久々に所要で不参加でしたが自治会の会合には出席しました。4ヶ所の自治会を11時から駆け足で回って・・・・二次会・場所替え・三次会・・・8時半には疲労を感じ終わりにしました。ただ時間が限られているので「もっとおれ。」とか、「握手ぐらいして行け。」「何か要望はございませんか?」ぐらい言えとか・・・お叱りもあるようです。でも顔を出したことで、わだかまりも少し和らぎよかったぁ。
9月6日 21時 父は他界しました。「もう頑張らなくていいよ。楽に息して・・・」そういったとたん、すーっと何かも下がっていきました。赤いランプが点滅し、脈拍が一直線になり・・・目を突然かっと見開き 臨終を迎えました。あわただしい中での、お通夜とお葬式。落ち度はなかったか気遣い、どうにか済ませました。お世話になった葬儀屋さんは 本当に行き届いていて、ありがたかったです。私が一度二度意見を言ったときも、ちゃんと聞いてくださったし、娘の手紙や、父の言葉を 思ったとおりに入れてくださいました。弔電の順序とか読み方について、いろいろ言ったけど本当によく聞いてくださいました。
感謝の気持ちでいっぱいです。いい看取り方もできたし よかったのではないでしょうか。
月並みな結婚式をと思っていました。ドレス2着だけで、人前結婚式、和服も着ない質素にと、抑えて抑えてお願いした結婚式でしたが 本当にすごくいい結婚式になりました。よく行き届いて、もてなしていただき、ありがたかったです。また一番お安いお料理でしたが、とてもおいしくて評判よかったので、うれしくなりました。(坂祝・M結婚式場)
普通なら母親の涙なのでしょうが、父へのかなしみの涙を流しすぎて、この喜びの涙は、なかなかあふれくることはありませんでした。代わりに夫が泣いていました・・・。私には選挙の前に 父の葬式が待っています。こんなにわかっているのに そのときの自分がどうなのかわかりません。この9月は山を3っつ越えなければなりません。
耐えられなくても越えねばならない山。そのとき私自身が大きく成長するためにがんばるんだ!!誰にでも私にだって、死は必ず訪れるものなのです。心を強く!
もっと早く発見できてたら・・・。NK細胞療法だけは そう言える。絶対効果はあると思える。ただ発見が遅すぎたとも思う。奇跡を信じる葛藤の中で、日々の些細なできごとに一喜一憂してしまう。でも発見が早くても手術や抗がん剤で苦しむだろう。その最後の時でさえ、人生の決まりごとなのだろうと思うと心も落ち着く。それにしても我慢強いことには驚く。人間の尊厳性を精一杯保っている。大声で泣きたいだろう。「今のうちに言い残したいことがあったら言やあよ。」そんな事さえ言ってもいいような雰囲気で すべてを知りながら、余命いくばくもないことを感じながら、励ましの言葉ばかり捜してしまう。看るも看られるも せつない・・・・。