夢七雑録

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神田川支流・桃園川(2)

2011-06-05 10:41:38 | 神田川と支流

 馬橋の先で桃園川は高円寺に入る。桃園川沿いには長仙寺と高円寺の二つの寺がある。そのうち、村名となり駅名にもなった高円寺に立ち寄り、それから、また緑道を歩く。村絵図では、桃園川は緩やかに蛇行しつつ流れているが、今の緑道は直線的な道になっている。

 高円寺から中野に入ってそのまま進むと、桃園があったという台地の裾を回り込んで、中野通りの五差路に出る。旧道の石神井道は青梅街道の鍋屋横丁近くの追分から北西に進み、中野通りを経て桃園川を渡り、北西に向かって今の早稲田通りから旧早稲田通りを経て石神井に向かっていた。一方、桃園川の方は五差路の先で右に曲がり大久保通りに平行に東に向かっている。緑道を進むと、もみじ山通りに出る。この道は、鎌倉街道の中道とされ、南に行くと青梅街道の鍋屋横丁に出る。北に行く道は、哲学堂付近に出ていたとされるが、古来の道は途中で失われている。江戸から明治にかけて、北に行く道は新井薬師への参詣道として利用されたらしく、中央線のガードの先を左に入り、北野天神の先を右折し、早稲田通りを経て薬師柳通りを行けば、新井薬師に出る。島忠の角の五差路で東南に入る道は新井薬師の参詣道に続く道で、青梅街道につながる道である。この道を入り、大久保通りの手前の道を左折すると谷戸運動公園に出る。北側一帯は城山と呼ばれ、以前は太田道灌の砦とする説もあったが、現在は後北条の小代官を務めた堀江氏の居館跡とされている。堀江氏の祖先である堀江兵部は越前から中野に来て一帯を開拓したと伝えられている。なお、運動公園から東で北から谷が入ってくるが、中野サンプラザ近くを源流とし、北野天神の前を東に流れ、もみじ山通りを過ぎ、線路の下をくぐって東南に流れる谷で、その流れは、桃園川ともつながり、桃園川下流から神田川にかけての水田を潤していたようである。運動公園の先を右に折れ、大久保通りと桃園川を渡り、左の坂を上がれば青梅街道に出る。ここを左に行けば宝仙寺に出る。 

 宝仙寺は、源義家が護持していた不動明王像を本尊とし、大宮八幡の別当寺として阿佐ヶ谷に建立された寺であるが、その後、大宮寺が大宮八幡の別当寺となり、宝仙寺は中野に移ったという。今は、大宮寺が廃寺になったため、宝仙寺が大宮八幡についての由緒を伝えている。宝仙寺には、中野の塔と呼ばれた三重塔があったが焼失し、現在は復元した塔が建っている。この塔は飯塚氏の寄進によるものだが、江戸時代には中野長者が成願寺に建立した塔を移設したものという説が流布していた。成願寺は中野長者と呼ばれた人物、鈴木九郎の館跡に建てられた寺とされ、江戸時代には、寺の裏山に堀で囲まれた塚があったという。中野長者の伝説の原型は貧しい博労の九郎が観音の御利益で長者になる話で、これに朝日長者の伝説が加わり、さらに熊野信仰の話も取り入れられて成願寺の縁起が形成されたらしい。この伝説は、農地開拓で時間をかけて地歩を築いた堀江氏とは対照的に、短期間に富を蓄えた新興勢力が存在したことを想像させる。桃園川の緑道を進んで山手通りを渡ると、北側に中野氷川神社がある。この神社の由緒では、源頼義の父、源頼信が平忠常を討伐した際に勧請したといい、太田道灌も戦勝祈願したと伝えている。桃園川の緑道をたどっていくと、ほどなく神田川に出る。

 橋を渡って、対岸から眺めてみる。桃園川から神田川に流れでる水量は多くない。時は夏。梅雨入りあとの、昼下がり。大気は重く、葉桜はすでに翳を作っている。神田川はただひたすら流れ、低い音を響かせている。小さな空を見上げ、それからゆっくりと、川の流れを追うように歩いて行く。すべて世は事も無く   ・・・。そう、思いながら。


<追記>
 善福寺川、妙正寺川、桃園川と、神田川の支流をめぐってみると、近辺の社寺に、太田道灌や源頼義義家父子についての由緒が幾つもあることに気付く。太田道灌については、妙正寺川流域が合戦の場所であったから当然と言えば当然だが、頼義と義家については、通過地点に過ぎない土地にも関わらず、何故に由緒が多いのか少々気になる。前九年後三年役にかかわる神社の由緒については、もう少し調べてみたい気がする。


 今回の連載にあたっては、次の資料を参考とさせていただきました。
「神田川再発見」「杉並区史跡散歩」「中野区史跡散歩」「新宿区史跡散歩」「豊多摩郡誌」「杉並の古道」「杉並の地名」「東京近代水道の百年史」「東京和田大宮の研究」「大宮八幡宮史」「伝説と史実のはざま」「千川上水関係資料Ⅰ」「地図で見る新宿区の移り変わり」「落合の歴史」「私たちの下落合」「哲学の庭」「哲学堂公園内遺跡発掘調査報告書」「東京都市地図」「五百年前の東京」「古代の道」「東京古道散歩」「旧鎌倉街道探索の旅」「江戸名所図会」等の資料、「すぎなみ学倶楽部」「街道を尋ねて」等のホームページ。


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