38年間の教員生活を終えていくつも後悔がありますが、その一つは、もっと憲法教育をやるべきだったということです。改憲、護憲、壊憲、と話題になりますが、多くの若者にとっては、憲法は馴染みのないものではないでしょうか。残念ながら府立高校という現場からは「君が代」不起立のため排除されてしまいましたが、学び合いの場は他にもあります。憲法のこと、一緒に勉強しませんか?
『日本国憲法の誕生』古関彰一著(岩波現代文庫)感想①
以前、9条をめぐって、教え子と議論になったことがある。1952年生まれの私は、小学校の教室で、戦争体験のある教師から情熱をもって「憲法」を教わった。憲法と言えば9条、戦争放棄。それはずっと誇りであった。ところが彼(教え子)は、9条のもとで戦後日本が何を行って来たのか、朝鮮戦争しかり、ベトナム戦争しかり、その自覚もなく9条護憲というのは納得できないと言うわけだ。確か、以前読んだチョムスキーと辺見庸の対談集でもチョムスキーがそのようなことを言っていたような記憶がある。確かに9条はないがしろにされ辱められてきた戦後の歴史がある。それを無視して9条賛美などする気はないのだが、どうも議論がすれ違うような気がした。世代論で片づけるわけではないが、9条の理解は年代によって違いことは否めない。
その折、彼から薦められた本が本書だ。当時は現職にあり、購入しながらもなかなか読む時間がなかったのだが、最近、9条「戦争放棄」発案者は幣原喜重郎だと言う話を聞き、そのあたりのところも当然書いているだろうと本棚から探し出し読んでみた。なるほど、彼が9条護憲を批判するもう一つの理由がわかった気がした。9条の成り立ちが天皇の戦争責任を回避する手段としてあったことをへの批判であったのだろう。9条問題も含めて改憲問題がいよいよ政治日程にあげられるほどになった今、日本国憲法がどのようにした誕生したかを知る必読の書かもしれない。ようやく手に取った本書であるが、9条問題もさることながら憲法制定にかける人々それぞれの想いが伝わって来て実におもしろかった。
戦争が終わり、政府要職にあった者が考えたこと、GHQとの間にどのような交渉があったか。民間からどのような人々がどのような思いで憲法草案に携わったか。終戦後の1945年9月から1949年5月まで、憲法の誕生から当時の改憲問題まで、資料をもとに生き生きと描かれており、読んでいるうちに、まるでその場に臨席しているかのような興奮さえあった。
本書は、『新憲法の誕生』(1989年刊)からおよそ20年を経て、その間に明らかになった資料をもとに憲法制定の過程が書かれている。終戦時そもそも政府は憲法改正(大日本国憲法の改正)など考えていなかったことも、今から考えれば驚きであるが、一貫して保守勢力が国体護持つまり天皇制を維持することを一義として考え行動していたことは今に続くように思う。それとは対照的ともいえる憲法研究会の誕生はとその議論のありさま、草案は、これもまた今に提起する問題を含んでいる。ないしろ自由民権期の憲法諸草案の影響のもとに、政体として共和制を理想として議論しているほどだから今に続く議論である。
そして、「後にGHQが草案を作成するにあたり、この研究会の起草した草案が多大な影響を及ぼしたことで知られている」とあるが、まさに現憲法の生みの親と言えるのかもしれない。本書の序の最後に「日本国憲法の誕生に際し、憲法研究会案を生み出した少数の人々のなかには、戦前の厳しく絶望的な時代に、希望を失わず、民主的な憲法を構想してきた人々がいたことによって、私たちの『戦後』が始まったことを改めて想い起こす」とあるが、高野岩三郎、鈴木安蔵らの、戦争が終わり新たな憲法にかける情熱とその清新な思想には魅力を感じる。
いま、日本国憲法はGHQからの「押しつけ」憲法、と一言で片づけ、だから、改憲が必要と言うような短絡的な発想が政治家からも語られるが、事実は、そんな単純なもので一国の憲法が成立するはずがない。それこそ歴史のなかで生きた先人の業績を知らぬ者の言葉ではないだろうか。(続く)