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【ゆっくり、いそげ2 大きなシステムと小さなファンタジー】「自分のやりたいことが見つからない」という人に

2025-03-10 22:37:28 | Weblog

「自分のやりたいことが見つからない」。
知人から、そんな相談を受けた。
 
結婚して、子育てをしっかりやっている。
子どもが少し大きくなってきたので、パートタイムで仕事を始めた。
仕事も家庭も小さな悩みはいろいろあるけれど、大きな問題には直面していない。
しかし、趣味を楽しんでいたり、地域の活動を熱心にしている人の話を見聞きすると、心の中がざわざわするという。
「自分のやりたいことって、何だろう?」と考えてみると、
「これだ!」というものが見つからない。
何かが足りない。そんな気持ちになってしまう。
そんな相談だった。

どう答えたらよいのか、なかなか難しい。
とりあえず、 「今のままで、ある程度、幸せなのでは?」と返してみた。

仕事や家庭に悩みがあって、趣味をしている時間だけ、それらを忘れてリフレッシュできるという人もいる。
自分が没頭できるような特別な何かを見つけようと考えると、ハードルが上がって見つけにくくなるのかもしれない。
とりあえず、毎日の中で、これをやっている時は楽しいと思えるものに注目してみたら、どうだろう。
そんな提案をしてみたけれど、
「自分のやりたいことが見つからない」という相手は、
「そうですねぇ」と口にしながら、腑に落ちてはいない様子だった。
 
影山知明さんの著書「ゆっくり、いそげ2 大きなシステムと小さなファンタジー」(クルミド出版)に、

「自分のやりたいこと」について書かれた一節があった。
 
影山さんは、「自分のやりたいこと」を「beとdoとhave」で整理して説明している。

人は幼い頃、自分の人生の目的地を動詞のhaveで考える。
あのぬいぐるみが欲しい、新しいスマホが欲しい、かわいい彼女が欲しいと。
成人し、就職活動をするような段階になっても、意外にこうした欲求から脱皮できないものだ。固有名詞を出して恐縮だけど「トヨタ自動車に就職したい」「ソニーに」「伊藤忠商事に」という就職活動は、そこで何をするか(do)よりも、その会社のブランドが欲しい、その会社の名刺が欲しいというレベルにとどまっているように思えるのだ。あるいは、より年収が高いところに勤めたいという欲求。これは端的に言えば、「お金が欲しい」ということなわけで、これらを含めて、haveの欲求といえる。
 
そこから少し大人になると、人生の目的地を動詞のdoで考えるようになる。
「発展途上国に行って、学校をつくりたい」「ゲーム会社に入って、大ヒットゲームをつくりたい」(中略)など。

 

影山さんは、
すぐに到達できない目的地は「夢」とされ、そこへ向かって努力と研鑽を続けていくことは意味があるとする一方で、このアプローチは度が過ぎると、未来のために今が手段化してしまうと指摘する。
さらに「目標達成するまでの自分を常に「未達」と評価することになり、精神的な辛さもある。つまり、人生を不足と未達成の連続にしてしまいかねない」と説明する。

 
そこで、be動詞だ。
「何を持ちたいか」「何をしたいか」ではなく、「どうありたいか」。
これであれば、そこに置く言葉にもよるけれど、「いつか、どこかで」ではなく、「今、ここで」それを達成することができる。そして「今を生きる」ことを目的として、人生を達成と充足の連続として生きることができるようになる。

 
影山さんの3つの「こうありたい」は
・目の前の人を大事にする自分でありたい
・自分にウソをつかない自分でありたい
・まわりに感謝し、感謝される自分でありたい
だそうだ。beの充足は、doの挑戦への前向きな前提条件にもなるという。
 
「自分のやりたいことが、見つからない」という人に、アドバイスをするなら、
「どうありたいか」を考えてみることなのかもしれない。
「どうありたいか」を明確にすると、毎日どんなふうに過ごしたらよいか、家族や友達にどう接するのがよいかが見えてきて、「こんなことをしたい」というdoも生まれてきそうだ。
 
私たちは日頃、haveやdoに目を奪われがちなのかもしれない。
自分自身のbeを忘れないように、心にとめておきたい。

 

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