を遺そう」という考え方は、ある意味では持ってはいけないものだが、しかし、ある意味からはそれほど悪い考え方ではないという指摘から始まり、内村氏は次のように話しています。
『しかしながら私にここに一つの希望がある。(中略)すなわち私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずに死んでしまいたくない、との希望が起こってくる。ドウゾ私は死んでからただに天国に往くばかりでなく、私はここに一つの何かを遺して往きたい。(中略)ただ、私がドレほどこの地球を愛し、ドレだけこの世界を愛し、ドレだけ私の同胞を思ったかという記念物をこの世に置いて往きたいのである。すなわち英語でいうMemento(メメント)を残したいのである。こういう考えは美しいのであります』
そして、「一体、後世に何を遺すか?」と問いについて、「お金」?「事業」?それとも「思想」?と講演が展開されています。
お金も事業も思想も価値あるものですが、最大の遺物は、これらではないというのが結論になっています。
「自分が生きている間に、何をするか?何を遺すか?」は、どんな人でも、人生のなかで一度や二度は考える問いだと思います。
答えを明確に出せるときもあれば、「なんだかよく分からないなぁ」と終わってしまうときもありそうです。
考えたときの年齢や、そのときの状況によって、答えが変わるかもしれません。
私が、この本をはじめて読んだのは20歳のとき。
この本は、大学の先輩が卒業されるときに、卒業お祝いのお返しのようなかたちで頂いたものでした。
当時は、「内村鑑三?って、日本史の授業で最後のほうにちらっと出てきた人…」という記憶しかなかった私。読んでも、その時は、先輩は、私に「志を持て」って言いたかったかなぁ…と考えた程度です。
今も、それほど深く理解しているわけではありませんが、「後世への最大遺物」を読むと、著者から投げられる「後世に何を遺すか?」という問いに、読者自身が自然に向き合うことになるので、人生の節目節目で読み直したい気がしています。
「後世への最大遺物」の講演の締めくくり。
『己の信ずることを実行するものが真面目な信者です。ただただ壮言大語することは誰にでもできます』
『われわれに後世に遺すものは何もなくとも、われわれに後世の人にこれぞというて覚えられるものはなにもなくとも、アノ人はこの世に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺していきたいと思います』
私はこの箇所は、結構、好き。