そこの立て札には次のような説明が書かれていました。「何だこの花?と言うところからでしょうか「なんじゃもんじゃ」と呼ばれている「ヒトツバタゴ」なんです。成長しますと30メートルになると言う、もくせい科の落葉樹なんですが、日本では対馬と木曽川沿いにしか見られないようです。ところで、この花びらなんですが、4枚に見えますが、実は1枚の花びらが裂けたものでこれも珍しいなら、遠目には雪が積もった様にも見える不思議な樹木と言えるそうです。花の見頃は5月中ごろ1週間程度」(のぼる)
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友人ののぼる君より「この3月でOK高校のフルタイム勤務を辞め、4月からは週3日8時間の時間講師です。やめてからは時間が本当にゆったりと流れて、本にコーラスに映画にと自分の好きなことばかりで時間を使う毎日になっています。」
そして「さて、(滋賀県近江八幡市)安土町の『沙沙貴神社』に、今年も「なんじゃもんじゃ」の花が咲いたというニュースが今朝の朝日新聞に出ており、早速出かけて写真を撮ってきました。珍しい花とのことなので『立山日和』に投稿してはと思いました。採用するかどうかは編集長の判断ですが、ご鑑賞下さい。」とメールが来ました。
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今日は瀏陽の市街地にある潭嗣同の故居です。最初は潭嗣同故居の入り口です。瀏陽市街地の中心にあります。前の道路は車、人が行き交います。周囲は商店です。この故居の道路に面した部分は商店として使われています。
潭嗣同は清末の変法運動の急進派で、戊戌(ぼじゅつ)の政変で処刑された人です。父は清の巡撫(地方行政高官というのでしょうか)であり、潭嗣同は北京で生まれたものの、瀏陽で成長し、「瀏陽の人」とされています。
個人的な思い出ですが、私の大学は当時大阪の上本町八丁目にあり、上本町六丁目の近鉄ターミナルから歩いて行きました。途中に「大安書店」という小さな中国専門書店があり、行き帰りにはよく立ち寄っていましたが、ある日、そこで「潭嗣同全集」の復刻本が一冊だけあり、パラパラ眺めると難しそうな漢字が並んでいて読めないなぁと思いながら、これを逃すともう買えないかも知れないと思い、なけなしの金をはたいて買いました。
爾来潭嗣同全集は私の本棚を飾りましたが、私の関心はもう少し後代の五四運動だったので、実際には読み切る語学力がなかったので、そのままになりました。今も滋賀県の誰も住んでいない実家の私の部屋の本棚に眠っている筈です。その本は、使われることなく、悪いことをしました。今回の訪問で、インターネットですこし調べると、著書として「潭嗣同全集」という文字があり、あああの本だと思い出した次第です。
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潭嗣同は清末の変法運動の急進派で、戊戌(ぼじゅつ)の政変で処刑された人です。父は清の巡撫(地方行政高官というのでしょうか)であり、潭嗣同は北京で生まれたものの、瀏陽で成長し、「瀏陽の人」とされています。
個人的な思い出ですが、私の大学は当時大阪の上本町八丁目にあり、上本町六丁目の近鉄ターミナルから歩いて行きました。途中に「大安書店」という小さな中国専門書店があり、行き帰りにはよく立ち寄っていましたが、ある日、そこで「潭嗣同全集」の復刻本が一冊だけあり、パラパラ眺めると難しそうな漢字が並んでいて読めないなぁと思いながら、これを逃すともう買えないかも知れないと思い、なけなしの金をはたいて買いました。
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