新湊大橋の一階部分は自転車歩行者道になっています。写真の右部分(主塔のあたり)を見てください。
下層の自転車歩行者道は愛称「あいの風プロムナード」で長さ480m、幅約3m。ガラスで覆われた全天候型で、上下移動には両岸の39人乗りのウォークインスルーエレベーターを利用する。主塔脇の階段が見える塔がエレベーター部分で、ここから橋に上がりガラス張りの部分480m歩いて渡り対岸の主塔脇をまたエレベーターで降りることになります。現在はまだ開通していません。
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その入り口から中を見たところです。蔡元培記念館の額が架かっています。
蔡元培は何度か紹介しています。上海の故居もお見せしました。蔡元培について日本語ウィキペディアの要約を転載します。
蔡 元培(さい げんばい)は清末民初の政治家、教育家。中華民国初代教育総長を務め、1916年から1927年までは北京大学学長(1923年以降は北京大学を離れており名目的な学長)として北大改革を行い、学術と自由の校風を確立した。北伐時期、国民政府が南京に遷都した後に教育行政委員会を主催し、中華民国大学院及び中央研究院の設立準備作業に活躍、教育及び学術制度の改革を唱えた。1928年から1940年までは中央研究院院長に就任している。
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蔡 元培(さい げんばい)は清末民初の政治家、教育家。中華民国初代教育総長を務め、1916年から1927年までは北京大学学長(1923年以降は北京大学を離れており名目的な学長)として北大改革を行い、学術と自由の校風を確立した。北伐時期、国民政府が南京に遷都した後に教育行政委員会を主催し、中華民国大学院及び中央研究院の設立準備作業に活躍、教育及び学術制度の改革を唱えた。1928年から1940年までは中央研究院院長に就任している。
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