夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2023年12月11日(月)「寝床の寒さ」

2023年12月11日 22時08分40秒 | 「思うこと」
今年の冬も暖かい冬とはいえ、昼間と夜の気温差は大きいです。
これから1月2月になると寝床の寒さがきついです。
テレビで、この寝床の寒さを防ぐには、羽毛布団の下に毛布を掛けるのではなく、羽毛布団の上に毛布を掛けたほうがいいと。これは去年僕も考えてやってみたのですが、毛布のふんわりというものがなくなり布団カバーのひんやりとしたものがどうもダメでした。今年は布団カバーもふんわりしたものにしましたので大丈夫かな。。。。。
今夜試したいと思います。
それにしても、一度布団が温まると布団の中は30度ぐらいになるんですね。
そういえば、夜中に布団をはいでいるときがある。
寝床の寒さも寝てしまえばいいだけ。寝つきはいいです。
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池に浮かぶ月2095【12月11日】

2023年12月11日 21時52分15秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は大河ドラマ「鎌倉殿十三人」を楽しみに見ていました。
北条義時が承久の乱に勝ち執権とはいえ武士の力を強めました。
鎌倉幕府と後鳥羽上皇との荘園に対する衝突という経済対立が基本ですね。
この意味において革命です。もちろん頼朝によるはじめの革命があり、最終的な仕上げの革命が義時だったのでしょう。しかし義時も謎の死を迎える。この泰時が政治面で北条政権を作り上げる。
「鎌倉殿と十三人」はどこかユーモラスなところがありましたね。今の「どうする家康」はロマンが。大河ドラマとしてこういった面が必要か?でも、頼朝も義時もそして家康も人間としてはただのおやじの面を持つ。その人間という面での表現は必要なのでしょう。表現は史実ではないかもしれませんが。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2022年12月11日(日)「承久の乱」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」

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「12月11日という日」

2023年12月11日 10時47分37秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2023年】ツイッターつぶやき
今年の冬も暖かい冬とはいえ、昼間と夜の気温差は大きいです。
これから1月2月になると寝床の寒さがきついです。
テレビで、この寝床の寒さを防ぐには、羽毛布団の下に毛布を掛けるのではなく、羽毛布団の上に毛布を掛けたほうがいいと。これは去年僕も考えてやってみたのですが、毛布のふんわりというものがなくなり布団カバーのひんやりとしたものがどうもダメでした。今年は布団カバーもふんわりしたものにしましたので大丈夫かな。。。。。
今夜試したいと思います。
それにしても、一度布団が温まると布団の中は30度ぐらいになるんですね。
そういえば、夜中に布団をはいでいるときがある。
寝床の寒さも寝てしまえばいいだけ。寝つきはいいです。

≪過去の記事≫

【2003年】
ううう。。。寒い
冷たい雨です。
買い物に行こうとしたら傘が1本もない・・・ううう。。。。
スーパーで傘を買おうと思い売り場に行ったら、ビニール傘ではない傘が1本400円!!
これは安いと思い4本買ってきました。
そういえば、だいぶ前ですが、やはりビニールの傘ではない傘が1本500円でしたので買ったら、大雨の日、どうも傘を持つ手がぬれると思ったら、なんと傘の先のほうから雨漏りがしていて柄を伝ってポトリポトリと。今度の傘は大丈夫かな?
それにしても懐も寒い。。。ハハハ

【2004年】
この前新聞を読んだら、主な国々で行われた学力テストのようなもので日本はだいぶランクを下げたらしい。今日の新聞では、公立学校の先生方の中に精神疾患が増えて病気休職をしている先生が3000人以上もいるという。その他わいせつ行為や体罰なども増えているらしい。これらも精神疾患だろう。
これらを見て注意をしなければならないことは、今の子供たちや先生方の質が昔に比べて落ちているわけではないということは見なければならないだろう。
また、公立学校の矛盾が出ているわけだけど、その中で私立の学校が注目をなおさら集め、公立学校無用論などが出ることが怖い。
子供の数が減って公立学校にも先生方の中にも競争が相当入っている。人口の多い都市でも統廃合が多くなる。そこには都道府県などの財政難が絡んでくるだろう。
ゆとり教育などと表面上はゆとりを持ったようでも、中身は先に書いたような面での競争が激しくなっているのではないか。競争も発展的競争ならば一時的にはよい面も現れるが、生き残り競争というつぶし合では弊害ばかりが残るだろう。なんとなく企業間競争の原理が公立学校にも適用されているのではないかな?
だいぶ牡蠣が出回りはじめました。牡蠣フライにしようと思います。また鱈もおいしくなってきており、白子も出ていましたのでこちらは天麩羅にでもしようかと思います。さっと上げたての白子の天麩羅をおわんに入れてだし汁をかけます。

【2005年】
サッカー中継を見ていたら、国立競技場に小雪が舞っていました。うちの方も降ったのかな?寒い一日でした。
内田百閒の「百鬼園日記帳」を読んでいる。
子供の頃の思い出など、随筆に書かれている不思議な霧の中を漂うような世界もある。電車の中でも読んでいたのだが、その世界に入り込んで集中をしていた。ふとそろそろ降りる駅かと目を上げた。
そうしたら向かいの座席に布袋様かと思うような男が座っていた。顔は真ん丸くて腹もだいぶ出ているのではないか。特に目を引くのが耳たぶだが、それは見事な福耳だった。
しかし。。。
右に目を移したらこういっては失礼だが貧相な男が座っていた。耳たぶというものがまったくないやせた男だった。
頭の中は百閒の世界のままにこんな2人の男が目の前に現れたのであわててしまった。
福の神と貧乏神が隣り合うようにして人間の姿をして僕の目の前に現れたのかと思った。
年末に複雑な思いで電車を降りた。

【2006年】
今夜も鍋の話。。。。
寒くなりはじめた頃、秋田料理を出す料理屋さんでしょっつる鍋を食べた。
普通の鍋と違うところは、ハタハタという魚がそのまま丸ごと入っていること。そしてスープに独特な風味がある。ハタハタは、東京のスーパーでも時々見ることができるので、我が家でも出来ないものかと調べてみた。でも、この独特な風味のあるスープは、しょっつるという独特な醤油のようなものを使うらしい。ハタハタに塩を入れて発酵させたようなものらしい。このしょっつるは東京では見たことがないので、無理なようである。
でも、よくよく調べてみたらありました。。。しょっつる鍋セット(トップページの「トピックス」をクリックしてください)
そう、ハタハタも雄雌があり、雌の卵の入ったハタハタは絶品です。
しょっつるは鍋のほかにもいろいろと使えそうなので買いたいです。
そういえば、魚を入れて発酵させた醤油のようなものに、タイのナンプラーがありますね。こういう調味料は世界中に多いのだろうか?興味が出ました。またゆっくりと調べてみよう。。。
自動車関連税の一般財源化が言われているけど、一般財源化をして庶民生活の向上に直結したものとして使われればいいが、2日や6日の日記に書いたように、世の中は国民生活を圧迫しての企業重視の税制になるかもしれない中で、この一般財源化もどのようにそう金を使われるか分かったものではない。また、仮に福祉関係のようなものに使われたとしても、その福祉財源が不足したら自動車県令税を上げようという単純な発想にもつながりかねない。高速道路などの整備もどうなるんだろ?
一見良いものと思われるものに落とし穴はつきものである。タバコ税の値上げなんかは悲惨である。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
僕はただ 君より遠くを見ていただけなんだ

【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2012年】ツイッターつぶやき
10月17日は「貧困撲滅のための国際デー」だったそうです。
『今年の「貧困撲滅のための国際デー」は、世界人権宣言採択60周年を記念し、「貧困の中で暮らす人々の人権と尊厳」をテーマに掲げています。宣言は「すべての人は、自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する権利を有する」としているからです。』(国際連合)
「すべての人は、自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する権利を有する」これをどのようにとらえればいいのでしょうか?よく日本人はアフリカで餓死している子供たちがいるのに日本は幸せだといった考え方をします。たしかに日本は先進国で貧困があるとはいえその貧困には違いがあるでしょう。しかし貧困というものをこうした視点からだけ見てもよいのでしょうか?
貧困には絶対的貧困と相対的貧困というべきものがあると思います。
絶対的貧困とは餓死などのようなその生命維持にも及ぶ貧困ともいうべきものです。これに対して相対的貧困はその国のGDPの中においての格差からくる貧困です。その国にはある程度の生活の基盤があるにもかかわらず政策の中での格差の拡大において十分な生活を行えない状態です。ですから「自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する」ことができない状態とはそれぞれの国においての格差からくる貧困としても当てはまるものでしょう。
世界の中の絶対的貧困を撲滅することと同時にそれぞれの国においての格差から生まれる総体的な貧困をも撲滅しなければなりません。
先進国では何かしらの形で賃金を受け取ってそれで生計を立てている人そしてその家族が圧倒的に多いと思いますが、その賃金が「自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する」に足るものか、あるいは憲法で保障されている健康で文化的な最低限の生活が保障されている水準かを見る必要があります。
しかし、この最低限の生活以上を国民に保障するのもまた国の責任でしょう。そこに「自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する」生活の中身があるわけです。
ですから国際連合の世界人権宣言は、ある意味格差の是正を言っていることにもなります。その国で生活していくうえで国民すべてがどのくらいの生活を維持できるか、ここから貧困問題も考えて行かねばならないでしょう。
貧困化の増大や国のための国民生活の犠牲を呼びかける政策は明確に否定されなければなりません。
この貧困化の増大や国民生活の犠牲そして切り下げは、経済矛盾として結局は日本の将来を不安なものにしていきます。その一つが少子化問題となっています。今日のテレビ番組にありましたが、フランスでは企業の支出(企業の社会的責任)により、イギリスでは貧困撲滅運動により出生率が上がったそうです。国なり企業がその努力をしないで自己背金的なもので片付ければ日本の出生率は上がらないでしょう。考え方を変えれば先進国の貧困化の問題なわけです。それは金だけではなくて子育てに関係する様々な制度からも。
日本は子育て支援としてその財源を消費増税に求めます。これでは何の改善にもつながらないでしょう。消費増税自体が生活を切り詰めさせる作用があるのですから。大衆課税強化による共助は、貧乏人は貧乏人同士で助け合え、少なくとも中間層も我慢して助けろというもので、広い観点からの国家財政や税収の改善を行わないで公助部分の拡大をしない。
ましてや二大政党はあるいは自己責任論の新自由主義の政党は企業の社会的責任を問うことはしない。
企業が一番少子化問題に困っているわけです。次の世代の労働力を確保できないし、労働力市場原理からして労働力不足は賃上げに結び付くと。そうならば少子化問題にも企業の社会的な責任としての分担が必要でしょう。企業の中でも子育て支援を独自に行っているところもあります。こうしたものを広げる必要があるでしょう。何も子育て支援だけではなくて、貧困化問題もデフレの進化を考えればそこに企業の社会的責任を考慮する時期になっているでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
人参キュウリをなるべく細く千切りにしておきます。
そこにブロッコリースプライトとしらす干しを入れて軽くかき混ぜます。
お蔵オクラをさっと塩湯塩茹でして冷ましてなるべく薄く輪切りにします。
これを先の野菜に入れて、ごま油と塩昆布を入れて和えます。
できあがり。。。。。

何でまた記事を書いている間にログオフになってるの。。。。。ログオンをしたらまた書いたものが消えてしまった。僕の書いたもの。。。。どこに消えたの?

【2014年】ツイッターつぶやき
鳥もも肉は皮を取って薄くそぎ切りにします。
ボールに鶏肉を入れてサケ酒・塩・コショウとで下味をつけて片栗粉でまぶしておきます。
レタスは大きく手でちぎります。
土鍋に水を入れて沸騰したら鳥もも肉を広げながら入れます。
再度沸騰したらレタスを入れて湯に浸しすぐに火を止めて余熱で煮ます。レタスのしゃきしゃき感が残っている間にポン酢と七味唐辛子でいただきます。
肉が柔らかでレタスがしゃきっとして食が進みます。

豊かな国民生活には経済成長が必要か?
経済成長が国民生活を豊かにいしてるか?
そもそも先進国において急速な経済成長が可能か。。。。。?
先進国においての経済成長とは何か?
豊かな国民生活とは何か?
経済においての成長戦略といえば今の日本においてはアベノミクスです。
またアメリカの成長戦略も同じ路線でしょう。
しかしその成長戦略は成功しているといえるか?
企業利益と投資家の利益は拡大をするが国民生活は、格差の拡大と相対的貧困の拡大である。日本もアメリカも経済は立ち直っているとされるが格差の拡大とそこからの相対的貧困の拡大はその成功しているとされる系座の足を引っ張っている。
経済の成長には国民の生活の低下が条件となっている。
ここから導かれる答えは、経済成長は国民生活を豊かにしない。そしてそれは国民生活の豊かさには経済成長はいらないという事となる。
しかし問題はそうは簡単ではない。
国民生活の豊かさのために経済成長が必要でないのかとなると疑問が出るだろう。その疑問に対する矛盾はどこにあるのかといえば、仮に経済成長が必要としても、そのための成長戦略に誤りがあると考えられるのである。今アベノミクスへの懐疑が広がりつつある。それこそアベノミクスの成長戦略が誤っているのではないかという懐疑である。
国民生活を豊かにする経済成長に対する誤った成長戦略が行われるなれてもその恩恵は国民生活に範囲されないという結果となるのである。
要するに国民生活の豊かさに経済成長は必要であるが、その戦略に誤りがあってはならないし、そのような誤りがあるならば経済も成長はしないという事である。
国民の生活の豊かさのためには正しい成長戦略が必要であるという事である。
この成長戦略がどのようなものであるかは、国民の豊かさとは何かを見つけねばならないし、そこに向けた経済政策がまさに成長戦略となるだろう。
資本主義の発展は、それは経済発展でもあるが、生産性の向上と科学技術の発展との螺旋的発展である。この間このブログでも繰り返し書いてきたがこの生産性の向上と科学技術の発達は互いに作用しながら商品価値を下げていくというところにその特徴がある。価格ではなくて価値を低下するという事である。商品価値の低下はその商品をより多くの国民に配分する条件である。それは国民生活を豊かにするだろう。
しかしこの生産性の向上はもう一つの作用がある。労働力の節約である。労働力の節約があるからこそ商品価値は下がるのであるから。この労働力の節約はこれかで失業者を作り出すものであった。しかし本来は労働力の節約は労働時間の短縮としてあらわさねばならなかったのである。労働時間の短縮は国民生活を豊かにするだろう。
そして貨幣量の問題がある。成長には貨幣量の増大だけが必要だろうか?それは間違いで、貨幣量の増大を必要とする前に癌時点の貨幣量をどう回転速度を速めるかを考えねばならないのである。国民・企業・国家へと貨幣がどう早く循環をするかである。血液のようなものである臓器に血液が不足していても輸血をして増やせばいいというものではなく、増やしてもその臓器に血液がなぜ回らないかを解決しなければ何の解決にもならない。血液量は足りているのだからどう循環を速めてその臓器に回すかなのである。血液量が国民生活という臓器に足りなければそこに血液を回すことが必要である。一定の必要な貨幣量は国民生活を豊かにするだろう。同時に循環を速めれば血液量は少なくて済むだろう。
賃金は労働力の再生産費=生活費である。
諸商品の価値が低下するならば生活費は少なくて済む。そこでそうは大きな賃上げをせずに済むようになるだろう。
国家に金が回りその金が所得の再配分としての社会保障に廻れば国民はそうは貯金をせずに済む。
医療費や教育等などに国の金が回れば国民の生活費はさらに減るだろう。
こういった社会を作り上げるための経済学こそが国民生活を豊かにする成長戦略となるだろう。しかしこの場合の成長戦略は今の常識をすっかり変えねば見えてこないだろう。

【2015年】
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
命の尊さ
それは。。。
悲しくせつないもの
倫理観「だけ」からでは考えられない
倫理観「だけ」ならそれは
人ごとという偽善かもしれない
だって命は人の意識にかかわりなく
自然が与えてくれたものだから
倫理観は人の意識です
自然は摂理。。。。。
あえて言うなら。。。。
自分の命のはかなさ
自分の命の尊さ
自分の命を悲しみの中のせつなさに見よう

川上弘美さんの「東京日記 復活。」が更新されました。
命の復活を僕は信じないけど、六道輪廻を時々考える。命の連鎖はあると。。。。
命そのものの連鎖が途切れても、心に残す人がいればそこには残るね。命が。
僕もそうは長い命ではないと思受け思うけど、その時間だけ僕の心に残るんだね。
復活。。。。
そういえば、路地を入ったところに「○○青果店」という看板がある。
しかしその看板の下はファーストフード店になっている。
その前を通るたびに不思議に思っていたのだが、もしかしたらあの生きのいいお姉ちゃんが復活を祈っているのではないか。。。。。
復活してもらいたい。
そしたら、僕も朝、ミソギをして出かけよう(笑)

【2018年】ツイッターつぶやき
買い物に行って今日は何にしようかと思っていたら、急に大根とニンジンのナマスが食いたくなった。この前サバの水煮缶と玉ねぎのサラダを作った時の残りの柚子もあるし作ることにしました。3時ごろに作って一夜漬けです。
味見をしたら酢の酸味と柚子の風味がきいていておいしかったです。
なんだか今日はすっぱいものを食いたくなる体調のようです。
さっき、先日箱買いをしたミカンの中におまけとして入っていた黄色くなったカボスが残っていたので、絞ってはちみつを入れて熱いお湯を注いでホットジュースにしました。
体が温まりますね。。。。。
ブランデーかウィスキーでも入れるとさらに体が温まると思います。白ワインを温めて割ってもおいしいかも。
しかし、なんでこうもすっぱいものを欲しがるのでしょ?
妊娠しているわけでもないし。。。。。
体の体調が欲しがっているんですよね。。。。。きっと。
柚子はまだ残っているのでまた柚子風呂にします。
東京も寒くなりました。今朝は3度でした。
3日ほど腰痛気味でしたが、カボスや酢を多く食べたら気持ち腰が楽になりました。
酢は体を柔らかくすると聞いたことがありますが、腰痛も腰の筋肉が硬くなっているのでしょうから良いのかもしれません。
それとも柚子湯にゆっくり浸かったことがよかったのか?
まぁ、どちらにしても柑橘類や酢は冬にも食べるべきなのかも?
(ブログ記事の「コメント」の横にペンの絵が出ますが、どのような機能があるのか?わからないので自分のブログに利用してみました。さてどんなことになるんだろ?「コメント」との違いは?どなたかの記事のペンのマークで記事を書くと僕のブログに感想を書いたようになるのかな?)

以下、ツイッターからです。
「バカをバカと言って何が悪い」というのはもちろん正義でもなんでもないですし、ただの感情でしかありません。同時にそれは自分の相手をバカ呼ばわりすることでの醜い優越感であったり、時には挑発なのです。この言動を繰り返していても普通の人は陰で笑っているのですが、時には逆ギレに合うでしょう
「バカをバカと言って何が悪い」という考え方からの言動と逆ギレは、逆ギレした方が暴力にでも出れば法的には逆ギレをした方が悪いとなりますが、実はどっちもどっちなんです。言葉の暴力と拳の暴力の違いだけです。ちょっとした相手の不注意などにも逆ギレをするのがバカ、アホ、ボケなんです。
実はこの「バカをバカと言って何が悪い」という思考回路が社会の中で危険なのです。バカ、アホ、ボケからシネまで言葉の暴力を抑えることは難しくて、それが子供の自殺にもなりかねない。大人社会でも同じ。今はSNS時代ですからね。言葉の拡散だけではなくてカメラを向けることも暴力となります。
マスコミも同じで、いい年をした犯罪者の親のところまで押しかけて老人にカメラを向ける。どこか正義あるいは社会を見ている報道に見えるが実は暴力になっていることもある。親の顔を見たい・・・・というのは昔からですが。この点でもSNSも小さなマスコミになっている。
「バカをバカと言って何が悪い」という思考回路は問題にならずに、犯罪につながった逆ギレというものだけが問題になりそれで済まされる社会。
政治や経済でも「自己責任」等などという言葉の暴力はあるでしょう。
社会的な格差を広げておいて弱い部分(政治的にも経済的にも)に自己責任を言うわけですから酷な言葉です。国だけではなくて言葉の暴力にもなります。昨日のテレビを観ていたら、燃料税でもめているフランスを取り上げていた。貧困で「パンを食えないならお菓子を食べればいい」という頓珍漢な王族貴族
たしかマリーアントワネットだったか。。。。。
「自己責任」も同じ類でしょう。
こういった頓珍漢な政治経済の社会では、社会の片隅に「バカをバカと言って何が悪い」というキレた思考回路も出てきます。そしてやはり社会の方海で逆ギレも多くなる。

【2019年】ツイッターつぶやき
今夜はキムチ鍋にしました。
白菜や小松菜そしてマイタケなどの野菜そしてやはりキムチ鍋には豚肉ですなぁ。あとちくわとか牡蠣を入れました。もちろんキムチ。
炬燵でキムチ鍋。。。。。
最高です。
残ったスープにもち麦たっぷりのご飯を入れて、その上にトマトのスライスともとろけるチーズをのせてリゾット風に。リゾットというとおしゃれすぎますからおじやですなぁ。
夜になって気温が上がってきました。昨日は室温13度でしたが今日は16度です。炬燵で鍋を食ったので湿度計が「HI」になってます。風呂上りは少し暑いぐらい。

【2020年】ツイッターつぶやき


好きなネメシアが出ていたので買ってきました。
黄色と薄紫に小さな花がたくさん房になっています。
その色合いからでしょうか、「チョコレートバナナ」と名付けられています。
数年前も赤と赤紫の2色のネメシアネシアを育てたことがあります。
ネメシアは宿根の多年草と一年草があります。
今日買って来たのは一年そうです。数年前のネメシアネシアは宿根で3年ほど咲きました。

         
     ≪花言葉:包容力、正直、過去の思い出≫

【2021年】ツイッターつぶやき
コロナでの需要減少もあり生乳がまりこのままだと5000トンを廃棄するかもしれないそうです。
たしかに何年前だったかバターの不足が言われていたような記憶がありますが、これは国内の酪農家の減少の影響だったのか、TPPにも関係したのかよくわかりませんが、日本の酪農の真の現状はどうなんでしょうか。
また、2011年の原発事故の影響は消費の減少として残っていないのでしょうか?
僕はここ数年バターはニュージーランドのものを使っています。マーガリンの脂の危険性も言われていますし日本のバターの品質はどうなんでしょうか?
輸入で言えば乳製品の原料である脱脂粉乳などは輸入が多いと聞いたことがありますが、TPPがらみで日本は価格面からも輸入に頼らざるを得ない現状はないのでしょうか。
日本の牛乳は生乳としてそのまま飲料とすることが多いのかもしれません。
生産量が多いのでしたら様々な乳製品の原料生産も考えないといけないのかもしれません。一時中国が日本の粉ミルクを買い付けていましたが、中国への輸出はどうなんでしょ?しかし政治的対立がありますからね。

【2022年】ツイッターつぶやき
NHKの「鎌倉殿と13人」も承久の乱に。
平家と源氏が軍事力を持ち平家が政治を動かす。しかし平家も貴族化していく。そこで源氏が平家を滅ぼし鎌倉幕府が誕生する。源氏は貴族化しないで武家国家を目指す。実朝は貴族化しそうでしたがこれは排除される。
鎌倉幕府の力が大きくなるに従い天皇をはじめ貴族階級とぶつかる。
経済的には天皇がすべての土地を持つ経済から地方の開墾の自主性を認めた中で荘園制の経済が生まれる。
この荘園制の中にある貴族の力を削ぐように鎌倉幕府の地頭制度が。
この貴族階級と武士階級の階級闘争の頂点が承久の乱。天皇家や貴族の力が弱くなり、各国は武士の支配へ。承久の乱は革命だったのでしょう。
しかし鎌倉殿と13人の義時はこの革命に躊躇する。前進させたのは尼将軍と泰時。
とはいえ義時は天皇家に対する謀反人となることは避けられない。義時は謀反を理由に大勢の実力者を殺してきた。すると義時自身が謀反者となれば。。。。。
最後は主人公らしい死に方をするでしょうね。死亡原因はいろいろあるようですが、自害が一番かっこうがいい。
でもそれで鎌倉を守れる。同時に天皇家も生き残れる。
武力による社会の支配が武家の社会ではない。武力はいつの世にもあったのですから。武家社会にも経済の発展があり文化を育てた。その中に貨幣経済や承認の力が蓄えられる。武家と商人の階級闘争が高まる。堺の商人はすごい自治力と経済力を持ったそうですね。この階級闘争の頂点が明治維新に。
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