今日の朝日新聞4面に「年をとっても働ける幸せ」という記事がありました。
作家の佐藤愛子さんが90歳を過ぎてもお元気に執筆活動をしベストセラーを出しているそうです。高齢者が元気に働き続けることは大切なことです。
昔は高齢者はどうにか年金等で食っていける世の中でしたから、定年後「毎日が日曜日」になり何をしてよいのかわからないとか、奥さんは「毎日が家事曜日」になって定年後の夫の面倒を見るのが大変と。その中で趣味を持とうとかボランティアを行おうとかという専門家などのアドバイスがたくさん出ていました。もちろんそのころから退職金の運用などという勧誘もありましたが。
しかし現在は年金支給年齢が引き上げられて60歳から65歳になっています。あと数年すれば厚生年金部分も65歳支給となります。さらに政府はこの65歳支給を引き上げる動きを見せています。また支給額を抑える動きもあります。こうなると「働く幸せ」というものから外れて「食うために生存するために働かざるを得ない」労働となってしまいます。
「我々は何を目指して生きているのか、それを考えることも忘れて、便利、快適、物質的満足ばかり追いかけている」 (引用)
「何を目指して生きているのか」
この生き方と言っても一昔前のサラリーマンのように定年後どうにか食えるから趣味やボランティアで生きる喜びを見つけよう」というのと、「65歳にならなければ年金がもらえないで死ねと死ねと言われているようなものだから働かなければならない」とでは同じ働くにしても「生き方」の中身は全然違ったものになっています。
安倍内閣での一億総活躍は、もちろん後に書いた中身による労働の提供と老後に来方を目指している。
年金だけでは食うだけで「便利、快適、物質的満足」の豊かさなどありませんし、一定程度働かなくてはなりません。その中で65歳まで無年金になるから低賃金で働けという仕打ちが今の社会です。
作家の佐藤愛子さんのような生き方をされる方も増えていってほしいと思うのですが、現実社会に生きている圧倒的な人々は生存していくための生き方を選ぶしかないのです。
作家の佐藤愛子さんが90歳を過ぎてもお元気に執筆活動をしベストセラーを出しているそうです。高齢者が元気に働き続けることは大切なことです。
昔は高齢者はどうにか年金等で食っていける世の中でしたから、定年後「毎日が日曜日」になり何をしてよいのかわからないとか、奥さんは「毎日が家事曜日」になって定年後の夫の面倒を見るのが大変と。その中で趣味を持とうとかボランティアを行おうとかという専門家などのアドバイスがたくさん出ていました。もちろんそのころから退職金の運用などという勧誘もありましたが。
しかし現在は年金支給年齢が引き上げられて60歳から65歳になっています。あと数年すれば厚生年金部分も65歳支給となります。さらに政府はこの65歳支給を引き上げる動きを見せています。また支給額を抑える動きもあります。こうなると「働く幸せ」というものから外れて「食うために生存するために働かざるを得ない」労働となってしまいます。
「我々は何を目指して生きているのか、それを考えることも忘れて、便利、快適、物質的満足ばかり追いかけている」 (引用)
「何を目指して生きているのか」
この生き方と言っても一昔前のサラリーマンのように定年後どうにか食えるから趣味やボランティアで生きる喜びを見つけよう」というのと、「65歳にならなければ年金がもらえないで死ねと死ねと言われているようなものだから働かなければならない」とでは同じ働くにしても「生き方」の中身は全然違ったものになっています。
安倍内閣での一億総活躍は、もちろん後に書いた中身による労働の提供と老後に来方を目指している。
年金だけでは食うだけで「便利、快適、物質的満足」の豊かさなどありませんし、一定程度働かなくてはなりません。その中で65歳まで無年金になるから低賃金で働けという仕打ちが今の社会です。
作家の佐藤愛子さんのような生き方をされる方も増えていってほしいと思うのですが、現実社会に生きている圧倒的な人々は生存していくための生き方を選ぶしかないのです。