![]() |
だれのための仕事――労働vs余暇を超えて (講談社学術文庫) |
クリエーター情報なし | |
講談社 |
「忙しい」という漢字は、
「心」を「亡くす」と書くんです。
と、教えていただきました。
心身がすり減るような忙しさは、避けたほうがいいはずです。
でも、日本人の傾向なのか、「忙しい、忙しい」といいながら、
その忙しさから離れられない傾向があるのかもしれません。
鷲田清一さんのエッセイ「誰のための仕事」の中に、
次のような記載がありました。(一部改変)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
予定がいっぱいでふさがっていること、
つまり、多忙(busyness)が、
仕事や商売、事業という意味でのビジネス(business)のひとつの本質である。
スケジュール表の埋められていない箇所を一つひとつ埋めていくことで、
わたしたちの心は落ち着いていく。
忙しくなることがわかっていても、ぎりぎりまで隙間を埋めていくのである。
そうすることで安心するのである。
スケジュールが埋まっていることを、
多くのひとは、他人に認知され、他人に必要とされていることと勘違いしている。
いくら空白を埋めても、不安は消えない。
いつ、仕事が途切れ、空白ができるかわからないからである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
少し整理してみると、
日本人は、「忙しい」ことで、不安を埋めている。
不安の裏には、「他人に認知されたい」「必要とされたい」という思いがある。
しかし、「忙しい」ことと、「他人に認知される」「他人に必要とされる」こととは
つながっているわけではないので、結局、不安は消えない。
ということでしょうか。
本当に「これがしたい」「これを成し遂げたい」という思いに基づいて
行動しているときは、
忙しくても、「心」を「亡くす」ことはないと思います。
忙しくて、ちょっと疲れてしまったときは、
「なぜ、忙しいのか?」を、もう一度、確認して、
「心」を取り戻す作業をしてみるとよいのかもしれません。