昨日で、東日本大震災から一週間が経ちました。被災地から遠い、福岡に住んでいても力が入りません。
できることもなく、募金と献血なのかなあと思いつつ、それでも街頭で募金に立つ人に何となく違和感を感じています。
阪神・淡路の地震の時は、確かに支援方法が分からず街頭の募金は、そばを通るだけでも被災しなかった自分たちが何かしなければという気持ちを起こさせてくれ、大きな意味があったと思います。
でもあの時の教訓を活かし、いろんなことが整って、みんなの意識も変わった。
募金にしても口座振込という形がありますし、何かしたいと思う小売店にはレジの横に募金箱が置かれています。
その中であえて街頭に立つより、その時間、経済活動に携わった方がとか、みんな他のところでやってるから集まらないだろうなとか、募金箱を開けて送る作業に手間がかかるけどとか・・と思ったりして。
所属する団体名を大きく掲げて、私たちやってますっていうのもなあ・・感傷的な行動をするより、合理的な行動で効果的な支援。
さて、募金の話が本題ではなくて・・力が入らない自分の家に届いたのが日経ビジネス 2011年3月21日号
「3.11 日本最大の試練」
発売日の関係もあるし、まだ取材できない地域もあるだろうから記事の踏み込みは今一歩なのかもしれませんが、やはりプロだなあと・・(当たり前だけど)。
ブログは現実に向き合えなければ休めばいいけれど、定期刊行しているものはそうはいかない。
個人が被災地の方の気持ちを推し量れず、沈黙していても、メディアはそうはいかない。
最大限の配慮をしつつ、伝えなければならないことを伝える。
日頃偉そうなことを書いていても結局それは平時だから言えることで、ときには非難を受けることを覚悟できているかというとできていないなあと・・
落ち込んだままです。これじゃいかんです!!
できることもなく、募金と献血なのかなあと思いつつ、それでも街頭で募金に立つ人に何となく違和感を感じています。
阪神・淡路の地震の時は、確かに支援方法が分からず街頭の募金は、そばを通るだけでも被災しなかった自分たちが何かしなければという気持ちを起こさせてくれ、大きな意味があったと思います。
でもあの時の教訓を活かし、いろんなことが整って、みんなの意識も変わった。
募金にしても口座振込という形がありますし、何かしたいと思う小売店にはレジの横に募金箱が置かれています。
その中であえて街頭に立つより、その時間、経済活動に携わった方がとか、みんな他のところでやってるから集まらないだろうなとか、募金箱を開けて送る作業に手間がかかるけどとか・・と思ったりして。
所属する団体名を大きく掲げて、私たちやってますっていうのもなあ・・感傷的な行動をするより、合理的な行動で効果的な支援。
さて、募金の話が本題ではなくて・・力が入らない自分の家に届いたのが日経ビジネス 2011年3月21日号
「3.11 日本最大の試練」
発売日の関係もあるし、まだ取材できない地域もあるだろうから記事の踏み込みは今一歩なのかもしれませんが、やはりプロだなあと・・(当たり前だけど)。
ブログは現実に向き合えなければ休めばいいけれど、定期刊行しているものはそうはいかない。
個人が被災地の方の気持ちを推し量れず、沈黙していても、メディアはそうはいかない。
最大限の配慮をしつつ、伝えなければならないことを伝える。
日頃偉そうなことを書いていても結局それは平時だから言えることで、ときには非難を受けることを覚悟できているかというとできていないなあと・・
落ち込んだままです。これじゃいかんです!!