夢地蔵

田舎の映像作家の備忘録

1975年/あの暑い夏

2020-07-15 09:08:30 | Weblog
"La jeunesse,c'est une passion pour l'inutile" Jean Giono
「青春とは、役に立たないことに対する情熱である」ジャン・ジオノ

この、フランスの作家の言葉を知ったのはずいぶん後のこと。
1975年、あの暑い夏の日々。弟が書いた短いシナリオを発展させ、仲間を集めての映画作り。
当時26歳、私はまさに「役に立たないことに情熱をかけていた」と言えます。

あの時代は若者たちによる自主映画作りの全盛期でした。
明るく楽しく激しい時代、社会は今の閉塞感と真逆の開放感、否、それが当たり前でした。
人生に積極的な若者は自分に無限の可能性を信じ、明るい未来を信じていました。

夏の映画作りに先立って友人の8ミリカメラを借りて新宿を歩き回って撮った「新宿1975,冬」は公開する気など全くなし、撮りっぱなしの短編ですが気まぐれにYouTubeで公開したところ、再生回数は40万回を超えました。高評価は1,300以上、全く予想していませんでした。
様々なコメントをが寄せられていますがこちらがグッと来るメッセージもあります。
何事も実行あり、公開は正解でした。
あの短編映画には間違いなく1975年そのものが化学的/物理的に記録され、歳月を経て熟成していますがそれはフィルムだから。ビデオではダメなんです。

あの日、弟と新宿を歩き回ってから寄った地下の狭い”蠍座”で観た羽仁進監督の作品「午前中の時間割り」1972年公開 は翌日もう一度観るほどの衝撃的映画で、自分も映画を作ろうと決めたきっかけとなりました。
私が作った映画は8ミリながら商業映画と同じ作り方で、アフレコでセリフも入れた本格的な作品でしたが一度地元の公民館で公開したまま実家の屋根裏に仕舞いこんだままになっていました。
30年後、それを出して簡易テレシネでデジタル化、PCで再編集して完成させ「ガラス細工のモビール」としてYouTubeで公開。

「ガラス細工のモビール」は地元のTV局の目に留まって思わぬ展開がありました。
2012年、長野電鉄屋代線廃止の件をその局が取り上げる際昔の屋代線の動画を探して私の作品を見つけたんです。
「ガラス細工のモビール」は16歳の少女が旅にあこがれ、一人旅に出るという内容ですが、その中でかつての屋代線若穂駅でロケをした数カットがあります。
ディレクターによると動画はこれ以外見つからなかったそうです。
街へ買い物に行った帰りに少女が田んぼの中の小さな駅で旅の若者(彼女の妄想)と遭遇するシーンとそれを回想する今の私の姿は後日放送されました。
私の家にも局のクルーが来て収録しましたが、PCのモニターに映した、少女が空高く舞い上がるグライダーを見送るカットを観るディレクターの表情は忘れられません。

屋代線廃止はもちろん地元ですから私も撮りました。「線路端の猫戯子」はその10年前の同じ長野電鉄木島線廃止を取り上げた自主作品と合体して作ったものです。そこでは1975年に撮った若穂駅のシーンを含めて自分自身の青春も複雑に交錯します。
この作品は未完成で、後に開通した北陸新幹線車内からのカットの撮影が残っています。が、今の社会は混沌としていて昨日の続きが今日じゃないし今日の続きが明日でもない状況。全く先が読めません。まだ盛り込む要素が増えそうで当分完成しそうにありません。

何もかもが中途半端ですが、懲りもせず今また16ミリで短編を作ろうとしています。
写真家の植田正治は数々の作品を残していますが生涯アマチュア写真家で通したとか。あれが私の理想です。
コメント
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