夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2023年 3月14日(火)「人は天下国家を語っているうちに人の命の重さを忘れる」

2023年03月14日 22時04分54秒 | 「政治・経済」
先日「相棒」の再放送を見ていたら、右京さんが、人を殺してはいけないという法律はない、しかし人を殺した時には法による罰則がある。というようなことを言っていました。
興味深いですね。
しかし、なぜ人を殺してはいけないという法律がないのでしょうか?
人を殺せば罰則があるのですから、人を殺してはいけないという法がないのは矛盾ですね。
これは、国家が人を殺してはいけないという法率は作れないからです。なぜ作れないのか?
国として戦争ができなくなりますね。法務大臣が死刑執行のハンコを押せませんね。死刑執行をする刑務官が執行できない。これは、人を殺すことに何かしらの正義を持たせているから人を殺せるのです。
戦争はいつも自国を正義とする。テロは聖戦という。これに対する国は正義の戦争だという。民主主義を守る戦争だという。しかし本音は自国の利益のための戦争だということはアメリカに見ることができるし、NATOや日本などがくっついている。
チャップリンは、殺人狂時代だったか、1人を殺せば罪人になるが、戦争で多くの人を殺せば英雄になると言っています。
こういう国家の中で、人は天下国家を語っているうちに人の命の重さを忘れてしまう。
これは逆立ちをした社会であり国家です。
天下国家を語り正義を語るうちに人の命を顧みない言動に動く。政治家はもちろん一般国民もそうなっていく。
ヒステリックな殺人の正当性を言うのがナショナリズムです。岸田内閣は、国民生活への命と財産を守る政策よりも防衛費増強と敵国の基地攻撃を優先する。そのためには日常的な国民生活を切り下げていく。これも殺人に匹敵する政策です。
アメリカの大学にいる経済学者が、高齢者は集団自決すべきだと言っています。死ねという経済政策は殺人です。
こういった学者や専門家が増えていく。
本来は、人の命の重さのために国家や社会をつくらねばならないのです。
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池に浮かぶ月1839【3月14日】

2023年03月14日 17時03分46秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は、ロシアとウクライナの和平交渉がありましたが、ダメでしたね。
ロシアが悪いとしてウクライナがアメリカ,NATOの代理戦争を行っているうちは平和交渉も無理でしょう。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2022年 3月14日(月)「和平交渉」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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