会社を辞めて、都会からどこかに田舎に移住して、
畑を耕したり、お花つくったり、のんびり生活してみたいと思うことがあります。
もし、そういう決断をしたら、どうだろう?と想像を拡げてみると、
でも、やっぱり、私は、どこに居ても何かを書いている気がします。
出版社に勤務して、「書く」という仕事を続けてきて、
会社を辞めても、「書く」ことを辞めることはないのだろうと思うんです。
現在は、「書く」ということが仕事になっていて、
「書く」という手段で生計を立てているのですが、
例えば転職して、生計を立てるための仕事が「書く」ことでなくなっても、
おそらく、「書く」という行為は続けるでしょう。
私の場合は、たまたま「書く」ことを仕事にすることができ、
それで生計を立てられているのだから、まぁ、幸せだ。と言えるのかもしれません。
「文学界」2018年12月号のテーマは、「書くことを「仕事」にする」です。
寄稿の一つ、東浩紀さんの「職業としての「批評」」を読んでいて、
①「書く」ということ、②経済的に成功すること(生計を立てること)
①と②は、必ずしもつながらなくてもよいのだと、自分の中で整理ができました。
職業として作家を目指すのなら、
「書く」ということと、経済的に成功すること(生計を立てること)がつながる状態を
目指すことになります。
私自身、「書く」ことを仕事にしたいと思って、実際に仕事にしているわけですが、
私が目指しているのは、「職業としての作家」ではないかもしれない気がするんです。
東さんは、「職業としての「批評」」の中で、
そもそも書くという仕事で経済的に成功することだけが目標なら、必要なのは、「いっぱい連載を持って書評もどんどん書いて、どんな依頼も断らずに現代の世の中を貪欲にウォッチ」みたいなことに付きます。
けれども、そうやってトレンドをつねに追いつつそれに合わせて文章を書くというのは、資本主義の中で商品開発しつづけるのと同じです。
言い換えれば、哲学者や批評家というのは、たんにおもしろい文章=商品を書けばよいのではないのです。
と書かれています。
私自身が取り組みたいことは、トレンドを追いつつ、それに合わせて商品開発し続けることとはちょっと違う気がするんです。
たくさんの人には売れないかもしれないけれど、
丁寧に作り上げた、手仕事みたいな「書く」ことをしたい。
ただ、美術品や伝統工芸とは異なり、文章という商品は、仮にそれが手仕事みたいに丁寧につくったものであったものであっても、書籍や記事という形では、それほど高い価格では売れません。
書籍や記事という形をつくることが、ゴールじゃない。
生きていくには、経済的に成功すること(生計を立てること)は必要。
それを踏まえて、「書く」ということのゴールを、どう設定するか。
改めて、自分のビジョンをつくってみよう。
文學界 2018年12月号
#東浩紀#文学界#職業としての「批評」