【2024年】ツイッターつぶやき
「〈昼食は必ず500円以内、スタバのフラペチーノを我慢、月1万5000円のお小遣いでやりくり、スマホの機種変で月5000円節約、ウーバーイーツの副業収入で成城石井に行ける、ラーメンが贅沢、サイゼリヤは神、子どもの教育費がとにかく心配……〉」(現代ビジネス)
平均年収は、440万程度でそこから社会保険や税金が引かれる。手取り賃金は減り、円安の悪性の物価高の中で生活をする。上記引用の生活は特別なことではない。
今後も物価は上がっていく。電気やガスそしてガソリンへの補助がなくなっていく。
食糧品原料の値上がりは飲食店全体に値上げの材料に。
1億総中流社会は昔のことです。もちろんよい暮らしをしていたわけではないが、まじめに働けば結婚し、持ち家を立て、子供をどうにか大学へという希望が見えた。これが中流意識につながっていた。しかし今はこの安定した希望が見えない。希望ではなく夢になっているのかもしれない。
日本の貧困化は急激に進んでいる。
≪過去の記事≫
【2004年】
3人の人質の方が解放されませんね。ご家族は大変だと思います。
9日の日記に「しかし今回の事件の真相はまだわからないことばかりです。」と書きましたが、なんとなく今までのアメリカへの戦闘行為と違った側面がありました。今日の報道でもこの点を触れていました。
アルカイダのような本格的な武装集団ではなくてどこかインテリジェンスを持った人たち、あるいは穏健派の人たちがどうにも耐え切れなくなって行ったような気がします。または若い人たちかもしれません。
あと、だいぶ日本の情勢に詳しい人たちのようです。
まだまだわからないところばかりです。
詳しいことがどのような形で判明するかはわかりませんが、今言えることは、日本の国民と何の罪もないイラクの国民が連帯することでしょう。国民同士は何の恨みつらみはないのですから。
日本は殺されることはないにしろ国民生活はずたずたになろうとしています。リストラ効果で大企業は大きな利益を上げて株価も上がりました。国民生活は犠牲にされています。こんな国民の犠牲をそのままにした自衛隊派遣だけが突出して国会の議論、最優先に関連法案が決められていく。イラクでは自衛隊が復興支援とはいえ現実はアメリカの占領を助けています。同盟関係として自衛隊が行くこと自体がアメリカを守っているのです。これ自体がイラクの国民を犠牲にするのです。形は違うにしろ、犠牲にされている国民は連帯をしなければなりません。もちろんこの連帯は平和的なものでなければならず、あらゆるテロに反対しなければないことは言うまでもありません。
【2005年】
出前をたのもうと電話。でも、いつもの対応と違うのです。いつもなら電話番号を言えばすぐに我が家の住所と名前を確認するのですが、今日は、それをやらないで回りくどいような言い方で確認していました。
なるほど。。。個人情報保護法かとピンと来ました。
この個人情報保護法はいろいろな面で感じられるようになりました。
でも、ダイレクトメールはまだあるようです。我が家の住所と氏名を書いた返信用のはがきまで付いてくるダイレクトメールはどんよりしまう。くるたびに丁寧に裁断。。。。ううう・・・
腰痛です。。。
【2006年】
車で出かけ、信号待ちをして、さて青だとアクセルを少し踏んだら、女子高生がノロリと横断歩道を渡り始めた。そっちは赤だろうがぁ。。。と怒りくるってクラクションを少し鳴らしながら睨みつけた。普通だったら渡るのをやめるのが普通の人間だが、平然とこっちを見ながら渡り続けた。
こういうのもぶつけたらこっちの責任だからなぁ。。。。
そう、こういう理不尽なことをしても車が悪いのだ、車のほうの責任だというのが、常識になっているし事実である。
だから悠然と信号が赤だろうが渡り続ける。
たしかに車を運転している奴にもひどいのがいる。
どっちがどっちというわけではないが、どうも人がおかしくなっていることは確かだ。
子供も、自転車で車が来たのを気づきながらいつまでも道路の真ん中を走って邪魔する奴もいるし、今日の女子高生もそうだが、「車のほうが悪いことになる」という意識でずっといたらいつか交通事故にあうだろうなと思ったりもする。昔は、このような危ないことをすれば、親が一緒ならその子供を怒ったものだ。車の運転をしている大人も止まって怒鳴りつけたものだ。今は子供を怒らなくなっているからなぁ。
【2007年】
(記事なし)
【2008年】
今夜は家族そろったので焼肉!
作る面倒がないのでいいです(笑)
でも、後片付けは油がすごくて。。。。
のいに空気清浄機がすごい勢いで回っていました。
相変わらず聖火の記事はすごいですなぁ。車椅子のランナーから聖火を奪い取った?なんかよくわからないのですが、中国の陰謀のような事も。。。。
このようなものこそ、ネットでいろいろな角度の意見を読みたい。
暖かかったり薄ら寒かったり。今日は寒さを感じました。
車の中もエアコンをクーラーにしたり暖房にしたりと忙しい。天気も変わりやすく、会社に傘がたまってしまったり。100円ショップでビニール傘を3本買ってきました。
「生物と無生物のあいだ」 福岡 伸一 著
講談社の雑誌「本」2005年7月号および2006年3月号から2007年6月号に連載され、2007年5月に発行されました。
この著書に出会う前、梨木香歩さんの「ぐるりにこと」と「沼地のある森を抜けて」というエッセイと物語を続けて読んだのですが、人間という生命体は、素粒子という微細な世界から無限とも思われるような宇宙の広がりに中に存在しているわけで、それらすべてがぐるりのこととなります。もちろん人間の認知範囲は狭いもので、この素粒子や宇宙というぐるりの中に山や川などのような自然と同じ生命体として存在している生物の中に認知できる範囲で日常があるわけでしてそれがぐるりのこととなります。しかし人間はその声明の発達の中に心というものも発達させたわけでして、その心の動きから社会を形成し高度に発達した社会そのものも個としてはぐるりのこととなりました。その中において個は、孤独にその生命を維持しようとしています。この孤独にというのは、個に存在する心は個にしか属さないということです。同時にこの孤独は、生命の繁殖においては単細胞分裂のような繁殖が基本にあるということで、個は同じ個を残そうとします。しかし、生命の進化の中に有性繁殖がはじまりました。孤独同士の個が互いに結び合い子孫を残そうとしました。ここには本来孤独であるはずの個が結びつくやはり孤独な個に出会うわけです。生命体は進化をして人間の心に愛というものを形作りました。そしてそれは受精という互いの持つDNAの結びつきでもあります。基本は孤独な個でありますが、その中に心の働きとしての愛に結びつき、生命体としてはDNAに結び付けられながら子孫は生きていく。個は孤独であると同時に結び付けられていく。孤独という部分ではぐるりのことは、時にはむごい世界に生きなければならないが、同時にに人間だけが愛に結び付けられる可能性を持っている。
こんなことを考えると、人間というものは、素粒子の世界から宇宙という広がりの中にあるある一点でしかない地球という自然の中に存在し、その地球の自然の中においてもある一点である生命に存在し、その生命という中においてもその進化の頂点というある一点に存在するする事の不思議を思います。
そんなときに、この本が本屋さんの棚で目にとまりました。
新書という本は、それぞれの学問の中においての一線に立つ方の著書で、その専門の学問を世間一般の読者にわかりやすく説明をすると共に興味を抱かせる本ではないかと思いますし、その大衆性においてという範囲ですが読者に考えさせる本でもあります。このような意味において、狭いかもしれませんが啓蒙書という性格を持っています。しかし啓蒙という人の心に問いかける著書のはずがその人の心を忘れたような読後感がある本も時にはあるのかと思います。
その意味では、この本は、やさしく生命とは何かを読者に示すと同時に下手な啓蒙はなく読者の心に問いかけるものがあります。その問いかけに読者は考えさせら自分で考える中に福岡さんの生き方や考えを学びとります。科学というと心とはまったく無関係な世界を取り扱うようですが、その中に人の心を感じさせてくれるものがあります。それは文学性というものかもしれません。時には文系という人よりも理系の人のほうがその冷静な分析力から客観性からすばらしい文章が出てくることがあるのではないでしょうか。本来文系といわれる哲学や社会科学、文学や法律などさまざまな分野においてもそれを専門の学問と位置づけるならば、それは科学でなければならないし、冷静な分析と客観性から読者に問いかけられるべきです。その分野での学問的な意味においての大衆相手の軽薄な啓蒙書ではないはずです。
と、なんだか前置きが長くなりましたが、読んでいていろいろと考えさせられたり、関連させて読むことが出来る本という意味でも素敵な本だと思います。
生命科学に立ち入った感想やDNAの構造など、その専門的なものへの感想というものは当然書けないわけでして、DNAというのはこういうものかというものなど知識は知識として勉強をさせていただきます。
この本の本題は、「生命とは何か?」にあります。この命題は、福岡さんが大学に入ってからずっと考えていらしたものだそうです。僕たちも日常ぐるりのことを見回して、ありを見れば生物、石を見れば無生物となんとなくわかりきったように思っています。しかし「生命とは何か?」という根本的なものを明示するとなると専門家でも難しいようです。生物と無生物のあいだの境界線がどこにあるのでしょうか?
福岡さんは書きます。
「『生命とは何か?』それは自己複製を行うシステムである。20世紀の生命科学が到達した一つの答えがこれだった。」(4ページ)
「自己複製を行うシステム」なんか素人にもわかりきった言葉ですね。ありは子孫を残して息ありという生物は存在していくが、そこにある石は割れたらそのままでいつか砂のようになり消滅するかもしれない。わかりきったことではないかと思うわけです。ところが科学者は、このような素人が目に見て当たり前のことでは清まされない。「自己複製するシステム」という自己複製するものがなぜかが解明されなければこの結論は出せないわけです。その解明のための生命科学が「20世紀の」という言葉にあるように難しいものであったということです。
この本では、まさにこの20世紀を通じて生命とは何かを見つめる科学者の姿が描かれています。もちろんそれは、「生命とは何か」というテーマで研究されたわけではなく、生命科学の中の細分化された一つ一つばらばらな研究や、関連科学の研究成果と結びつきながら改めて生命とは何かと問うた時に出せれる答えです。
その歴史を福岡さんは科学の知識をわかりやすく説明しながら到達過程を描いていきます。しかし、その科学を発達させるには、科学者の研究態度というのでしょうか、科学的方法と実験設備の発達に依拠している事も合わせて書いています。野口英世の話はおもしろいですね。日本では、僕の子ども時代もそうでしたが、貧しい農家に生まれながらもえらい先生になったという自伝がたくさん教え込まれました。しかし、アメリカでの評価となるとそうではない。野口英世には、顕微鏡の精度というような当時の限界をあるとしながらもその研究方法をあんがい批判をされているようで、日本人のイメージとは違うものがありました。福岡さんは、正しい結論を導くための研究方法と科学者の態度を書いています。科学事態の発展は、科学機器の発展と科学者自身の研究方法や態度の発展でもあったのかと理解できます。
そして科学者も人の子。
大学や学会という人の世に生きているわけでして、ノーベル賞という最高位を目指して競争をしています。科学者は寝ずに研究をする。研究自体のおもしろさと同時に、いち早く研究成果を人より先に発表をしたいと。
科学や科学者の研究方法と態度、そして人の部分としての功名心や競争。この辺が「生命とは何か」を導き出す歴史としてもスリリングな文章に打たれます。
しかし、多くの科学者は地道さゆえにスポットライトを受けることがないままに亡くなってもいる。すばらしい研究成果であるにもかかわらずに、人に利用されるだけど終わってしまう科学者。福岡さんは、こんな科学者に鎮魂の温かい言葉をかけているようでした。また、サーファーがDNA研究を飛躍させる実験装置を作ったなどという科学の世界の偶然さも描いています。脚光を浴びる科学者の裏に一生黒子として働く研究者の誇り高き人々も。
このようなさまざまな出来事が描かれている文章に福岡さんの心が見える思いです。
それがほんと、スリリングなのです。もしかしたら推理小説ファンもうなるかもしれませんよ(言いすぎかな)
このように20世紀の歴史の中で生命とは「自己復元を行うシステムである」という結論があられたわけですが、この結論から今の世の中で研究をされている福岡さんが、何を新たに付け加えようとしているのか。
ここがまたこの本の考えさせられるところです。たしかに「生命とは自己復元を行うシステムではあるが、福岡さんはエピローグに書きます。
「生命という名の動的な平衡は、それ自体、いずれの瞬間でも危ういまでのバランスをとりつつ、同時に時間軸の上を一方向にたどりながら折りたたまれている。」(284ページ)
自己復元は、細胞は常にエントロピーの法則で壊されるが、食べるという行為によって新たな細胞が復元される。このことによって総体は自己復元をされるということでしょう。だから自分という人間は、まぁ老化していくということに向かうにしろ自己復元の中で常に細胞は入れ替わり、一時も同じ自分ではない。これが時間軸上に一方向に向かっていくということでしょう。この時間軸上に織り込まれたものは二度と解くことが出来ないとも。不可逆性とも。
生命は自然の法則の中に。人間はその中の一点でしかないのでしょう。
そしてぐるりのこと。
人は外界から切り離せない個であるという事は、ぐるりのこととの融和が自然の姿なのでしょうね。人は社会的には不幸な歴史を持つ。しかし時間軸の不逆性から常に世代という細胞を新たにしながら融和の方向に流れるしかない。エントロピーって、こういうことかな。。。。それは一つの終末だけど、それは不幸な歴史の終末かも。自然に忠実に時間軸を流れていきたい。
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
去年漬けたラッキョウがまだ少し残っているのですが、飴色になり味もまろやかになっていました。
やはり去年漬けた梅干もしっとりとしておいしくなりました。一昨年の梅干はこの前最後の1個を食べ待てしまった。
また初夏の頃に漬け込みたいと思います。
ラッキョウは、スーパーのものは小粒で粒もそろっていないので今年はどこかの産地に行き粒ぞろいのものを買いたいのですが、国産というのは少ないのかな?ネットで調べても直販するようなところがでてきません。うん。。。。まだ収穫の季節ではないですからね。マメに調べてドライブがてら買出しに行きたいと思います。
関東近辺の産地というのはどの辺だろ?
梅は去年にあるサービスエリアで大きくて梅干用に熟したものが売られていました。梅干用の梅もほんとその旬は一瞬なんですよねぇ。。。
早めに広口ビンなどを用意をしておき、いまだ!!というときに産地に買いに行きたいです。
ラッキョウはあと2回ぐらい食卓に乗せられるかな。。。。。
梅干はまだたくさんあり、友人にあげたりしました。。。。
おぼろ月気づかぬほどに静まれり
ぼんやりと流れぬ雲の月の色
そよそよと夜道の桜咲きおりて
花びらは感じぬ風に散り降りる
ひんやりと心に沁みるおぼろ月
月明り雫となって落ちにけり
ほんのりと涙ほどにあたたかし
気付かずに雫を受けし心かな
また一枚桜の花は舞い降りて
くるくると迷わすほどに光りおり
手のひらにはじける光涙色
悲しみの心に沁みておぼろ月
降りそそぐ雫と光悲しみの
宵の道うつむく肩を包み込む
あたたかき沁みる涙や誰流す
うっすらと受けし心やその気配
振り向けば夕方の精消えにけり
【2011年】ツイッターつぶやき
銀色夏生著「ひとりが好きなあなたへ」(幻冬舎文庫)が昨日発売になりました。
ご自身が作った万華鏡の世界を写真に写しその写真との詩集です。万華鏡を覗くその世界は心の内面。
昔出版された「流星に人」は、語りかけるような散文詩というような本でしたが、今回も同じように語りかけているような詩集でした。
一気に読み終わりました。
またじっくりと読み返します。
【2012年】ツイッターつぶやき
北朝鮮のロケットが発射されましたが、これがミサイルならば日本の上空を通り過ぎるまでに10分から20ぐらいだそうですから情報というものは大切なものですね。福島原発の事故時にもこの情報の不足が問題になりましたし。
ツイッターでは福島の4号機の状態について昨夜からたくさんのツイートがあり現在もいろいろな情報が入ってきています。様々な不安を感じる状況のようですし、一方では水温上昇は1号機のほうだったという情報も。東電の記者会見もあったそうですが、テレビなどのニュースには出てきません。
情報というのは正しいものを速やかに正確に伝えるものと原則としてはあるのでしょうが、あんがい人の特に政治家や専門家というフィルターを通ると「国民に安心を与える」等という操作も入りますし国益も入ってくる。そしてそこから発表までには相当な時間がかかるようになる。
北朝鮮のロケットが成功していたならばとっくに上空を通り過ぎてから発射されたと情報が流れていたことになります。自衛隊にはアメリカの情報なりからのものは伝わったのかもしれませんが、自治体を通した国民へは。。。。マスコミの一番早い報道は何時ぐらいだあったのでしょうか。
【2013年】ツイッターつぶやき
米財務省「競争力高めるための円安やめさせる」 http://5.tvasahi.jp/000003634?a=news&b=ni … 今の株高・円安に浮かれている言動を見れば、どう見たって円安誘導としかうつらないでしょう
アメリカが日本に対して国内消費を増やせという場合はTPPにも関連しそうですから注意が必要ですね。日本がやるべきはこれまで賃金が下がり続けていたものを回復するためのシステムの再構築です。政府が財界にお願いしてボーナスで金をばらまくだけではなくて派遣法廃止などのような政策でも。
日本型経営システムとその批判となると昔の終身雇用制のようなものに目を向けるが、この意味でのシステムは日本を高度成長させた。問題視しなければならないのは西洋かぶれと賃下げで利益を生み出そうとしたシステムであり、ここに今の日本型経営システム批判を置くべきでしょう。
経済学者の中には、いまだに日本型経営システム批判を昔の終身雇用や正社員性に置くが、そうではなくてバブル崩壊後の「正社員削減・賃下げによる生産性の向上」という誤った経済政策に批判を向けるべきでしょう。
日本型経営システムとは正社員削減・賃下げによる生産性の向上。正社員とは日本的であるが、非正規社員と正社員を差別化しているのは企業であり、そのために正社員と非正規社員という階層ができあがってしまったこと自体が日本型である。非正規社員の条件が正社員並みなら正社員という意義も薄れる。
(以上ツイッターから)
たしかにまだ日本には終身雇用制といったものが残っていますが、これを崩していったのが正社員の減少と非正規雇用者の増加という形をとり、同時にそれは労働者の平均賃金を下げる役割をしました。この経過の中に日本型の経営システムの変化を見ることができるでしょう。
終身雇用制から非正規雇用の増加が一つの日本型の経営システムの移り変わりとみていいでしょう。
ですからいま現在の政治や経済を雇用や賃金から語るには終身雇用制が崩れていき非正規雇用という低賃金化がすすめられたという状態として見なければならないでしょう。そして残る正社員をさらに解雇規制の緩和や40歳定年制などという形で減らす方向に動いているとして見なければならないでしょう。そして賃金もさらに減少していく。
企業経営は国内のこのような経営システムの変化と国外の安い労働力によって競争に打ち勝つという大きな意味での日本型の経営システムをつくりだした。
この中でデフレをはじめ格差の拡大という大きな経済的矛盾をつくりだしたわけです。本来の経済的な面での生産性の向上は世界共通かもしれません。しかし日本の特殊性はこの生産性の向上を賃下げによって行ったhttp://lidai.asia/node/760?language=ja …という事に関連するかもしれません。
ですからいま現在の経済的な矛盾をどう改善するかという面での日本の経済システムを言う場合、そしてその批判を行う場合は、終身雇用制・正社員という古くからあったものを破壊をして作り上げられた「正社員削減・賃下げによる生産性の向上」という生産システムに向けなければならないという事です。ここを見ないでデフレの脱却も経済の再生もないでしょう。現在の経済学はここからはじめなければならないでしょう。
そう見るとリフレ経済学やアベノミクスでは矛盾解決にはならないという事であり、さらに推し進められるアベノミクスでの労働の規制緩和はさらに日本の経済の混乱を産むのではないかという危惧が出てきます。
早くも国外からも日銀の金融政策は円安誘導(通貨安競争)とも疑問視されて、少なくとも国内の内需拡大を迫られている状態です。円安・株高も今のままでの円安誘導では通用しないでしょう。
【2014年】ツイッターつぶやき
スーパーに買い物に行きました。
最近は以前に比べればレジに並ぶ中高年の男性が多くなったような気がします。高齢化によって家事労働全般を行う男も増えているのかもしれませんね。
レジに並ぶと僕の前に僕より10歳ほど若い男がレジを済ませていました。
「3263円です」
レジの女性が淡々と言う。
男は金を支払いおつりをもらったら籠の中身とレシートを2回ほど見比べていました。確かに籠の中身は少ないほうでしょう。後ろから見ていても確かに籠の中身とレジに表示された3263という数字を見比べてしまいます。
そして僕の順番。。。。
僕の籠には先ほどの男に比べてもそうとう品数は少ない。
「2032円です」
レジの女性が淡々と言う。
やはり僕も籠の中身をもう一度確認してレシートを見つめてしまいました。
やはり物価上昇というのはよくないんです。
それも景気が好転して賃金や年金そして社会保障の受け取る額が増えて消費が伸びその中でのインフレ傾向ならばまだよいのですが、今はこのインフレを引き起こそうとした悪性の物価高ですからね。円安による輸入品目の値上げと消費増税による値上げが含まれた物価高ですから。
物価高というのはよくないんです。
こんなことを書くと「お前はデフレ派か?」といわれそうです(笑)
現在のような悪性の物価高に反対をする者はデフレ派だといったレッテルを貼られるなら甘んじてそれを受けますが、僕がデフレ派ならば相手をデフレ派とレッテルを張る方はインフレ派なわけですが、そのインフレ派は悪性の物価高を容認するのでしょうか?
僕の記憶ではアベノミクスや異次元緩和が行われ始めたころは「インフレ目標」という言葉を使っていたような気がします。今では「物価安定目標」でしょうか。。。。。その意味ではインフレ派ではなくて成長戦略派だと言うのかもしれませんね。しかしオヤジたちが籠の中身とレシートを何度も見つめなおすような悪性の物価高が成長戦略なのでしょうか?もちろん毎日買い物をするおばちゃんたちも同じでしょう。どう見ても今の実態が成長戦略とは言いがたいでしょう。成長どころか悪性の物価高はデフレを強めることにつながるかもしれないという懸念が強くなっています。仮に悪性の物価高が進んでも日用品や生鮮食料品などがまた値下げ傾向を示したならば、それがデフレ傾向となるわけで、インフレは・成長戦略派の方々こそがデフレ派となってしまいます。
そうするとデフレ派といわれる人々が成長戦略派となることにつながる可能性があるということです。
デフレ派といわれますが何もデフレを歓迎したりするわけではなくて単に物価だけを見てデフレだインフレだという結論を見るのではないということです。物の値段が下がるということは消費が進むということです。賃下げ傾向にあっても物価が低いからある程度の消費は維持されるということです。そこに賃上げがあったならさらに消費は伸びるでしょう。消費が伸びれば企業の設備投資も伸びていく条件が出ます。ちょうどインフレ派や成長戦略派とはさかさまな方法で成長を維持しようとすることになりある意味本来の成長戦略はあるいは安定成長はといえます。
おぼろ月気づかぬほどに静まれり
ぼんやりと流れぬ雲の月の色
そよそよと夜道の桜咲きおりて
花びらは感じぬ風に散り降りる
ひんやりと心に沁みるおぼろ月
月明り雫となって落ちにけり
ほんのりと涙ほどにあたたかし
気付かずに雫を受けし心かな
また一枚桜の花は舞い降りて
くるくると迷わすほどに光りおり
手のひらにはじける光涙色
悲しみの心に沁みておぼろ月
降りそそぐ雫と光悲しみの
宵の道うつむく肩を包み込む
あたたかき沁みる涙や誰流す
うっすらと受けし心やその気配
振り向けば夕方の精消えにけり
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2018年】ツイッターつぶやき
gooお題「お気に入りの喫茶店はありますか?」
ここ20年ぐらいで二つの喫茶店がなくなり二つのチェーン店ができました。
喫茶店がなくなり淋しいという気持ちは正直言ってありません。というのもあまりコーヒもうまいといったわけではなかったので。
まだ2件の喫茶店が残っているので久々に行ってみようかぁ。。。。。。
喫茶店の良いところはやはり喫煙自由。。。。。。
そしてマスターやママさんとお話もできる。
おっと、モーニングセットも魅力ですなぁ。。。。。
どうしても忘れられない喫茶店があります。
上の喫茶店の良いところ三つが兼ね備えられていて、ママさんは美人で、そのうえコーヒー専門店並みの美味しいコーヒーがありました。
転勤をするまで通いつめました。
1時間ほど読書したり・・・・・・
あの時間はもう戻ってきませんなぁ。。。。。。。
現在バブルの崩壊の危機にあります。
もちろんバブルといっても80年代のバブルとは全く違い、冷たいバブルです。国民生活に好景気という実感はまったくありませんから。企業収益の増加と株価の高騰そして低所得層はもちろん中産階級の没落を伴いながら富裕層は生き残る。
しかし企業収益といっても本業の物ではない。
銀行は苦しむ。
この冷たいバブルもバブルであることには違いはない。
バブルは格差を拡大しながら経済の好転へ向かう。バブルと格差の拡大(絶対的にも相対的にも)常に一帯の物なのです。
今の経済は十分にこの格差の拡大を成し遂げたうえでの好景気です。好景気と同時にデフレ圧力が常に作用する。ある意味スタグフレーションです。
冷たいバブルも金余り現象です。もちろん企業や富裕層そして株式などに。貨幣資本が資本に転嫁できない状態です。これが顕在化すると同時に悪性の物価高を伴いながら個人消費が急激に衰えていきます。金持ちが消費をすればいいというバカなことではなくて、大衆消費材の消費が落ちていくのです。商品は最終的には大衆消費材に価値移転しなければならない。
政治も「安倍政権への期待」というバブルが崩壊しました。議員や官僚の資質は「安倍内閣への期待」というバブルによって堕落しています。
【2019年】ツイッターつぶやき
WTOが韓国の日本産の水産物の輸入制限問題で日本は逆転敗訴したようです。
これは韓国だけではなくて制限の中身は違いますが多くの国において制限がされている。
原発事故については心配ないという人もいますが、現実に住めなくなった地域が出てそしてその他の地域でも大規模な除染がされた。東京においても事故直後に水道水から高いレベルの汚染が確認されて赤ん坊のミルク用にペットボトルが配布された。
水産物も汚染は確認されている。
この中で、日本では緊急事態のような中で食品の基準値が決められて流通されている。
この中で海外の国々が輸入制限を行うことは当たり前なのかもしれない。
日本国内と同じ状態で諸外国に輸入をというのは無理があるでしょう。
事故の被害を受けた方は大変な状態でしょう。しかしそれがわかっていても水産物などが売れないことを風評被害打では済まされないでしょう。
これからどのくらい長い間この苦しい社会が続くのでしょうか。
【2020年】ツイッターつぶやき
以下ツイッターから
ゼーゼー、ハーハー死ぬほど苦しまないうちは検査してもらえない。
これを軽症というのでしょうか?
死亡者、重症者、ゼーゼー、ハーハー死ぬほど苦しむくらいの軽症者そして追跡検査で引っかかった無自覚者などだけの感染者数何ですね。
低いわけです。
あと検査してもらえない人は、感染者としてカウントされないで自己責任で自宅でおこもり。
今後後遺症が出てきた場合検査されなかった人は大変です
すると、日本の感染者数自体が相当大きな数になるととらえたほうがいいと思いますね。
死亡、重症、軽症の数が、諸外国で発表されている感染者数の割青から見なくては日本の実態はわからないですね。
ほとぼりが冷めるまで、おこもりで隠れた感染者を自宅に隠しておくという日本か?
もし、僕のこの連続ツイートが正しいとした場合、検査もしてもらえない国家というのは、非人道的ではないでしょうか?
テレビで感染の恐れがあると邸宅で自主隔離をしていた芸能人の姿が報道されていましたが、もしかしたら狭いアパートで隠れるように一家3人でひっそりと不安を持ちながら自主隔離。
想像してみてください。経済的支援もない中でもし自分の家族が自主隔離を言われたら。。。。
世間に知られては困るし、検査もしてもらえないし。
非人道的なんです。
国や都も自宅でこもっていろというのが緊急事態措置の中身です。
コロナウィルスへの戦いの最前線は医師そして看護師をはじめとした医療従事者の方だと思います。
感謝いたします。
同時に社会を維持するために戦っているのは、日夜日常生活を維持するために労働をしている皆さんです。
総力戦ですね。
政治家の皆さんそして官僚の皆さん、まじめになってください。
【2021年】ツイッターつぶやき
今日、大阪では新規感染者数が1000人を超えました。そして医療はひっ迫状態です。
この中で間が悪いというのか、大阪で2日間の聖火リレーでした。
テレビニュースを見ていると芸能人がひきつったような表情で成果をつなぎました。
とは言っても市中を走るのではなくて1周3キロの公園内を一人数百メートル走ったようです。
応援をする市民を締め出して関係者とマスコミだけの聖火リレーだったようです。
このニュースを見ていて頭に浮かんだ言葉が「堂々めぐり」です。
お坊さんがお堂をぐるぐる回ることが語源らしいですが、オリンピックという神や仏さんの周りをぐるぐると回る。
コロナ感染対策はこの1年の総括からの対策もなくまた大きな波がやってきました。
堂々巡りです。
去年はこの感染拡大をどうにか鎮めて「コロナに打ち勝った証としてのオリンピック」が言われましたが、結局は延期せざるを得ませんでした。そしてあれから1年が過ぎようとしていますが、結局コロナに打ち勝ったという状態は作れないでしょう。すでに緊急事態宣言もマンボウも掛け声という精神論になってしまいました。
去年と何も変わっていない。
堂々巡りです。
堂々めぐりという言葉は「うんざりする」「あきれてしまう」という印象を持っています。
国民も国や自治体から個人責任(自己責任)のために緊急事態宣言やマンボウという掛け声かけられ、うんざりあきれるような対策を示されています。一方では検査体制も改善されず医療体制も改善されずそしてワクチンへの信頼もないままそのワクチンすら接種の状況は世界から見てみすぼらしい状態です。
この中での聖火リレーですからこれも精神論的なものでうんざりあきれる状態です。
このような中で国民の税金は湯水のごとく使われているんでしょう。。。。。。
【2022年】ツイッターつぶやき
一時的に1ドル126円と円安になったようです。
日本が為替介入を考えざるを得ない状態ですが、金融政策が中心の経済ですからね。アベノミクス・日銀緩和がはじまり円安急激な円安になりましたが、この時はむしろ円安は歓迎された。輸出産業に有利とされ株価も急上昇したのですから。その後も日銀の金融緩和で円安傾向が進められたが経済は浮上しなかった。そのうちに円安に警戒感で出はじめて輸入物価の上昇により輸出産業も苦しくなった。こうなると日本経済の後退が明らかになるわけですからこの経済状態から円も弱くなる。日本の経済はさらに苦しくなった。
日銀も金融緩和の副作用を意識していましたがその改善のために引き締めには移れなかった。金融緩和の出口という言葉を口にするだけで株価は下がる。もう、出口に向かえば円高の作用があるでしょうが、金融緩和の出口に向かう体力もなくなっているのかもしれない。
【2023年】ツイッターつぶやき
朝飯を食い終わったらテレビでJアラートのニュースが。
北海道道民に避難を明日ルカ地べたにうつ伏せして頭を抱えろと。。。。。
どうも北海道に着弾するような言い方でした。
以前にもがせねただったし、同じようなことがあったのでそうは驚かずにテレビを見ていた。
その後政府は訂正をしたそうです。
北朝鮮のミサイルが落ちてくる。この間違った分析から敵基地反撃能力を持った場合どうなるんでしょ?
北朝鮮は日本が攻めてくるという恐怖以上に間違って反撃するかもしれないという恐怖の方が強くなるかも?
「〈昼食は必ず500円以内、スタバのフラペチーノを我慢、月1万5000円のお小遣いでやりくり、スマホの機種変で月5000円節約、ウーバーイーツの副業収入で成城石井に行ける、ラーメンが贅沢、サイゼリヤは神、子どもの教育費がとにかく心配……〉」(現代ビジネス)
平均年収は、440万程度でそこから社会保険や税金が引かれる。手取り賃金は減り、円安の悪性の物価高の中で生活をする。上記引用の生活は特別なことではない。
今後も物価は上がっていく。電気やガスそしてガソリンへの補助がなくなっていく。
食糧品原料の値上がりは飲食店全体に値上げの材料に。
1億総中流社会は昔のことです。もちろんよい暮らしをしていたわけではないが、まじめに働けば結婚し、持ち家を立て、子供をどうにか大学へという希望が見えた。これが中流意識につながっていた。しかし今はこの安定した希望が見えない。希望ではなく夢になっているのかもしれない。
日本の貧困化は急激に進んでいる。
≪過去の記事≫
【2004年】
3人の人質の方が解放されませんね。ご家族は大変だと思います。
9日の日記に「しかし今回の事件の真相はまだわからないことばかりです。」と書きましたが、なんとなく今までのアメリカへの戦闘行為と違った側面がありました。今日の報道でもこの点を触れていました。
アルカイダのような本格的な武装集団ではなくてどこかインテリジェンスを持った人たち、あるいは穏健派の人たちがどうにも耐え切れなくなって行ったような気がします。または若い人たちかもしれません。
あと、だいぶ日本の情勢に詳しい人たちのようです。
まだまだわからないところばかりです。
詳しいことがどのような形で判明するかはわかりませんが、今言えることは、日本の国民と何の罪もないイラクの国民が連帯することでしょう。国民同士は何の恨みつらみはないのですから。
日本は殺されることはないにしろ国民生活はずたずたになろうとしています。リストラ効果で大企業は大きな利益を上げて株価も上がりました。国民生活は犠牲にされています。こんな国民の犠牲をそのままにした自衛隊派遣だけが突出して国会の議論、最優先に関連法案が決められていく。イラクでは自衛隊が復興支援とはいえ現実はアメリカの占領を助けています。同盟関係として自衛隊が行くこと自体がアメリカを守っているのです。これ自体がイラクの国民を犠牲にするのです。形は違うにしろ、犠牲にされている国民は連帯をしなければなりません。もちろんこの連帯は平和的なものでなければならず、あらゆるテロに反対しなければないことは言うまでもありません。
【2005年】
出前をたのもうと電話。でも、いつもの対応と違うのです。いつもなら電話番号を言えばすぐに我が家の住所と名前を確認するのですが、今日は、それをやらないで回りくどいような言い方で確認していました。
なるほど。。。個人情報保護法かとピンと来ました。
この個人情報保護法はいろいろな面で感じられるようになりました。
でも、ダイレクトメールはまだあるようです。我が家の住所と氏名を書いた返信用のはがきまで付いてくるダイレクトメールはどんよりしまう。くるたびに丁寧に裁断。。。。ううう・・・
腰痛です。。。
【2006年】
車で出かけ、信号待ちをして、さて青だとアクセルを少し踏んだら、女子高生がノロリと横断歩道を渡り始めた。そっちは赤だろうがぁ。。。と怒りくるってクラクションを少し鳴らしながら睨みつけた。普通だったら渡るのをやめるのが普通の人間だが、平然とこっちを見ながら渡り続けた。
こういうのもぶつけたらこっちの責任だからなぁ。。。。
そう、こういう理不尽なことをしても車が悪いのだ、車のほうの責任だというのが、常識になっているし事実である。
だから悠然と信号が赤だろうが渡り続ける。
たしかに車を運転している奴にもひどいのがいる。
どっちがどっちというわけではないが、どうも人がおかしくなっていることは確かだ。
子供も、自転車で車が来たのを気づきながらいつまでも道路の真ん中を走って邪魔する奴もいるし、今日の女子高生もそうだが、「車のほうが悪いことになる」という意識でずっといたらいつか交通事故にあうだろうなと思ったりもする。昔は、このような危ないことをすれば、親が一緒ならその子供を怒ったものだ。車の運転をしている大人も止まって怒鳴りつけたものだ。今は子供を怒らなくなっているからなぁ。
【2007年】
(記事なし)
【2008年】
今夜は家族そろったので焼肉!
作る面倒がないのでいいです(笑)
でも、後片付けは油がすごくて。。。。
のいに空気清浄機がすごい勢いで回っていました。
相変わらず聖火の記事はすごいですなぁ。車椅子のランナーから聖火を奪い取った?なんかよくわからないのですが、中国の陰謀のような事も。。。。
このようなものこそ、ネットでいろいろな角度の意見を読みたい。
暖かかったり薄ら寒かったり。今日は寒さを感じました。
車の中もエアコンをクーラーにしたり暖房にしたりと忙しい。天気も変わりやすく、会社に傘がたまってしまったり。100円ショップでビニール傘を3本買ってきました。
「生物と無生物のあいだ」 福岡 伸一 著
講談社の雑誌「本」2005年7月号および2006年3月号から2007年6月号に連載され、2007年5月に発行されました。
この著書に出会う前、梨木香歩さんの「ぐるりにこと」と「沼地のある森を抜けて」というエッセイと物語を続けて読んだのですが、人間という生命体は、素粒子という微細な世界から無限とも思われるような宇宙の広がりに中に存在しているわけで、それらすべてがぐるりのこととなります。もちろん人間の認知範囲は狭いもので、この素粒子や宇宙というぐるりの中に山や川などのような自然と同じ生命体として存在している生物の中に認知できる範囲で日常があるわけでしてそれがぐるりのこととなります。しかし人間はその声明の発達の中に心というものも発達させたわけでして、その心の動きから社会を形成し高度に発達した社会そのものも個としてはぐるりのこととなりました。その中において個は、孤独にその生命を維持しようとしています。この孤独にというのは、個に存在する心は個にしか属さないということです。同時にこの孤独は、生命の繁殖においては単細胞分裂のような繁殖が基本にあるということで、個は同じ個を残そうとします。しかし、生命の進化の中に有性繁殖がはじまりました。孤独同士の個が互いに結び合い子孫を残そうとしました。ここには本来孤独であるはずの個が結びつくやはり孤独な個に出会うわけです。生命体は進化をして人間の心に愛というものを形作りました。そしてそれは受精という互いの持つDNAの結びつきでもあります。基本は孤独な個でありますが、その中に心の働きとしての愛に結びつき、生命体としてはDNAに結び付けられながら子孫は生きていく。個は孤独であると同時に結び付けられていく。孤独という部分ではぐるりのことは、時にはむごい世界に生きなければならないが、同時にに人間だけが愛に結び付けられる可能性を持っている。
こんなことを考えると、人間というものは、素粒子の世界から宇宙という広がりの中にあるある一点でしかない地球という自然の中に存在し、その地球の自然の中においてもある一点である生命に存在し、その生命という中においてもその進化の頂点というある一点に存在するする事の不思議を思います。
そんなときに、この本が本屋さんの棚で目にとまりました。
新書という本は、それぞれの学問の中においての一線に立つ方の著書で、その専門の学問を世間一般の読者にわかりやすく説明をすると共に興味を抱かせる本ではないかと思いますし、その大衆性においてという範囲ですが読者に考えさせる本でもあります。このような意味において、狭いかもしれませんが啓蒙書という性格を持っています。しかし啓蒙という人の心に問いかける著書のはずがその人の心を忘れたような読後感がある本も時にはあるのかと思います。
その意味では、この本は、やさしく生命とは何かを読者に示すと同時に下手な啓蒙はなく読者の心に問いかけるものがあります。その問いかけに読者は考えさせら自分で考える中に福岡さんの生き方や考えを学びとります。科学というと心とはまったく無関係な世界を取り扱うようですが、その中に人の心を感じさせてくれるものがあります。それは文学性というものかもしれません。時には文系という人よりも理系の人のほうがその冷静な分析力から客観性からすばらしい文章が出てくることがあるのではないでしょうか。本来文系といわれる哲学や社会科学、文学や法律などさまざまな分野においてもそれを専門の学問と位置づけるならば、それは科学でなければならないし、冷静な分析と客観性から読者に問いかけられるべきです。その分野での学問的な意味においての大衆相手の軽薄な啓蒙書ではないはずです。
と、なんだか前置きが長くなりましたが、読んでいていろいろと考えさせられたり、関連させて読むことが出来る本という意味でも素敵な本だと思います。
生命科学に立ち入った感想やDNAの構造など、その専門的なものへの感想というものは当然書けないわけでして、DNAというのはこういうものかというものなど知識は知識として勉強をさせていただきます。
この本の本題は、「生命とは何か?」にあります。この命題は、福岡さんが大学に入ってからずっと考えていらしたものだそうです。僕たちも日常ぐるりのことを見回して、ありを見れば生物、石を見れば無生物となんとなくわかりきったように思っています。しかし「生命とは何か?」という根本的なものを明示するとなると専門家でも難しいようです。生物と無生物のあいだの境界線がどこにあるのでしょうか?
福岡さんは書きます。
「『生命とは何か?』それは自己複製を行うシステムである。20世紀の生命科学が到達した一つの答えがこれだった。」(4ページ)
「自己複製を行うシステム」なんか素人にもわかりきった言葉ですね。ありは子孫を残して息ありという生物は存在していくが、そこにある石は割れたらそのままでいつか砂のようになり消滅するかもしれない。わかりきったことではないかと思うわけです。ところが科学者は、このような素人が目に見て当たり前のことでは清まされない。「自己複製するシステム」という自己複製するものがなぜかが解明されなければこの結論は出せないわけです。その解明のための生命科学が「20世紀の」という言葉にあるように難しいものであったということです。
この本では、まさにこの20世紀を通じて生命とは何かを見つめる科学者の姿が描かれています。もちろんそれは、「生命とは何か」というテーマで研究されたわけではなく、生命科学の中の細分化された一つ一つばらばらな研究や、関連科学の研究成果と結びつきながら改めて生命とは何かと問うた時に出せれる答えです。
その歴史を福岡さんは科学の知識をわかりやすく説明しながら到達過程を描いていきます。しかし、その科学を発達させるには、科学者の研究態度というのでしょうか、科学的方法と実験設備の発達に依拠している事も合わせて書いています。野口英世の話はおもしろいですね。日本では、僕の子ども時代もそうでしたが、貧しい農家に生まれながらもえらい先生になったという自伝がたくさん教え込まれました。しかし、アメリカでの評価となるとそうではない。野口英世には、顕微鏡の精度というような当時の限界をあるとしながらもその研究方法をあんがい批判をされているようで、日本人のイメージとは違うものがありました。福岡さんは、正しい結論を導くための研究方法と科学者の態度を書いています。科学事態の発展は、科学機器の発展と科学者自身の研究方法や態度の発展でもあったのかと理解できます。
そして科学者も人の子。
大学や学会という人の世に生きているわけでして、ノーベル賞という最高位を目指して競争をしています。科学者は寝ずに研究をする。研究自体のおもしろさと同時に、いち早く研究成果を人より先に発表をしたいと。
科学や科学者の研究方法と態度、そして人の部分としての功名心や競争。この辺が「生命とは何か」を導き出す歴史としてもスリリングな文章に打たれます。
しかし、多くの科学者は地道さゆえにスポットライトを受けることがないままに亡くなってもいる。すばらしい研究成果であるにもかかわらずに、人に利用されるだけど終わってしまう科学者。福岡さんは、こんな科学者に鎮魂の温かい言葉をかけているようでした。また、サーファーがDNA研究を飛躍させる実験装置を作ったなどという科学の世界の偶然さも描いています。脚光を浴びる科学者の裏に一生黒子として働く研究者の誇り高き人々も。
このようなさまざまな出来事が描かれている文章に福岡さんの心が見える思いです。
それがほんと、スリリングなのです。もしかしたら推理小説ファンもうなるかもしれませんよ(言いすぎかな)
このように20世紀の歴史の中で生命とは「自己復元を行うシステムである」という結論があられたわけですが、この結論から今の世の中で研究をされている福岡さんが、何を新たに付け加えようとしているのか。
ここがまたこの本の考えさせられるところです。たしかに「生命とは自己復元を行うシステムではあるが、福岡さんはエピローグに書きます。
「生命という名の動的な平衡は、それ自体、いずれの瞬間でも危ういまでのバランスをとりつつ、同時に時間軸の上を一方向にたどりながら折りたたまれている。」(284ページ)
自己復元は、細胞は常にエントロピーの法則で壊されるが、食べるという行為によって新たな細胞が復元される。このことによって総体は自己復元をされるということでしょう。だから自分という人間は、まぁ老化していくということに向かうにしろ自己復元の中で常に細胞は入れ替わり、一時も同じ自分ではない。これが時間軸上に一方向に向かっていくということでしょう。この時間軸上に織り込まれたものは二度と解くことが出来ないとも。不可逆性とも。
生命は自然の法則の中に。人間はその中の一点でしかないのでしょう。
そしてぐるりのこと。
人は外界から切り離せない個であるという事は、ぐるりのこととの融和が自然の姿なのでしょうね。人は社会的には不幸な歴史を持つ。しかし時間軸の不逆性から常に世代という細胞を新たにしながら融和の方向に流れるしかない。エントロピーって、こういうことかな。。。。それは一つの終末だけど、それは不幸な歴史の終末かも。自然に忠実に時間軸を流れていきたい。
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
去年漬けたラッキョウがまだ少し残っているのですが、飴色になり味もまろやかになっていました。
やはり去年漬けた梅干もしっとりとしておいしくなりました。一昨年の梅干はこの前最後の1個を食べ待てしまった。
また初夏の頃に漬け込みたいと思います。
ラッキョウは、スーパーのものは小粒で粒もそろっていないので今年はどこかの産地に行き粒ぞろいのものを買いたいのですが、国産というのは少ないのかな?ネットで調べても直販するようなところがでてきません。うん。。。。まだ収穫の季節ではないですからね。マメに調べてドライブがてら買出しに行きたいと思います。
関東近辺の産地というのはどの辺だろ?
梅は去年にあるサービスエリアで大きくて梅干用に熟したものが売られていました。梅干用の梅もほんとその旬は一瞬なんですよねぇ。。。
早めに広口ビンなどを用意をしておき、いまだ!!というときに産地に買いに行きたいです。
ラッキョウはあと2回ぐらい食卓に乗せられるかな。。。。。
梅干はまだたくさんあり、友人にあげたりしました。。。。
おぼろ月気づかぬほどに静まれり
ぼんやりと流れぬ雲の月の色
そよそよと夜道の桜咲きおりて
花びらは感じぬ風に散り降りる
ひんやりと心に沁みるおぼろ月
月明り雫となって落ちにけり
ほんのりと涙ほどにあたたかし
気付かずに雫を受けし心かな
また一枚桜の花は舞い降りて
くるくると迷わすほどに光りおり
手のひらにはじける光涙色
悲しみの心に沁みておぼろ月
降りそそぐ雫と光悲しみの
宵の道うつむく肩を包み込む
あたたかき沁みる涙や誰流す
うっすらと受けし心やその気配
振り向けば夕方の精消えにけり
【2011年】ツイッターつぶやき
銀色夏生著「ひとりが好きなあなたへ」(幻冬舎文庫)が昨日発売になりました。
ご自身が作った万華鏡の世界を写真に写しその写真との詩集です。万華鏡を覗くその世界は心の内面。
昔出版された「流星に人」は、語りかけるような散文詩というような本でしたが、今回も同じように語りかけているような詩集でした。
一気に読み終わりました。
またじっくりと読み返します。
【2012年】ツイッターつぶやき
北朝鮮のロケットが発射されましたが、これがミサイルならば日本の上空を通り過ぎるまでに10分から20ぐらいだそうですから情報というものは大切なものですね。福島原発の事故時にもこの情報の不足が問題になりましたし。
ツイッターでは福島の4号機の状態について昨夜からたくさんのツイートがあり現在もいろいろな情報が入ってきています。様々な不安を感じる状況のようですし、一方では水温上昇は1号機のほうだったという情報も。東電の記者会見もあったそうですが、テレビなどのニュースには出てきません。
情報というのは正しいものを速やかに正確に伝えるものと原則としてはあるのでしょうが、あんがい人の特に政治家や専門家というフィルターを通ると「国民に安心を与える」等という操作も入りますし国益も入ってくる。そしてそこから発表までには相当な時間がかかるようになる。
北朝鮮のロケットが成功していたならばとっくに上空を通り過ぎてから発射されたと情報が流れていたことになります。自衛隊にはアメリカの情報なりからのものは伝わったのかもしれませんが、自治体を通した国民へは。。。。マスコミの一番早い報道は何時ぐらいだあったのでしょうか。
【2013年】ツイッターつぶやき
米財務省「競争力高めるための円安やめさせる」 http://5.tvasahi.jp/000003634?a=news&b=ni … 今の株高・円安に浮かれている言動を見れば、どう見たって円安誘導としかうつらないでしょう
アメリカが日本に対して国内消費を増やせという場合はTPPにも関連しそうですから注意が必要ですね。日本がやるべきはこれまで賃金が下がり続けていたものを回復するためのシステムの再構築です。政府が財界にお願いしてボーナスで金をばらまくだけではなくて派遣法廃止などのような政策でも。
日本型経営システムとその批判となると昔の終身雇用制のようなものに目を向けるが、この意味でのシステムは日本を高度成長させた。問題視しなければならないのは西洋かぶれと賃下げで利益を生み出そうとしたシステムであり、ここに今の日本型経営システム批判を置くべきでしょう。
経済学者の中には、いまだに日本型経営システム批判を昔の終身雇用や正社員性に置くが、そうではなくてバブル崩壊後の「正社員削減・賃下げによる生産性の向上」という誤った経済政策に批判を向けるべきでしょう。
日本型経営システムとは正社員削減・賃下げによる生産性の向上。正社員とは日本的であるが、非正規社員と正社員を差別化しているのは企業であり、そのために正社員と非正規社員という階層ができあがってしまったこと自体が日本型である。非正規社員の条件が正社員並みなら正社員という意義も薄れる。
(以上ツイッターから)
たしかにまだ日本には終身雇用制といったものが残っていますが、これを崩していったのが正社員の減少と非正規雇用者の増加という形をとり、同時にそれは労働者の平均賃金を下げる役割をしました。この経過の中に日本型の経営システムの変化を見ることができるでしょう。
終身雇用制から非正規雇用の増加が一つの日本型の経営システムの移り変わりとみていいでしょう。
ですからいま現在の政治や経済を雇用や賃金から語るには終身雇用制が崩れていき非正規雇用という低賃金化がすすめられたという状態として見なければならないでしょう。そして残る正社員をさらに解雇規制の緩和や40歳定年制などという形で減らす方向に動いているとして見なければならないでしょう。そして賃金もさらに減少していく。
企業経営は国内のこのような経営システムの変化と国外の安い労働力によって競争に打ち勝つという大きな意味での日本型の経営システムをつくりだした。
この中でデフレをはじめ格差の拡大という大きな経済的矛盾をつくりだしたわけです。本来の経済的な面での生産性の向上は世界共通かもしれません。しかし日本の特殊性はこの生産性の向上を賃下げによって行ったhttp://lidai.asia/node/760?language=ja …という事に関連するかもしれません。
ですからいま現在の経済的な矛盾をどう改善するかという面での日本の経済システムを言う場合、そしてその批判を行う場合は、終身雇用制・正社員という古くからあったものを破壊をして作り上げられた「正社員削減・賃下げによる生産性の向上」という生産システムに向けなければならないという事です。ここを見ないでデフレの脱却も経済の再生もないでしょう。現在の経済学はここからはじめなければならないでしょう。
そう見るとリフレ経済学やアベノミクスでは矛盾解決にはならないという事であり、さらに推し進められるアベノミクスでの労働の規制緩和はさらに日本の経済の混乱を産むのではないかという危惧が出てきます。
早くも国外からも日銀の金融政策は円安誘導(通貨安競争)とも疑問視されて、少なくとも国内の内需拡大を迫られている状態です。円安・株高も今のままでの円安誘導では通用しないでしょう。
【2014年】ツイッターつぶやき
スーパーに買い物に行きました。
最近は以前に比べればレジに並ぶ中高年の男性が多くなったような気がします。高齢化によって家事労働全般を行う男も増えているのかもしれませんね。
レジに並ぶと僕の前に僕より10歳ほど若い男がレジを済ませていました。
「3263円です」
レジの女性が淡々と言う。
男は金を支払いおつりをもらったら籠の中身とレシートを2回ほど見比べていました。確かに籠の中身は少ないほうでしょう。後ろから見ていても確かに籠の中身とレジに表示された3263という数字を見比べてしまいます。
そして僕の順番。。。。
僕の籠には先ほどの男に比べてもそうとう品数は少ない。
「2032円です」
レジの女性が淡々と言う。
やはり僕も籠の中身をもう一度確認してレシートを見つめてしまいました。
やはり物価上昇というのはよくないんです。
それも景気が好転して賃金や年金そして社会保障の受け取る額が増えて消費が伸びその中でのインフレ傾向ならばまだよいのですが、今はこのインフレを引き起こそうとした悪性の物価高ですからね。円安による輸入品目の値上げと消費増税による値上げが含まれた物価高ですから。
物価高というのはよくないんです。
こんなことを書くと「お前はデフレ派か?」といわれそうです(笑)
現在のような悪性の物価高に反対をする者はデフレ派だといったレッテルを貼られるなら甘んじてそれを受けますが、僕がデフレ派ならば相手をデフレ派とレッテルを張る方はインフレ派なわけですが、そのインフレ派は悪性の物価高を容認するのでしょうか?
僕の記憶ではアベノミクスや異次元緩和が行われ始めたころは「インフレ目標」という言葉を使っていたような気がします。今では「物価安定目標」でしょうか。。。。。その意味ではインフレ派ではなくて成長戦略派だと言うのかもしれませんね。しかしオヤジたちが籠の中身とレシートを何度も見つめなおすような悪性の物価高が成長戦略なのでしょうか?もちろん毎日買い物をするおばちゃんたちも同じでしょう。どう見ても今の実態が成長戦略とは言いがたいでしょう。成長どころか悪性の物価高はデフレを強めることにつながるかもしれないという懸念が強くなっています。仮に悪性の物価高が進んでも日用品や生鮮食料品などがまた値下げ傾向を示したならば、それがデフレ傾向となるわけで、インフレは・成長戦略派の方々こそがデフレ派となってしまいます。
そうするとデフレ派といわれる人々が成長戦略派となることにつながる可能性があるということです。
デフレ派といわれますが何もデフレを歓迎したりするわけではなくて単に物価だけを見てデフレだインフレだという結論を見るのではないということです。物の値段が下がるということは消費が進むということです。賃下げ傾向にあっても物価が低いからある程度の消費は維持されるということです。そこに賃上げがあったならさらに消費は伸びるでしょう。消費が伸びれば企業の設備投資も伸びていく条件が出ます。ちょうどインフレ派や成長戦略派とはさかさまな方法で成長を維持しようとすることになりある意味本来の成長戦略はあるいは安定成長はといえます。
おぼろ月気づかぬほどに静まれり
ぼんやりと流れぬ雲の月の色
そよそよと夜道の桜咲きおりて
花びらは感じぬ風に散り降りる
ひんやりと心に沁みるおぼろ月
月明り雫となって落ちにけり
ほんのりと涙ほどにあたたかし
気付かずに雫を受けし心かな
また一枚桜の花は舞い降りて
くるくると迷わすほどに光りおり
手のひらにはじける光涙色
悲しみの心に沁みておぼろ月
降りそそぐ雫と光悲しみの
宵の道うつむく肩を包み込む
あたたかき沁みる涙や誰流す
うっすらと受けし心やその気配
振り向けば夕方の精消えにけり
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2018年】ツイッターつぶやき
gooお題「お気に入りの喫茶店はありますか?」
ここ20年ぐらいで二つの喫茶店がなくなり二つのチェーン店ができました。
喫茶店がなくなり淋しいという気持ちは正直言ってありません。というのもあまりコーヒもうまいといったわけではなかったので。
まだ2件の喫茶店が残っているので久々に行ってみようかぁ。。。。。。
喫茶店の良いところはやはり喫煙自由。。。。。。
そしてマスターやママさんとお話もできる。
おっと、モーニングセットも魅力ですなぁ。。。。。
どうしても忘れられない喫茶店があります。
上の喫茶店の良いところ三つが兼ね備えられていて、ママさんは美人で、そのうえコーヒー専門店並みの美味しいコーヒーがありました。
転勤をするまで通いつめました。
1時間ほど読書したり・・・・・・
あの時間はもう戻ってきませんなぁ。。。。。。。
現在バブルの崩壊の危機にあります。
もちろんバブルといっても80年代のバブルとは全く違い、冷たいバブルです。国民生活に好景気という実感はまったくありませんから。企業収益の増加と株価の高騰そして低所得層はもちろん中産階級の没落を伴いながら富裕層は生き残る。
しかし企業収益といっても本業の物ではない。
銀行は苦しむ。
この冷たいバブルもバブルであることには違いはない。
バブルは格差を拡大しながら経済の好転へ向かう。バブルと格差の拡大(絶対的にも相対的にも)常に一帯の物なのです。
今の経済は十分にこの格差の拡大を成し遂げたうえでの好景気です。好景気と同時にデフレ圧力が常に作用する。ある意味スタグフレーションです。
冷たいバブルも金余り現象です。もちろん企業や富裕層そして株式などに。貨幣資本が資本に転嫁できない状態です。これが顕在化すると同時に悪性の物価高を伴いながら個人消費が急激に衰えていきます。金持ちが消費をすればいいというバカなことではなくて、大衆消費材の消費が落ちていくのです。商品は最終的には大衆消費材に価値移転しなければならない。
政治も「安倍政権への期待」というバブルが崩壊しました。議員や官僚の資質は「安倍内閣への期待」というバブルによって堕落しています。
【2019年】ツイッターつぶやき
WTOが韓国の日本産の水産物の輸入制限問題で日本は逆転敗訴したようです。
これは韓国だけではなくて制限の中身は違いますが多くの国において制限がされている。
原発事故については心配ないという人もいますが、現実に住めなくなった地域が出てそしてその他の地域でも大規模な除染がされた。東京においても事故直後に水道水から高いレベルの汚染が確認されて赤ん坊のミルク用にペットボトルが配布された。
水産物も汚染は確認されている。
この中で、日本では緊急事態のような中で食品の基準値が決められて流通されている。
この中で海外の国々が輸入制限を行うことは当たり前なのかもしれない。
日本国内と同じ状態で諸外国に輸入をというのは無理があるでしょう。
事故の被害を受けた方は大変な状態でしょう。しかしそれがわかっていても水産物などが売れないことを風評被害打では済まされないでしょう。
これからどのくらい長い間この苦しい社会が続くのでしょうか。
【2020年】ツイッターつぶやき
以下ツイッターから
ゼーゼー、ハーハー死ぬほど苦しまないうちは検査してもらえない。
これを軽症というのでしょうか?
死亡者、重症者、ゼーゼー、ハーハー死ぬほど苦しむくらいの軽症者そして追跡検査で引っかかった無自覚者などだけの感染者数何ですね。
低いわけです。
あと検査してもらえない人は、感染者としてカウントされないで自己責任で自宅でおこもり。
今後後遺症が出てきた場合検査されなかった人は大変です
すると、日本の感染者数自体が相当大きな数になるととらえたほうがいいと思いますね。
死亡、重症、軽症の数が、諸外国で発表されている感染者数の割青から見なくては日本の実態はわからないですね。
ほとぼりが冷めるまで、おこもりで隠れた感染者を自宅に隠しておくという日本か?
もし、僕のこの連続ツイートが正しいとした場合、検査もしてもらえない国家というのは、非人道的ではないでしょうか?
テレビで感染の恐れがあると邸宅で自主隔離をしていた芸能人の姿が報道されていましたが、もしかしたら狭いアパートで隠れるように一家3人でひっそりと不安を持ちながら自主隔離。
想像してみてください。経済的支援もない中でもし自分の家族が自主隔離を言われたら。。。。
世間に知られては困るし、検査もしてもらえないし。
非人道的なんです。
国や都も自宅でこもっていろというのが緊急事態措置の中身です。
コロナウィルスへの戦いの最前線は医師そして看護師をはじめとした医療従事者の方だと思います。
感謝いたします。
同時に社会を維持するために戦っているのは、日夜日常生活を維持するために労働をしている皆さんです。
総力戦ですね。
政治家の皆さんそして官僚の皆さん、まじめになってください。
【2021年】ツイッターつぶやき
今日、大阪では新規感染者数が1000人を超えました。そして医療はひっ迫状態です。
この中で間が悪いというのか、大阪で2日間の聖火リレーでした。
テレビニュースを見ていると芸能人がひきつったような表情で成果をつなぎました。
とは言っても市中を走るのではなくて1周3キロの公園内を一人数百メートル走ったようです。
応援をする市民を締め出して関係者とマスコミだけの聖火リレーだったようです。
このニュースを見ていて頭に浮かんだ言葉が「堂々めぐり」です。
お坊さんがお堂をぐるぐる回ることが語源らしいですが、オリンピックという神や仏さんの周りをぐるぐると回る。
コロナ感染対策はこの1年の総括からの対策もなくまた大きな波がやってきました。
堂々巡りです。
去年はこの感染拡大をどうにか鎮めて「コロナに打ち勝った証としてのオリンピック」が言われましたが、結局は延期せざるを得ませんでした。そしてあれから1年が過ぎようとしていますが、結局コロナに打ち勝ったという状態は作れないでしょう。すでに緊急事態宣言もマンボウも掛け声という精神論になってしまいました。
去年と何も変わっていない。
堂々巡りです。
堂々めぐりという言葉は「うんざりする」「あきれてしまう」という印象を持っています。
国民も国や自治体から個人責任(自己責任)のために緊急事態宣言やマンボウという掛け声かけられ、うんざりあきれるような対策を示されています。一方では検査体制も改善されず医療体制も改善されずそしてワクチンへの信頼もないままそのワクチンすら接種の状況は世界から見てみすぼらしい状態です。
この中での聖火リレーですからこれも精神論的なものでうんざりあきれる状態です。
このような中で国民の税金は湯水のごとく使われているんでしょう。。。。。。
【2022年】ツイッターつぶやき
一時的に1ドル126円と円安になったようです。
日本が為替介入を考えざるを得ない状態ですが、金融政策が中心の経済ですからね。アベノミクス・日銀緩和がはじまり円安急激な円安になりましたが、この時はむしろ円安は歓迎された。輸出産業に有利とされ株価も急上昇したのですから。その後も日銀の金融緩和で円安傾向が進められたが経済は浮上しなかった。そのうちに円安に警戒感で出はじめて輸入物価の上昇により輸出産業も苦しくなった。こうなると日本経済の後退が明らかになるわけですからこの経済状態から円も弱くなる。日本の経済はさらに苦しくなった。
日銀も金融緩和の副作用を意識していましたがその改善のために引き締めには移れなかった。金融緩和の出口という言葉を口にするだけで株価は下がる。もう、出口に向かえば円高の作用があるでしょうが、金融緩和の出口に向かう体力もなくなっているのかもしれない。
【2023年】ツイッターつぶやき
朝飯を食い終わったらテレビでJアラートのニュースが。
北海道道民に避難を明日ルカ地べたにうつ伏せして頭を抱えろと。。。。。
どうも北海道に着弾するような言い方でした。
以前にもがせねただったし、同じようなことがあったのでそうは驚かずにテレビを見ていた。
その後政府は訂正をしたそうです。
北朝鮮のミサイルが落ちてくる。この間違った分析から敵基地反撃能力を持った場合どうなるんでしょ?
北朝鮮は日本が攻めてくるという恐怖以上に間違って反撃するかもしれないという恐怖の方が強くなるかも?