日課のWalking
俗に言う散歩
距離を延ばしたいときに出かける
地元の小さな港がある
浜は私が生まれてまもないころ
埋め立てられ工場が建って
しまっているがまだ港だけは
細々と残っている。
聞くところによると
遠浅のきれいな浜だったそうな。
その港の元々の灯台は原型はとどめてないが
何とか形だけは残されている。
そこから眺める瀬戸内海
播磨灘の風景が好きだ。
海をみていると何となく落ち着く。
港に停泊している大型船に乗り込んで
大洋を旅してみたい気もする。
ふだんはどんよりとかすみが
かかっており手前の淡路島は見えても
離れた四国はぼんやりとしか見えないし
どこまでが淡路島でどこからが徳島なのかも
わからない。
そんな瀬戸内なのだが、
最近 ある空気の澄んだ日の夕刻
遠くの島影がクリアにみることができた。
素直に「嬉しかった」
何か環境が良くなって
空気が澄んできたんじゃないかと
思えるほどだった。
時々思うこと
昔、例えば江戸時代
この辺の風景はどんなんだったんだろう?
海や空は今よりも何倍も
美しかったのだろうか?
当時の風景をこの眼で見てみたい
タイムトリップができればいいな!
その願望にちょっと近づけた
ひと時だった。
「地球がもっと綺麗になればいいのにな!」
Beauty For Earth Again
こんなコンセプトのアルバム
最後のGodiegoの作品としてできないものだろうか?
俗に言う散歩
距離を延ばしたいときに出かける
地元の小さな港がある
浜は私が生まれてまもないころ
埋め立てられ工場が建って
しまっているがまだ港だけは
細々と残っている。
聞くところによると
遠浅のきれいな浜だったそうな。
その港の元々の灯台は原型はとどめてないが
何とか形だけは残されている。
そこから眺める瀬戸内海
播磨灘の風景が好きだ。
海をみていると何となく落ち着く。
港に停泊している大型船に乗り込んで
大洋を旅してみたい気もする。
ふだんはどんよりとかすみが
かかっており手前の淡路島は見えても
離れた四国はぼんやりとしか見えないし
どこまでが淡路島でどこからが徳島なのかも
わからない。
そんな瀬戸内なのだが、
最近 ある空気の澄んだ日の夕刻
遠くの島影がクリアにみることができた。
素直に「嬉しかった」
何か環境が良くなって
空気が澄んできたんじゃないかと
思えるほどだった。
時々思うこと
昔、例えば江戸時代
この辺の風景はどんなんだったんだろう?
海や空は今よりも何倍も
美しかったのだろうか?
当時の風景をこの眼で見てみたい
タイムトリップができればいいな!
その願望にちょっと近づけた
ひと時だった。
「地球がもっと綺麗になればいいのにな!」
Beauty For Earth Again
こんなコンセプトのアルバム
最後のGodiegoの作品としてできないものだろうか?
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