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勝つために、坊主頭は必要か?

2023-08-13 13:12:28 | Weblog

 

夏の甲子園、全国高等学校野球選手権大会で、「坊主頭でないチーム」が注目を集めている。 強豪校がひしめく神奈川県の代表となった慶應義塾高校で、チームを率いる監督は「髪型自由」「長時間練習なし」という方針だという。

甲子園に出場する選手たちの多くの髪型は、坊主頭。 強豪校では、部員に坊主頭を強制しているところもあるそうだ。 強制はしていなくても、髪型に関する同調圧力があり、部員それぞれが髪型を自由に選べない環境があるのだろう。

野球の試合で勝つために、必要なものは何か?

選手それぞれの力を高め、一つのチームとしてまとめるために、必要なものは何か?

坊主頭が必要なのか?

「坊主でないチーム」の甲子園出場が注目されていることは、野球部内の「慣習」「規則」について、「何のためにあるのか?」を考え直すきっかけとなるに違いない。

「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」(鈴木忠平・著、文芸春秋)は、プロ野球の中日の監督を2004年から2011年まで務め、リーグ優勝4回や日本一1回の成績を残した落合監督について書かれたノンフィクションだ。

川崎憲次郎、森野将彦、福留孝介など、当時、中日に所属していた選手を取り上げ、落合が選手それぞれとどのような距離感で、どのような関わりがあったかを書いている。著者自身が落合に接したり、交わした言葉から感じていたことなども交えて書いている。 メディアを通して伝えられる落合の言動は、見聞きした人を惹きつけるよりは、見聞きした人から嫌われることが多いように思う。

しかし、この本を読むと、チームを優勝に導くという監督の役割、仕事を追求した結果が「嫌われる」ことだったのかもしれないと思えてくる。 野球部の上下関係に嫌気がさして練習にいかなかったことなど、プロ野球選手になるまでのエピソードを知ると、落合は納得いかないことには徹底的に反発する強い意思の持ち主だといえる。

その強い意思があったからこそ、もともと持っていた自分の才能を開花させることができたのかもしれないし、 落合の才能に気が付き、その性格を知って、彼の才能を発揮できる場をつくってくれた人がいたのだと思う。そういう人と出会えた運もあっただろう。

監督としての落合はただ、それまで自分のやり方を貫いただけで、 「勝つために必要なこと」を追求した結果、チームは強くなり、落合個人は「嫌われた」といえるのかもしれない。

「好かれる」ために何かすることは、「勝つために必要ではない」という考えだったのかもしれない。

Amazon 「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」

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