夢七雑録

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42.代々木八幡に詣でる記

2009-07-05 10:50:57 | 江戸近郊の旅・嘉陵紀行
 天保二年八月八日(1831年9月13日)、代々木八幡宮に詣でる。四谷新町(角筈新町。新宿区西新宿)の天満宮(箒銀杏の下の祠。渋谷区代々木3)のわきより上水に架けた橋(天神橋)を渡り、少し下って制札のある四辻(参宮橋付近)に出る。八幡もうでの時は、ここを北(左)に行き井伊家屋敷(明治神宮付近)の横を通り千駄ヶ谷八幡(鳩森八幡)への道をたどったが、今回は南(右)に行き、木立の茂る道を抜けて少し下って、田圃が見渡せる場所に出る。ここから、農夫しか通らない山際の畦道を行く。現在の道で言えば、小田急の線路に沿って南に行くということになろうか。さらに行くと山道になり、けもの道を登って行く。少し離れた所に人家が見えたが、夕餉の煙がもの寂しい。木立の中を上がれば代々木八幡宮(写真。渋谷区代々木5)の入口に出る。向かいに鳥居があり、傍らに別当の坊の門がある。御社は茅葺で西に向き、右に神楽殿がある。拝殿には柘植清左衛門他の弓射の額や歌の額などがあるが、すでに黄昏で老眼では読み難い。ここを出て別当寺の福泉寺(渋谷区代々木5)の坊の門から入ると、老僧ともう一人が、碁を囲んでいるだけ。その他には誰もいない。客殿や庫裏があり、御堂もあった。あちこち見て歩き、南の門から外に出る。

 門を出て石段を下ると、西から東に一本の馬道がある。ここを東に少し行き用水(河骨川か。現在は暗渠)を渡る。この先、嘉陵は馬道を歩かずに、曲がりくねった田圃の畦道を歩き、井伊家屋敷南側の代々木田圃が見渡せる場所に出ている。嘉陵の略図からすると、代々木田圃とは渋谷川沿いの原宿村・隠田村(渋谷区神宮前3~5)の田圃をさしているようである。ここまでの距離は3km余り。かなりの回り道をしたことになる。このさき、千駄ヶ谷八幡への道を分け、北に少し行って東に折れ、四谷上水の切落しの流れ(渋谷川)に架かる、下の水車橋を渡る。この辺りで、明かりが点るのを見る。橋の近くの水車を眺めながら少し上がり、松平(浅野)近江守の隠田屋敷(港区北青山3)を裏手から回り、原宿に出る。ここから青山通り五十人町を過ぎ、家に帰ったのは、午後6時頃であった。現在の道で言えば、代々木八幡から、代々木公園の中を廻り歩き、神宮橋から竹下通りの中ほどに出て、明治通りの竹下口から原宿通りを通り、旧渋谷川歩道を横切って、次の道を左に行き、十字路を右に折れて妙円寺の前を過ぎ、キラー通りから青山通りに出て、番町の家に帰るということになるだろう。

 今日歩いた道は本道ではなく、裏手の小道であったが、途中には手折る人も居ないまま、萩、薄、藤ばかま等の花が咲いていたという。地元の人の話では、新町から荻久保、地蔵窪を経て、八幡宮の西の口に出るのが本来の道だといい、また、江戸へ帰るには恩田(隠田)から青山、赤坂をさして行く道が近く、分かりやすいということであった。
 
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