「プロフェッショナル」=プロとは?
しばらく前まで、「プロ」とは、「その分野で、お金を稼げること」だと思っていました。例えば、プロのカメラマンは、写真を撮影することでお金を稼ぐ。みたいな感じです。
でも、今は、それは少し違うかな。
と思っています。
お金を稼ぐことはプロの一つの要素かもしれませんが、
それだけでは「プロ」とはいえない。
と思うからです。
「世界への道 義足のハイジャンパー 鈴木徹の生き様」(久保弘毅・著)で、鈴木徹選手のコメントとして、下記のような記載がありました。北京パラリンピックの頃に出版された本なのですが、私が注目した2カ所を、引用させていただきます。
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「障害者スポーツがリハビリやボランティアとしか見られないのは当然ですかね。
まだ、本当のアスリートが少ないから。
でも周りがどう見るかよりもやっている当人がプロフェッショナル的な考えとか行動を示していけばいいいのかな。
はじめのうちはなかなか浸透しないでしょうけど、ちょっとずつ、周りが認めてくれるようになったら変わっていくのかな。
障害者スポーツには、元々、そういったプロの基盤がないんで、自分たちでこれから作っていかないといけない」
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飛躍のきっかけを、鈴木はこう語る。
「今思えば、自分にベースがなかったんですよ。何も土台がない所に、毎日、新しい物を乗せようとするから、結局、何も残らなかった。
義足をいろいろと変えたのもそうです。何か新しい力を入れれば、結果が出るんじゃないかという単なる願望にすぎなかったんです。
普通の練習にしても跳躍練習や筋トレといった派手な練習に気を取られて、見せかけの充実感に惑わされていました。
でも、福間先生にベースを教わってからは、考え方が変わりました。
新しい物に目移りするのではなく、地道な練習の重要性に気づきました。
地味な練習を繰り返す中での自分なりの試行錯誤、これがベースになってくるんです。
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この本を読みながら、「プロ」って何だろう?
と改めて考えました。
その分野において、「プロ」であるためには、
お金を頂けるようなパフォーマンスをすることは大事だと思います。
でも、お金を頂けるだけでは、本当の「プロ」とはいえず、
プロの入り口に入ったところなのかもしれません。
本当の「プロ」とは、その分野でさらにステップアップしていくために、
地道な努力を重ねることができる人。
その分野を極めていくうえで、自分の足りないところに気がつくことが多いため、謙虚である人。
といえるのかもしれません。
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