夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2017年 9月17日(日)「八百万の神々」

2017年09月17日 21時52分52秒 | 「思うこと」
法事でした。
お経を聞いていても昔本で読んだお経の本能すら覚えののうすら覚えの教えしかわかりません。亡くなった人の供養や家族親族の安全と繁栄の祈願のところは少しはわかりました。
自分だけなのかもわかりませんが、なんとなく一般人は宗教から離れた宗教行事に身を置くことでの安心感を得ることに意義を見ているのかもしれません。
死ねば仏教、結婚式はキリスト教、初詣は神社。。。
日本人が持つ宗教観には、仏教でもキリスト教でも神道でもこれを含めた八百万の神々を受け入れるものがあるのかもしれません。どのような宗教でもその場にいたら信仰心ではないにしても厳かな気持ちを持つことができる。
同時にどの宗教でも現世利益を求めて祈ることができる。
もちろんその願いには様々な心の段階があるのでしょうが。
極端なまでの宗教の大衆化が日本にはあるのかもしれません。
日本人は多神教だとされます。いろいろな宗教を受け入れるという意味だけではなくて、自然神というのでしょうか、生活や自然の隅々にまでそこには神が存在する。便所に入っても便所の神がいる。
古事記や日本書紀と言えどもこの自然信仰による八百万の神々の誕生がある。
八百万の神々に祈ること、それは五穀豊穣を中心に商売繁盛にまでその祈りはつながる。病気平癒、交通安全、縁結び。。。。
八百万の神々を信仰すること、ここには現世利益が必ず結びつくのかもしれません。
そういえば、日本の宗教は多くの「人」をも神にしますね。仏教でも死ねば仏になるというのもあったと思います。心が人の怨念を和らげるためにも神に祭り建てる。生きる人々にとっての究極の現世利益です。
八百万の神々が存在する裏には八百万の呪いや怨念や妖怪も存在する。
この日本人が持つ八百万の神々への信仰は漠然としていますが、それが良いのか悪いのかと言えば簡単に答えられないものと思います。
しかし日本人の心の奥深くに存在する思考方法にも大きな影響を持たせているのでしょう。
平和主義も、国家主義も。。。。混然としてあらわれる。「和」と非道さが混然と現れる。。。。
それを自然に受け入れてしまう。
あまり考えないほうが良いともなる。。。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする