夢七雑録

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谷保天満宮

2018-02-21 19:02:10 | 寺社巡拝

谷保駅から関東三天神の一社である谷保天満宮に行く。甲州街道を渡って鳥居をくぐれば天満宮の社叢の内となる。ここの社叢も、杉の大木が枯死するなど樹木の種類は昔のままではないらしいが、全体として鎮守の森の姿をとどめていることから、都の天然記念物の指定を受けている。谷保天満宮の社地は立川段丘と青柳段丘の合わさる位置にあり、南側が低くなっている。古い甲州街道は南側の低地を通っていたが、江戸時代に天満宮の北側を通るように変更したため、甲州街道から入る参道は、神社では珍しい下り坂になっている。

参道を進み石段を下ると、数羽の鶏が集まっているのが見えた。神社の鶏ではなく、持ち込まれた鶏が放し飼い状態になっているらしい。ところで、石段のある辺りは立川崖線に相当するようなので、石段の下にある水路は崖線の湧水を集めて流れているという事になる。谷保天満宮には、このほかに常盤の清水があり、湧水が境内の西側を流れている。

谷保天満宮の社宝には、鎌倉時代の作と考えられている木造の獅子狛犬一対と、建治元年(1275)・藤原経朝の銘のある天満宮の扁額があり、何れも重要文化財に指定されている。本殿は寛延2年(1749)の建築、拝殿は嘉永4年頃(1851)の建築で、何れも市指定の有形文化財(建築)になっている。

 江戸名所図会の谷保天神社の挿絵には、段丘に上がる石段と観音堂が描かれているが現在は存在しない。挿絵の拝殿は建て替えられているが本殿は現存している。そのほか、現状と比べると多少の差異はあるが、全体としては、往時の姿を保っているのだろう。この挿絵は南側から見た図と西から見た図が組み合わされていて少し分かりにくいが、常盤の清水の位置は現在と同じと思われる。江戸名所図会では仮屋坂を安楽寺門前百歩ばかり西に上がる坂とし、新編武蔵風土記稿でも安楽寺の西としているが、挿絵で仮屋坂と記している坂は、安楽寺の東側に当たる甲州街道の天神坂のように思われる。天満宮の扁額を奉納するため勅使が訪れた時に建てたのが仮屋という事だが、当時の甲州街道は南側の低地を通っていたので、天神坂があったかどうかも分からない。

谷保天満の東側は梅林になっている。訪れた時がやや早かったのか、まだ咲いていない木の方が多いようであった。梅林内を歩きまわり東屋から外を見てから、参道を戻る。城山公園を経て矢川緑地に至るコースは、以前歩いたことがあり中々良いコースなのだが、またの機会にとっておく事にして、本日は谷保駅へと戻る。

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