所用で鎌倉まで行ってきました。
問題の多い親を持つということは、
子にとってある意味悲劇であるが、
またある意味では、生きる上で、
とても勉強になることであると思う。
彼らを反面教師にして、自分がどう生きるべきであるか。
早いうちから、考えることが出来るから。
帰りは江ノ電に乗って藤沢まで。
また、問題を起こせば、人がどうなるのか。
社会的にどういう目を向けられることになるのかも、
早々にわかるようになる。
「あの親の子だから」
何がなくとも、こう噂され、
悔しい思いをしたことから生まれるコンプレックスは、
目をそらさずに考えることが出来れば、
強固なる信念を持って生きることに役立つ。
カフェのテラスで、吹き抜ける風に気持よさそうな猫。
「カエルの子はカエル」
そう言われるようになることを、彼女は恐れなかったのだろうか。
それを屈辱とは思わなかったろうか。
噂によれば、父親はその筋の人だったというが.....
その姿から学ぶ間もなく、社会に出たと?
または、自分が薬の力を借りて、現実逃避をしているあいだに、
わが子がその傷つきやすい無垢な心で現実と向き合っていることになど、
思いも至らなかったと?
いらない想像力を薬で補い、踊り狂っている間に。
またはSEXに耽っているあいだに。
自分には、本当の意味での想像力が足りないと、気づけなかったろうか。
捕まったことで社会的制裁を受けるのは、
誰より自分より、何もしていないわが子であると。
っつーか、何より彼女に必要だったのは、「薬はよくない」とかいうより、
「アンタ痛いよ」という、客観的な言葉ではないだろうか?
いい年こいて、変な若づくりをして薬にハマってるなんて、
見ていて恥ずかしいし、痛い以外の何物でもないだろうに。
おばさんになったら、しらふで踊り狂えるくらいでないとねぇ(笑)
彼女がもし『女優』なんだとしたら、しらふでも自己陶酔など簡単だったろうに。
ところでちゃあこさん。
あなたは顔を隠して寝るとき、なぜ手のひらのほうを顔に向けるの?(笑)
彼女の子がこれから、どんな道を歩むかは、まだわからないけれど。
願わくば、カエルの子はカエルではないと証明出来るよう、
強く頑張って欲しい。
自分の人生は自分のもの。
大人になったら、あらゆる逆境が、自分をはぐくむ力となったと、
胸を張れるように。
私が「そうありたい」と、強く願ってきたように。
美味しいものについてはまたあとで!
酒や薬に溺れるのは、自分から本当の意味での五感の鋭さや喜びを
どぶに投げ捨てるようなもの。
『モノ』にならない時間を過ごしたところで、そこには何も残らない。
これは私が酔っ払いだったから言えることね。