夢七雑録

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神田川支流・善福寺川(1)

2011-05-03 14:11:09 | 神田川と支流

善福寺川(1)

  ある日、ふと思い立って、善福寺池に行ってみた。日は少し傾いているが、池はまだ明るい。散歩する人。座っている人。走っている人。鳥を見ている人。池はただ静かである。上の池はボート池の筈だが、今日は開店休業日らしい。池には、カルガモ、オナガガモ、キンクロハジロ等々、おなじみの鳥たちが来ている。何年か前、コハクチョウが飛来して、話題になったことがあったが、その後は話を聞かない。リピーターになるほどの場所ではなかったのだろう。その代わり、バリケンという顔が赤くて羽が白と黒の奇妙な鳥が棲みついている。食肉用として輸入したものが逃げ出して、あちこちに出没するようになったらしい。確か、秋津の近くにもバリケンの飼育場があったと思うが、今どうなっているかは知らない。

 池の西側に、遅野井に因む小さな滝がある。遅野井というのは、この辺りの古い地名で、源頼朝の軍勢がこの地を通った時、喉が渇いたので井戸を掘ったが、水が湧き出すのが遅かったことから、遅野井という地名が生まれたという言い伝えがある。こじつけのような話だが、地名の由来話にはよくあることなのだろう。池の方を見ると、小島があって市杵島神社の祠がある。早い話が弁天様だが、この神社も頼朝が創建したということになっている。この小島、橋を架けた跡はあるが、今は何故か橋が無い。

 昔の善福寺池は、葦の根が浮き上がるほどの湧水量だったそうだが、現在は地下水に頼らないと水位を維持できないらしい。遅野井の滝も地下水汲み上げなのだろう。それでも、この辺りの地下水脈は未だ健在なようで、善福寺池の近くの杉並浄水所は、今でも地下水を利用しているのだという。東京の水道がカルキ臭かった頃、善福寺池の近くの水道は湧水を使用しているから美味しいのだという話を聞いた事があるが、この杉並浄水所が話のもとであったらしい。この浄水所の前身は、昭和初期に地下水による水道を近隣に供給していた井荻町水道だそうである。地下水を利用する浄水所は、23区内に三か所あったらしいが、今でも地下水を利用しているのは、この浄水所だけになっているという。もっとも、今は、この浄水所から上井草給水所に送って他の水と混ぜて供給しているらしいのだが。
 
 上の池と下の池は水路でつながっている。水路が金網に囲まれているのは、ホタルでも飼育しているからだろうか。その先は、広場の下を暗渠で通り抜けて下の池に出ている。下の池は自然のままのように見えるが、意図的にそうしたのかも知れない。池から流れ落ちた水は、美濃山橋の下を潜って、善福寺川になるのだが、池の水だけでは不足らしく、暗渠の中からもう一つの水路が合流している。千川上水が青梅街道と交差する地点で7割ほどの水が分かれ、青梅街道に沿った暗渠を流れ、稲荷神社の先の角を折れ、善福寺横の道を流れているという話を聞いた事があるが、多分、この水路がそうなのだろう。

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