最寄りの図書館に設置されている新刊コーナーの棚で、1冊の本に目が止まった。
『「ふつう」の私たちが、誰かの人権を奪うとき 声なき声に耳を傾ける30の物語』(チェ・ウンスク・著、金みんじょん・訳)。
タイトルが、なんだか重い。
人権を奪うこと、人権を侵害することは、差別や偏見により不当な扱いをすることだ。
そんな大変なことを、「ふつう」の人がやらかしてしまう。
おそらく故意ではなく、悪気はなく、無意識に、誰かを深く傷つけている。そんな場面や事例を挙げている本だろうか。
この本を手に取ったら、自分自身の過去の言動に、「あの時の私の一言は、あの人を傷つけていたのかもしれない」などと思い当たることが出てくるのかもしれない。
自分の落ち度に気が付いて後悔したり、反省することになるなら、この本を読むのはちょっと辛い。
そんなことをあれこれ考えた末、
気になったのだから、とりあえず目を通してみようと借りることにした。
著者は、韓国の国家人権委員会の調査官。
人権侵害の加害者、被害者、その家族などに会って話を聞く中で、感じたことや気が付いたことをまとめたのが、この本だ。
人権委員会の調査官は、 加害者を絶対的な悪人とみなすわけではない。
被害者に全面的に同情するわけでもない。加害者、被害者どちらに対しても偏りなく、フラットな姿勢で接することを心がけている印象を受けた。
特に興味深かったのは、加害者も、被害者も「嘘」をつくことがあり、調査官である著者が仕事を進めていく中で、騙されていたことに気がつくことがあるという点だ。
職業や過去の経歴を偽っていたり、人権侵害だと訴えている行為そのものが実際に起こったことだと考えにくいものだったり、さまざまな「嘘」がある。調べればすぐにばれてしまう「嘘」もあれば、「嘘」だと自覚されていないものもある。
著者は、「嘘」=悪事ととらえるのではなく、「嘘」をつかなければいけなかった理由や背景に思いをはせている。
「嘘」の内容は、「そうあってほしい」という夢や願望の現れだったのかもしれない。やり場のない怒りや悲しみが心の中から噴出した結果、「嘘」になってしまったのかもしれない。
事実であることを整理して相手に示し、相手から出てきた言葉にまた耳を傾けている。
加害者も人であり、被害者も人だ。
どちらも、人としての尊厳がある。
その前提を踏まえて、人の弱さを見つめる著者の視線は温かく、優しい。
人権問題を解決することについて、著者は次のように書いている
「たとえるなら、数学問題を解くのではなく、小説や詩を読むことにずっと近いと言えるだろう」
多様なとらえ方や解釈があることを前提に、問題解決の答えを探していくということだろうか。
人と人の関係から発生した問題に直面した時には、私も、このことを思い出したい。
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