アングルを変えたアップです。湘江の東側から観光船が出ています。立派な船ではなく、屋根のない貨物船(伝馬船を大きくしたような船)に椅子を置いて、テントの屋根を張った船です。エンジンは船の上にむき出しで、舵は長い棒を使って船頭がそれを左右に押して操作します。エンジンは常州にあるディーゼルエンジン会社の製造でした。料金は20元だったと思います。湘江東岸の船着場には、立派な高楼が建てられていました。
明日は塑像の建設中の写真をお見せします。
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塑像のアップです。人が写っているので、これでその大きさが判ります。毛沢東は湖南長沙近くの韶山(しょうざん)の生まれで、長沙の湖南師範学校を出ています。青年時代を長沙で過ごしたので、長沙に青年時代の胸像を立てることにしたようです。
この塑像は長沙市政府が中央政府弁公庁の批准を得て製作したもののようです。昨年年末に完成しました。総費用は7000万元とのこと。何故、今時毛沢東なのか疑問ですが、私は観光目的というか、長沙の町おこしが狙いではないかと思います。文化大革命時代にオーバーを着て片手を挙げた毛沢東の立像があちこちで立てられ、今も処分もできずもてあましている自治体も多い中、毛沢東の故郷に近く、青年時代を過ごした長沙ならではのことと思います。まあ、あの立像でないだけ良しとしましょうか。
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毛沢東のその塑像です。写真手前が南、写真奥が北です。この写真手前が橘子州の南端です。写真手前(下)は水が流れています。写真右側(東)が長沙の中心部です。写真左側(西)もいくらか市街地がありますが、最近の開発です。また西の外れには岳麓山という丘陵があります。東側は瀏陽までずっと平地です。橘子州の南端に門があり(南面しています)、それから詞の石碑があり、その更に北側に塑像が配置される形になっています。見学者は陸上からアプローチする場合は、北側から来るので、塑像の裏手から入り、塑像、石碑、南門を見る逆のコースとなります。
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今朝の上海は晴れ、予報では陣雨。気温は25度までいくようです。昨日は出勤時だけ雨が降り、後は晴れ時々曇り。
今日から湖南省長沙(ちょうさ)の毛沢東青年塑像を紹介します。先般の瀏陽行きの時に飛行機で長沙空港に降り立ち、先に長沙市内にあるこの塑像を見に行き、その後瀏陽へ行って譚嗣同故居を見て、翌日胡耀邦故居を見ました。見た順とは逆に紹介することになります。
湖南長沙空港は長沙の東、瀏陽の方向にありますが、長沙-瀏陽のバスが長沙東バスステーションから出るので、一旦長沙市街地に入らねばなりません。
長沙は湖南省の省都です。これまで何度も行ったことがあるので、素通りするつもりでしたが、昨年末に毛沢東の青年時代の巨大な塑像が長沙に出来たと日本の新聞にも出たので、見に行くことにしました。
最初は長沙中心部の地図です。真ん中より西寄りに湘江という川が南から北へと流れています。「湘」は湖南省の簡称です。湘江は岳陽近くで洞庭湖の一部に注ぎ、最終的には長江となります。長沙市街地ではこの湘江に細長い中州がありまして、橘子州(きつししゅう)と呼ばれています。この橘子州の南端には元々毛沢東の詞を刻んだ石碑があったのですが、その石碑の北側に毛沢東の青年時代の胸像が立てられました。
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今日から湖南省長沙(ちょうさ)の毛沢東青年塑像を紹介します。先般の瀏陽行きの時に飛行機で長沙空港に降り立ち、先に長沙市内にあるこの塑像を見に行き、その後瀏陽へ行って譚嗣同故居を見て、翌日胡耀邦故居を見ました。見た順とは逆に紹介することになります。
湖南長沙空港は長沙の東、瀏陽の方向にありますが、長沙-瀏陽のバスが長沙東バスステーションから出るので、一旦長沙市街地に入らねばなりません。
長沙は湖南省の省都です。これまで何度も行ったことがあるので、素通りするつもりでしたが、昨年末に毛沢東の青年時代の巨大な塑像が長沙に出来たと日本の新聞にも出たので、見に行くことにしました。
最初は長沙中心部の地図です。真ん中より西寄りに湘江という川が南から北へと流れています。「湘」は湖南省の簡称です。湘江は岳陽近くで洞庭湖の一部に注ぎ、最終的には長江となります。長沙市街地ではこの湘江に細長い中州がありまして、橘子州(きつししゅう)と呼ばれています。この橘子州の南端には元々毛沢東の詞を刻んだ石碑があったのですが、その石碑の北側に毛沢東の青年時代の胸像が立てられました。
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