【2023年】ツイッターつぶやき
プーチンさんがサウジアラビアとアラブ首長国連邦を訪問する。
いずれも国際裁判所に加盟していないので訪問できるようです。
ロシアも豊富なエネルギーを持つが、そのロシアが産油国を訪問する。エネルギー問題での連携もあるでしょうが、BRICSへの加盟準備もあるでしょう。
習さんも訪問していましたし、BRICSの対アメリカ政策が進むでしょう。ドルが中心となっている世界からドル以外の通貨の力。インフレで価値低下しているはずのドルをその価値どおりにに戻すこと。これは日本の国益にもなるでしょう。
≪過去の記事≫
【2003年】
江國さんの「ホリー・ガーデン」を読み始めました。
動き、香などを通してその雰囲気を伝えるところなどは、読んでいてドキッとします。さすが・・・という感じです。
まだはじめのほうだけしか読んでいないのですが、この後の展開が楽しみです。
夜はしゃぶしゃぶにしました。
コタツの上でガスコンロを使い、しゃぶしゃぶと。温まりました。
安い肉ですがおいしかったです。
【2004年】
昨日より気温が一気に10度も下がってしまいました。
寒さがきつく感じました。
ある方から内田百閒の小説「冥途」を教えていただきました。この作品は夢を扱ったものだということです。百閒は漱石の弟子ですが、漱石の「夢十夜」も夢を扱ったものですので、「夢十夜」を再読しながら「冥途」を読んで見たいと思います。また、百閒を高く評価している川上弘美さんにも夢ではないのかという「椰子椰子」があります。これも再読しながら3つの作品を比較したいと思います。
【2005年】
数日前の天気予報では、東京は晴れのはずだったのになぁ。。。
晴れるどころか午後は小雪になるかもしれないという。こう初雪が早いと低気圧のタイミングによってはホワイトクリスマスも迎えられるかな?東京ではめったに見られない風景です。
2人の少女の拉致殺人事件が起き、まだ事件か事故かはわからないようだけど今度は男の子が行方不明になっている。
なくなった亡くなった二人の女の子のご冥福をお祈りしたいですし、ご家族の悲しみをおさっしします。
僕の世代だと、昔「よしのぶちゃん事件」というのがあり、子供の誘拐殺人事件としてその衝撃を今も記憶している。謎なぜこの事件を何十年後の今も記憶しているかというと、その頃はいろいろな犯罪は合ったあったにしても地方の方へ行くと夜も鍵などかけた子とことがないというぐらいに犯罪にあう危険性が少なかったし、東京でも少しぐらいの買い物なら鍵も必要なかった時代だったから、子供が犠牲になったという社会不安が相当に大きかったという子とことだと思う。
しかし、今は子供達が何人も殺されたり犯罪に巻き込まれている。それも昔は誘拐拉致といっても金目当てであったものが、今はわけもわからない理由で殺されている。一つひとつの事件はもちろん衝撃的なのだが、こう頻繁に事件があると、僕たち世代が「よしのぶちゃん事件」を長く記憶にとどめるというような一つの事件を記憶にとどめるというものはなくなり、すぐに次の事件といったぐあいで事件の風化も早まらざるを得ないだろう。それがまた怖いところである。
対策としては、地域の連帯や大人が子供を見守るというようなことが言われているが、通学が遠距離だったり寂しい場所を通るような地方においては国の予算としてのスクールバスの導入が急務だと思う。しかしこれだけ人がごちゃごちゃいる東京でも、公園で子供が遊ぶことすら怖い世の中になってしまった。。。
なんとなく子供達を守ることが無理な社会になってしまったようである。
こんな社会の中で、後追いの対策ばかりを考えていてもいたちごっこなのかもしれない。
弱いものが犠牲になるという点では、お年寄り相手の詐欺や引ったくりなどの犯罪も増えているし、成人だ男だといっても隙を見せたらすぐに付け込まれるような油断もすきもない社会になっているのだと思う。建築知識などわからない人々は信じてマンションを買うしかないが、どこでどうなったのか知らないが欠陥マンションを買わされ正月も行き場を失うこともありそうである。
国の政策や政治と犯罪を一緒にするつもりはないが、様々な社会の中で起きている矛盾を根本的な社会のあり方として考え直す時期に来ているのではないか?この社会のあり方は密接に政治と結びついている。
競争至上主義、民間の競争原理の導入も、正常に働いているときはそれなりの成果は出るはずだと思うが、今のようにパイが小さくしぼんでいくようなときには、下手をすれば何でもありという社会的風潮のなかで、小さくなっていくパイの分捕りあいになってしまう危険性があり、それが様々な形に結びついて様々な矛盾として表れるのではないか?
犯罪は個人の責任である。しかしそればかりをいっていては解決のつかないのが発展した社会である。皮肉な逆説である。
少子化が社会問題になっている。これを個人の問題としていたがどうしようもなくなってきて「子育て支援」という社会的な解決を考えはじめている。このようないろいろな社会的な矛盾を同じように社会的なものとして考えようとする社会的な風潮が必要ではないか?少子化がなぜ社会問題としてとらえざるを得ないかと言えば、会社にたとえれば昨年と同じ生産量を維持できないという単純再生産が不可能とおなったことと同じなのであり、社会全体として単純再生産ができないほどになってしまったに等しいからだと思う。
今は勝ち組は豊かさを保てる。
しかし、19世紀のヨーロッパでは、一般庶民はそうとうひどい生活状態のおかれそれが当たり前のようになっていた。一方では裕福層は贅沢な暮らしがあった。しかしいったんコレラが流行りだすと、裕福層の人々も死ぬ。そこで始めて一般庶民の不衛生な生活が見直されようとした。子供も働かせるのではなくて学校に行かせようとした。勝ち組もその豊かさを保とうとするなら、いつか一般庶民の生活全体を底上げしなければならないときがくるものである。
今はじみちに働くという誇りのもてない社会になっている。地道のに働こうとしても仕事がなかったり、仕事にありつけても若年離職率が多いという。働くという子とことが軽視されている。だからネットの株式取引や年末ジャンボ宝くじに夢を託す。
働いている人とお客という本来は平等関係の人間が対座した場合、そこにお金というものが介在したとき、今の社会では働いている人が「ご無理ごもっとも」と頭を下げるのである。なんかこれは逆立ちをしてる。ほんとは働いている人が感謝されなければならないはずなのに。社会全体としての意識として、「勤労感謝」は死語である。
地道に働く場所がない、地道に働いているだけではウダツがあがらないという状態と、金が万能で、その金を得るためには何でもありで、ばれなければいいとなってしまったりしていけば、もう経済はぼろぼろで、人の心はすさんでいくしかないと思う。
若い人達がまともに就職できないのは、写お快適社会的には労働力の貯水池のようなもので、この貯水池を必要にしている人もいるわけだが、貯水池の水も10年以上そのままにしていれば腐ってしまうのである。何も若い人をどうしようもない腐っているというのではない。でも、精神的におかしくなる人も出てくるということである。
人の心がすさび、未来に希望が持てず、親のすねをかじってしか生活できない。一方社会の中には浮かれる人たちを宣伝され、遊ぶ子とことだけの情報は蔓延している。こういうんでは、犯罪をお書いた犯した人を非難しつつも非難していればいいというのでは片付かないだろう。
【2006年】
12月2日に引用した新聞の記事。。。
「5000億円規模の企業減税が想定されている。その財源は、07年からの所得税の定率減税の全廃(約1.2兆円の増税)で賄われることになる。」
これは、税制というクッションを使ったサラリーマンの賃下げですよね?
「『法人実効税率の10%程度の引き下げ』をすれば、4兆円規模の減税になる。その財源を他の税源で賄うとすると、消費税(現行5%)なら2%幅の引き上げが必要になる。」
これは、税制というクッションを使った物価値上(政策インフレ)げですよね?
なんだか腑に落ちないままにもやもやしていたものが整理つきました。
国が介入する賃下げと価格上昇。。。
ううう。。。。
そういえば、この前注文した携帯とパソコンをつなぐUSBケーブルですが、入荷したら電話がくることになっていたけど電話がないのでこちらから電話をして確かめたら、入荷しているとのこと。。。さっそく買ってきました。ところが家に帰ってしばらくしたら、、、電話があり「ご注文のケーブルが入りましたのでお越しください」
ううう。。。。
22日は冬至。。。。
最近、もう4時半というと真っ暗になってきた。「つるべ落とし」秋に言う日暮れの早いことらしいが、僕の日記はまだ秋で、つるべ落としも佳境に入ってきました。冬至まではもう少し。。。。
【2007年】
今日も風もなく気持ちのよい一日でした。
ミニバラがきれいに2輪咲いています。金のなる木の花のツボミも出てきました。
ミニバラって今頃咲くんでしたっけ?金のなる木の花も?
近くの木蓮もツボミが膨らんでいるようでした。
なんだか狂い咲きになっているのかもしれません。花が咲いてしまったら怖いものがある。。。。
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
道の駅 天城越え
昨日は伊豆方面にドライブに行ってきました。
いつものようにおにぎりをつくり早朝に出かけました。首都高速もすいていて順調に東名に!と思ったら分岐と出口を間違えてしまい(笑)いったん一般道へ。出たのが霞ヶ関。。。。。めったに都心などは走ったことがないので車線やらにまごまごしながら走りました。そのうえどこも警備の警察官が、、、、なおさら緊張をします。
どうにか東名に乗りなおしてサービスエリアに入り、暖かな朝日の差し込む車内でおにぎりを。生のタラコと紫蘇昆布でした。
横浜を過ぎたあたりから前方に雪をかぶった富士山がそびえ立ちます。空は青空空気も澄んでいてその姿に見とれてしまいます。でも、そこは安全運転。。。。。
小田原厚木道路の区間別料金にどんよりしながら東伊豆の海辺を走りました。初島が見え海は穏やかに朝日に光っていました。
さて、道の駅”天城越え”ですが、いくつかの日本風の建物が立ち並びその中には物産売り場やお土産売り場、こじんまりとした売店などがありました。
おばちゃん?だったかな。。。。手作りのお強のようなものも売っていたようですが、昼飯も食ったあとなので食べませんでしたが心残りです。。。。
天城といえば「伊豆の踊り子」と「あまぎー~~ご~えぇ~♪」。そしてワサビ!
山葵漬けやらワサビを使ったものがたくさんありましたが、ワサビソフトクリームを食べてみました。ワサビソフトクリームは夏の旅行で安曇野のものでどんよりしていたのですが、日差しが射し暖かな中、そして昼飯のあとでさっぱりとしたものを食いたくなり買ってみました。
うん!これぞワサビソフトクリームでした。
口に入れると甘い普通のソフトクリームなのですが、口の中で溶けてくるとワサビの香や風味が広がってきます。飲み込むと喉越しにワサビの辛さが!
お勧めです。道の駅だけではなくてもワサビソフトクリームはありました。どこで食べても同じなのかな?道の駅では、向かって左のほう売店で買いましたが。。。。。
山葵漬けやワサビの入ったお菓子などそして地元の味噌なども買いたかったのですが帰り道の牧場で買い物をしようと思い財布の紐を締めました。
ABCで評価をすると。。。。。Bかな。
牧場では地ビールとおいしい牛乳とモッテェレラチーズを購入。。。。
帰りは小田原厚木道路そして東名が横浜あたりまで渋滞。通過に70分とか。。。。
カーナビは厚木ジャンクション前で一般道へ出ろと。。。。。。カーナビを信じるべきか?(笑)
カーナビを信じて一般道へ出ました。有料道路の横を通りますが、やはり一般道を走ると有料道路の車をどんどん追い抜きました・・・・ムフフフフ
行きも帰りも一般道へ降りた・・・・・結局一般道も渋滞でして、横浜まで1時間ほどかかりました。どっちがよかったのか。。。。。
【2011年】ツイッターつぶやき
「上り道と下り道は一つの同じものである」(ヘラクレイトス)・・・・熊野純彦著「西洋哲学史」P26より。
一つの坂道を見るとき、自分がいる位置によって同じ坂が上り坂にもなるし下り坂にもなる。坂道はそのままに存在をしているだけである。
坂道それ自体に上りと下りがこの相反するものが宿っている。上りと下りの特性が宿っているからこそ道は坂道となる。
【2012年】ツイッターつぶやき
電車に乗り席が空いたので座った
座るときにちょっと気になる物が足元にあり困ったと思った
隣の若い女性がきれいな真っ白な紙袋を足の横の床に置いていたのだ
高級ブランドの横文字が書いてあった
女性は目をつぶっているし、座らない理由もないし困ってしまった
気が弱いのである。。。汚しては申し訳ない
注意して足を広げないように座る
高級ブランドの紙袋が気になる
電車がブレーキをかけるたびに僕の足に倒れてくるのである
気が弱いのである。。。足で押し戻すことができない
落ち着かないままに数駅乗ったが女性は目を開けない
気が弱いのである。。。。。次は降りなければならない
降りる駅に近づくと案の定高級ブランドの紙袋が
僕の足に寄りかかってきた
女性は目をつぶっているし、降りない理由はもちろん何もない
高級ブランドの白いきれいな紙袋に付き合う時間もない
気が弱いのである。。。そうっと足を上げて立たせようとしながらドアに向かう
その時ばたっと音がして高級ブランドの白くてきれいな紙袋が倒れた
高級ブランドの紙袋が倒れてハッとして女性が目を開いた
そして立ち上がった僕をキッとにらんだ
気が弱いのである。。。つい「どうも。。。。」と謝ってしまった
女性はフンと顔を横に向けた
気が弱いのである。。。。
国民生活は自助と言葉は適切ではありませんが「貧乏人は貧乏人同士で助け合え」というような共助で。国は軍事費と企業防衛そして富裕層の富の保護。これを自由主義などというのならこれでは国家は滅びます。
どうもこれまでの新自由主義は、自由主義とは言え歯止めのきかない自由主義で、ある意味19世紀などの古典的な自由主義に戻すものではないかと思わざるを得ない。日本もまたこの傾向が進みつつあり下手をすれば自由主義も否定するようなものを感じます。
植民地主義の戦争が終結をして日本には世界の中で特殊化した平和憲法ができてそれを日本は守ってきた。しかし特殊なとはいえ、平和主義は国家の憲法とはならないまでも世界中の国民の願いであり、平和憲法はその象徴・理念として見ることができる。平和主義・戦争に反対することが国民の声を反映して常に世界中の戦争やテロに対して批判を浴びせている。これは自由主義そのものの発展である。
また国民生活は、産業の発達の中で暮らしを豊かにし、そこに矛盾をはらみながらもある程度その矛盾を解決する方向に向かっている。もちろん世界の貧困化は解決されないが、自由主義の発展が解決をしていくでしょう。福祉社会や社会保障制度の充実も進みこれらもまた自由主義の発展である。
もちろんこのような自由主義の発展も冷戦下での社会主義に対抗する社会制度ではあったが、しかし自由主義自体の内部においてもこの発展がなければ社会システムや経済も発展しないという内部からの要求としての発展だった。
しかし新自由主義というが実際は新しくもない回顧的な体質の自由主義が台頭をして、自国民の生活を維持できないほど矛盾を深めその犠牲のもとでしか自由主義を維持でき奈ほどに矛盾を拡大してしまった。
やはり、自助と「貧乏人は貧乏人同士で助け合え」というような共助が強調された社会なのである。
自助も貧困化で成り立たず、共助も上に書いた状態とそして中間層の減少傾向。公助は企業論理優先で国家財政は破たんをしていく。
自由主義の発展は昨日も書いたが、この共助の仕組みを変えていくこと、つまり「貧乏人は貧乏人同士で助け合え」というようなそして中間層の負担増という形での現在の共助の仕組みを変えていくことしかない。ここに自由主義の発展を見てこの発展を阻害するものを否定しなければならないでしょう。
今や自由主義の発展をどう守るかという時代になっている。
【2013年】ツイッターつぶやき
秘密保護法が強行採決をされようとしています。
非常に残念な国会です。
法案の中身がどうのということと同時に、法案自体が不備で修正案すら審議されない。もう、めちゃくちゃですね。数の力による国会軽視。法案を通すこと以前に今の国会がどうなのかを見つめてもらいたいです。ねじれの解消とはこのようなものだったのでしょうか?
与党である、法案に賛成である、修正案に賛成であるといったことの前に国会議員として国会を守ること(議会制民主主義)が責任でしょう。ねじれの解消=議会制民主主義軽視ではないはずです。
議長責任は重いですね。
このような国会の状態ですから、秘密保護法に限らず国民生活の悪化につながるものが今後どっと出てくることでしょう。
先日もこのブログに書きましたが、これからの日本社会は自粛と萎縮のなかに国民生活はおかれていきます。
秘密保護法案というのはこのような作用や意識を国民に植え付けるでしょう。
自粛と萎縮の中に国民は置かれてその上に立って日本は民主的な自由社会だとされていくでしょう。
その中で何が大切なのか?
それは生活実態の議論なのです。秘密だなんのといわれてもこの国民生活の実態は隠せません。国民一人ひとりが感じるものなのですから。国民生活の悪化は経済全体に新たな矛盾を引き起こすでしょう。それがまた国民生活に作用をしていきます。家計ばかりではなくてブラック企業という言葉が広まりましたが、働かされ方なども含めて生活の実態です。
先の民主党政権の発足はまさにこの国民生活の実態からの政権交代でした。
一人ひとりが今の生活や格差なども含めてこれでよいのかという議論が大きくなることは法則的でしたからその法則性による政権交代だったわけです。秘密保護法などは大変重要な問題でした。しかしそれは具体的な生活実態に表れてきます。それを見逃さないことが大切なのです。
官民格差だ、世代間格差だ、男女格差などと、確かに格差は拡大しているのですがそれを国民間のいがみ合いにしていても仕方ないのです。根本は1%と99%の格差にあるのです。国の政策に問題があるわけです。国民は意識的に団結をしなければなりませんね。同解決をするのか、民主の失敗にも学びながら(民主党自体も)次の政権を見なければなりません。
生活実態の議論から切実な要求も生まれるでしょう。その要求を共有化しましょう。
それにはさまざまな階層の方の協力が必要です。極端に言えば今回の秘密保護法案に反対した方々やグループはこの国民生活の実態にも目を向けるべきなのです。そうしないと民主的な日本は取り戻せないでしょう。
政治は経済問題なのです。
【2014年】ツイッターつぶやき
今日のツイートのまとめです。
「上り道と下り道は一つの同じものである」(ヘラクレイトス)・・・・熊野純彦著「西洋哲学史」P26より。
一つの坂道を見るとき、自分がいる位置によって同じ坂が上り坂にもなるし下り坂にもなる。坂道はそのままに存在をしているだけである。
今、僕たちは坂道の途中に立って「これは、上り坂なのか、下り坂なのか」と途方にくれながら眺めている。政治家や専門家はそれぞれでしょう。しかし僕たちは自分の生活を見つめて自分がどちらに向かっているかを見ないとね。
経済全般を判断するには公平性が必要で、公平性がなければ判断をお山る誤るでしょう。経済が悪くなっているとばかり言うことは批判されますが、かといって経済は順調に成長しているというのもまた批判の対象になる。ここで政府も国民の声を公平に聞くべきなのです。この公平さがなければ!
株で大儲けをしている国民が増えて高級品の消費が増えているから経済は順調!!と同時に、貯金なしの家庭が増えたり年収200万以下の世帯が増えたり。。。。ここを見て政府は貧困が拡大して個人消費は懸念される!!と叫ばなければ公平とは言えない。
公平さを叫ぶ政府が不公平ではどうしようもないのですが、この公平さの基本となる軸はどこになるのでしょうか?どこに視点を持てば今、登り坂にいるのか下り坂にいるのかを判断できるのか?
余談になりますが、せっかくの選挙真っ最中ですから、党首討論で公約や国民に期待を持たせるばかりに議論ではなくて、それぞれの党が「自己批判」を出し合ってみればいいのではないでしょうか?むしろ国民はその自己批判の中身で党への信頼を深めて投票に向かうのではないでしょうか?
さて、今の日本は下り坂にあるのか上り坂にあるのかの判断となる軸はなんでしょうか?それは国家の役割から導かれます。この国家の役割が何かでその政党の存在価値感が見えます。
自民党や公明党の国家感、もう一つの大きな保守政党である民主党の国家感、中間的な位置にある小政党の国家感、そこから少し距離を置く社民党や共産党の国家感。そこから経済政策の違いも現れるでしょう。この経済政策は広くアベノミクスへの評価になる。
でも、国家感の違いはあっても答えは国民生活の向上や安定に落ち着きますね。まさにこの国民生活の向上や安定化こそが判断の軸となるという事です。この軸に各党の国家感がどう結びつくかどうかですね。
僕たち国民からすれば、「国民生活の向上や安定化」の流れの中で、どういう位置にいるかを知ることができる。期待は排除して今現在です。株などで大儲けをした人や貧困化した人もいる。そのどちらが多いかですね。そして中間層がいる。今の自分を振り返ってみるしかないのでしょう。
先日も『民意と政治のねじれ』という事を書きましたが、国会内の決められない国会といったねじれは国会の民主主義強化でどうにかなります。しかし問題は、「国民生活の向上や安定化」という政治が最も重きを置かねばならないところでの民意と政治のねじれを解消しなければならない。
民意はいろいろな世論調査の結果でも出ていますが、これと政治の政策が一致をしなければいけないという事で、それに間違いがあったのなら修正をしていくという事がねじれの解消です。
ここからも国民は今、上り坂にいるのか下り坂にいるのかを判断できる。日本は一つしかない。その一つの坂を判断するしかない。
【2015年】
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
今夜も「北の大豆豆乳」にお世話になりちょっと茶わん蒸し風にならないかと思い茶わん蒸し風豆腐にしました。
鶏肉、しめじ、エノキダケ、シイタケを白出汁とみりんで下味として火を通して冷たくなるまでよく覚ましておきます。
ボールに卵1個を入れてよく溶いてそこに投入豆乳を入れてさらによく混ぜます(なるべく泡を立てないように)。具材を似た煮たスープも少し。そして豆乳についている「にがり」を入れて右に10回左に10回(豆乳ボトルのにがりの入れ方参照)かき回します。
これを耐熱の器【今夜は4個に分けました】にれます。
あとは良く冷ました具材とかまぼこの薄切り、銀杏(缶詰かパック詰めのもの)を入れてラップをしてチンするだけです。
卵2個入れてもよかったかな。。。。
美味しかったです。
【2017年】ツイッターつぶやき
サイクリングに出かけていくつかの峠を越えて山里に入った。
すると向こうからにこにこした60代半ばの身なりが良い爺さんが来て
「もう少し先は坂道だよ♪」
と教えてくれた。
少し疲れ気味でしたが、水筒の残り少ない水を飲みほして下り坂という期待を持ちながら走り出した。
しばらく行くと坂道があった。。。。。。
しかしそれはきつい上り坂だった。
たしかにあの爺さんは「坂道」と言ったので怒るわけにはいかないが、その語り口と笑顔からして下り坂という「期待」は僕に持たせただろう。。。。。
その時、ふと僕はこの5年間の政治に対する「期待」を思い出した。
多くの国民は期待をもってきつい上り坂をあえぎながら登る。
「上り道と下り道は一つの同じものである」(ヘラクレイトス)
上り坂を進むものと下り坂を進むものとがすれ違う。
気分転換にテンプレートを変えてみたのですが、テンプレートのジャンルが「キッズ」。
でも見やすいと思うのでこれにしてみました。
【2018年】ツイッターつぶやき
このブログで数回、アベノミクスは低所得層から富裕層への富の配分を行ったと書いてきました。それは様々なニュースによっても格差の拡大が言われていました。
それでは富裕層はどのくらいの富(資産)を持っていて何世帯分の富を支配しているか?
2017年4月の記事ですが
「アベノミクスは超富裕層だけの資産倍増計画だった」という記事があります。
富裕層40人で2643万世帯(全世帯の52.5%)の資産と同じだそうです。
この超富裕層が資産を倍増させた時期がアベノミクスと重なる。
超富裕層が所得を倍増した半面アベノミクスは
資産ゼロ世帯を466万世帯増やしたといわれています。
やはり1%と99%の格差社会は事実といえるでしょう。
この実態を作り上げた政府はこの上一般家庭も含めた低所得者に対は増加をしていきます。そして消費増税や社会保障の削減を突き付けています。一般家庭の所得に占める税金や社会保険料は増加をしていきます。同じ低賃金でもさらに長時間働かないとその賃金も得られなくなるでしょう。アベノミクスでの円安誘導は食糧やエネルギー価格を押し上げてエンゲル係数も上がっています。
こうこれでは、経済の好転はあるわけないでしょう。うわべの経済の好転は富裕層の所得を増加したという実績だけですね。
何月ごろだったか、電子レンジが壊れてしまい新しいものを買いました。
電子レンジも回答したり温めたりするぐらいでこれといって料理などは作ったことがありませんでした。ですので電子レンジの表には小さい字でいろいろなメニューがたくさん書いてありますが、読んだこともあまりなかったです。
今日は冷凍しておいた残り物の「紙カツ」(紙のように薄いとんかつ)を食べてしまおうと解凍してオリーブオイルで焼こうと思ったら、妻が油物は嫌だと。。。。。
その時、確か、電子レンジはスチームオーブンやノンフライメニューがあったよなと思いだしました。
ノンフライメニューで焼いてみたのですが。。。。。。。
うまくない。。。。。
やはり油の風味というのはとんかつなどの揚げ物には欠かせない者なんですね。
一口食って懐かしい味だと気づいた。なんだっけとしばらく考えていたら思い出しました。
駄菓子屋さんで売っているソースカツのあの味でした。
うん、たぶん、妻が強引に作るといわない限り二度とノンフライ昨日は使わないと思う。
まぁ、健康を考えれば我慢も必要かもしれませんが。。。。。
スチームオーブンではブリの塩焼きをやってみましたが。。。。。。こちらはまぁまぁの味でした。まぁまぁというのは安いブリでしたから油が全然なかったことからも来るものです。
高いブリを塩焼ではなくててりやきならうまいかもしれない。
そういえば、昨夜は普通のオーブン機能でスペアリブを作ったのですが、これは肉も柔らかくなり美味しかったです。
【2019年】ツイッターつぶやき
昨日の「池に浮かぶ月」の記事でも触れた東名のあおり運転から車を追い越し車線で止めてしまい、後続のトラックが追突した事件の二審判決が出た。
結果は地裁に差し戻しという異例の判決だったようです。
差し戻しの理由は、あまりにも被告側が不利なままでの審議をされたということかと思う。また、あおり運転自体に罪状がないので危険運転致死傷罪を適用したことになってしまった。市民感情もある裁判委員制度も何かしらの影響があったのではないかと思う。
例えばの話ですが、僕が信号待ちで停止していたら後ろの車が僕の車にぶつかった。僕は当然降りて後ろの車に抗議するでしょう。そして追突してきた車が逃げようとしたので静止した。しかしその時信号が青になって車が事故現場を避けて走り去っていく。しかしその時気が付かなかったトラックが衝突してしまった。
さて僕は危険運転致死傷罪で20年以上の刑を受けなければならないのか?
こんなバカげたことはないでしょう。
東名の事故は、たしかに後ろの被害者の車がぶつかったわけではないが、「邪魔だ、ボケ」といった言葉の暴力がある。それで走り去っていったので血が頭に登って追いかけて停止させてしまった。ということでしょう。
日本人は言葉の暴力には無神経なところがあって、実際子供たちなども含めてこの言葉の暴力で自殺もおきている。
こういうことを考えると二審が差し戻したということは評価できるのかもしれない。
【2020年】ツイッターつぶやき
オリンピックを前にして法律も変わり、今年もまたたばこ増税があった。
喫煙率は下がり続ける。
でも、この喫煙率の低下は自主的な禁煙ではないでしょう。
たばこ増税は低所得層から強制的にタバコを取り上げた。
煙草の健康への「害」は、受動喫煙として進められてきた。
分煙がはじまり喫煙者も協力をしてそれに従った。煙草の「害」といわれるものはこの分煙により大きく改善された。しかしそこに出てきたのは「害はゼロではないだろう」という論理です。
しかしこの社会にリスクがゼロのものってあるのでしょうか?
分煙でリスクがゼロではないといわれても、その害がどのくらいのものかはしめされない。
禁煙ファシズムが言われて久しいがその牙はさらに露骨になっていくでしょう。めちゃくちゃな論理で。。。。
もちろんポイ捨てなどマナーなどの問題はあることは承知をしていますが、このマナー違反も行き過ぎた禁煙運動からも生まれています。
【2021年】ツイッターつぶやき
昔経済力のある国がエビの消費を高めるということが言われた時代があったことを記憶しているが。。。。。
日本もエビどころかあらゆる食料を経済発展の中で手にいれた。
食料自給率が下がっていっても食料に不自由をしない経済力。買い入れも競争でしょうが経済力と共に円も強くなればその競争には勝てる。
しかしいつの間にかこの砂上の楼閣も傾きはじめた。
今や中国がその経済力において日本を抜きアメリカをも抜こうとしている。
中国14億人のためにその経済力は動き始めているようです。
円安誘導が裏目にもなりそしてその円安を活かして経済のV字回復を行うこともできない日本は食料品を確保することは難しくなる。
スーパーで牛肉を飼おうとしたらオーストラリアの肉もアメリカの肉も高くなっています。
豚肉や鶏肉も同じようになるそうです。
【2022年】ツイッターつぶやき
珈琲豆が最高値の時に比べて4割も急落しているようです。
これまで経済のニュースではインフレと物価が上がり続けるニュースがほとんどでしたが、ここにきて、まぁ、たがが珈琲豆ですが急落した。たかがコーヒー豆とはいえこの物価の下落はあらゆる商品に及ぶ可能性があります。
インフレで商品価格が上昇すれば賃上げも追いつかずに消費は落ちていくでしょう。
しかしこれはアメリカやヨーロッパの話で、円安そして賃上げもない日本ではどうか。
日本は賃上げどころか10月の去年同月比で実質賃金は2.6%マイナスになっています。
円安でさらに実質賃金が下がり続ける日本では、仮に国際的に珈琲豆が急落しても国民にとってはコーヒー豆は高いものとなります。
賃上げもない中で実質賃金が下落するというのは、社会保障費負担や増税にその理由の一つがあるでしょう。税金は社会保障に薄くなっていますからさらに実質賃金の目減りは大きくなります。
防衛費は5年で43兆円になります。
この中で更に増税や社会保障の切り下げが起きてくるでしょう。
珈琲豆の消費減少だけではなく食費そのものの減少という絶対的貧困が進みます。
不況の中の物価高は進む中で。。。。。