二二八記念館です。そもそも台湾博物館を含むこの公園は二二八和平公園と呼ばれています。二二八記念館はこの公園の南側にあります。この建物は戦前台湾放送協会(THKというそうです)が使っていたそうです。
二二八事件は台北で起こった闇タバコ売りの台湾人女性に対する官憲による暴行をきっかけに1947年2月28日から始まった台湾人の国民党政府に対する抵抗運動です。約40年後に戒厳令の終了と政府側の犠牲者遺族への謝罪により終結しました。当時台湾人民衆はこのTHKを占拠して、日本の軍艦マーチと共に日本語で「台湾人よ立ち上がれ!」と呼びかけたそうです。当時日本語教育を受けた台湾人と外省人(国民党政府)を区分する為にそうしたものです。
今回の台湾への旅の主目的である九份の項でも紹介しましたが、侯孝賢監督の映画「悲情城市」もこの二二八事件を描いています。
この事件については日本語ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6に詳しいので、是非ご覧になって下さい。
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台湾博物館を続けます。土銀展示館は終わりで、本館周辺の緑地に戻ります。写真(1枚目)は本館正面に向かって左側(西側)にある黄氏節孝坊です。傍らに「台北市長陳水扁」と記名のある説明文がありました。陳水扁はその後総統までなり、今は獄中です。
節孝とは夫を亡くした妻が再婚せず、夫の親に孝養を尽くすことのようです。ここで顕彰されている女性の姓は黄ですが名前は不詳です。時代は清末19世紀のです。この碑は1982年に息子により台北府東門内に立てられたが、日本人の官舎建設の為に、1901年台北新公園に移設され、1990年に交通新システム建設の為に解体され、1997年に再組み立てされたとあります。
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台湾博物館を続けます。土銀展示館は終わりで、本館周辺の緑地に戻ります。写真(1枚目)は本館正面に向かって左側(西側)にある黄氏節孝坊です。傍らに「台北市長陳水扁」と記名のある説明文がありました。陳水扁はその後総統までなり、今は獄中です。
節孝とは夫を亡くした妻が再婚せず、夫の親に孝養を尽くすことのようです。ここで顕彰されている女性の姓は黄ですが名前は不詳です。時代は清末19世紀のです。この碑は1982年に息子により台北府東門内に立てられたが、日本人の官舎建設の為に、1901年台北新公園に移設され、1990年に交通新システム建設の為に解体され、1997年に再組み立てされたとあります。
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