2012/5/22(Tue) 晴れ(現地天気)
- モン・サン・ミッシェル(世界遺産)観光 -
今日は今回の旅行の目玉、モン・サン・ミッシェル観光に出かける。
そこはパリからは相当離れた海辺にある。
内陸のパリから西に向って360Km近くドライブするのだから大変だ。
早朝7時15分にホテルを出発した。
↓ パリの宿泊ホテル PULLMAN PARIS CHARLES DE GAULL AIRPORT。
大きくてきれいなほてるだった。
↓ 早めに出発したのに市街地は大変な渋滞だった。
↓ 市街地を過ぎてからの高速道路は順調なドライブだった。
↓ 高速道路の料金所。 高速道路はいくつか区切られていて何回か料金所を通過した。
関越道、外環道、首都高、東関道・・・みたいな感じかな?
↓ 出発から3時間あまり、広々した田園風景に変わった。
↓ モン・サン・ミッシェルと読める文字が見えた。 もうすぐかな?
↓ 大きな高い塔が見えた。 でもここは違います。
↓ バスはまだまだ走り続ける。
↓ 高速道路を降りた。 今度こそもうすぐだろう・・・・
↓ 遠くの方にモン・サン・ミッシェルが見えた。
手前の木にはヤドリギがいっぱい付いている。 (日本では)このヤドリギの実を食べに
やってくるきれいな野鳥を見て楽しんだことがある。 ここでも同じかなぁ・・・・・・・
↓ だんだん近づいてきた。 観光案内のパンフレットで見たのと同じだな?(あたりまえか・・・)
↓ ちょうど昼食時間頃、到着した。 観光前にレストランで食事をしたが、そのレストランのテーブルから
モン・サン・ミッシェルがよく見えた。
食事のメニューはここの名物オムレツと魚料理。 魚料理は生臭くて喉を通らなかった。
オムレツは泡だらけでこれもまたあまり美味しくない。 名物に美味いもの無し・・・かな?
↓ レストランの近くからシャトルバスに乗ってモン・サン・ミッシェルの近くまで行った。
↓ モン・サン・ミッシェルの入り口。 左のお店が名物のオムレツで有名なんだって・・・
↓ 名物のオムレツはこの店から始まったとのこと。 この店のは美味しいのだろうか?
↓ 入り口は跳ね橋になっていた。
↓ 城壁に沿って中に入っていく。
↓ 中は細い道の両側に家だ立ちこんでいてお土産屋が並んでいた。 カタカナで書いた店もあった。
↓ 登る人、下る人で細い道は混雑していた。
↓ 看板に日の丸が描かれていたので思わずパチリっといってしまった。 オイラはやっぱり日本人だった。
↓ 城壁伝いに坂道を登って行く。
↓ 眼下には海が広がっていた。
↓ この入り口から修道院の中に入る。
↓ ぐるっと回って中庭?に出た。
↓ 尖塔が聳える修道院の建物。 ずいぶん古そうだね。
↓ 修道院の中。 中にはきらびやかな装飾などは見当たらなかった。 修道院って学校みたいなもの
だから当然のことかな?
↓ 大天使・ミカエルの像。 今から1300年ばかり前、アヴランシュという所の司教さん
(神父さんの偉い人かな?)が大天使・ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」との
お告げを受けてここに小さな礼拝堂を造ったのがモン・サン・ミッシェルの始まりだとか・・・
ミカエル・・・MICHEL。 ミッシェル、マイケルなどとも読まれる。
天使にもいろいろ位があるらしいが、大天使は一番偉い天使らしい。
今は亡きマイケル・ジャクソンもこの名前をもらったんだなぁ。
↓ 中庭の様子。
↓ 中庭から見た尖塔。 尖塔の先には黄金のミカエルが取り付けられているんだとか・・・
↓ 修道院の屋根には木材が使われていた。 何だか船底をひっくり返したみたいだなぁ・・・
↓ 修道院への道路際の小さな教会。 その入り口にジャンヌダルクの像が立っていた。
ジャンヌダルクの名前は聞いたことがあるが、どんなことをした人かはよく知らなかった。
今回、このブログアップで少し勉強した。 ふーん、なるほど・・・ そういうことかぁ・・・
↓ 修道院の見学を終えて元きた道を下った。
↓ 青空に浮かぶモン・サン・ミッシェル。 よくまぁ、こんなものを造ったと感心したが、
この風景からは“驚異”とは思えなかった。 ところが・・・・
↓ 今から百年ばかり前は海に浮かぶこんなすごい威容を誇っていたんだとか・・・
これなら“驚異の建造物”はぴったりだ。
観光に便利なように堤防を作って陸続きにして、いつでも歩いて中に入れるように
したのだそうだが、これが原因で潮の流れがさえぎられ回りに土砂が積もってしまい
現在のような姿になってしまったのだとか・・・・・
そこで元のように戻そうと、積もった土砂を取り除き、橋を架けて行き来するように
するんだとか・・・
いつの日か、百年前のような景色になったとき、また訪れてみたいものだ。
(続く)
- モン・サン・ミッシェル(世界遺産)観光 -
今日は今回の旅行の目玉、モン・サン・ミッシェル観光に出かける。
そこはパリからは相当離れた海辺にある。
内陸のパリから西に向って360Km近くドライブするのだから大変だ。
早朝7時15分にホテルを出発した。
↓ パリの宿泊ホテル PULLMAN PARIS CHARLES DE GAULL AIRPORT。
大きくてきれいなほてるだった。
↓ 早めに出発したのに市街地は大変な渋滞だった。
↓ 市街地を過ぎてからの高速道路は順調なドライブだった。
↓ 高速道路の料金所。 高速道路はいくつか区切られていて何回か料金所を通過した。
関越道、外環道、首都高、東関道・・・みたいな感じかな?
↓ 出発から3時間あまり、広々した田園風景に変わった。
↓ モン・サン・ミッシェルと読める文字が見えた。 もうすぐかな?
↓ 大きな高い塔が見えた。 でもここは違います。
↓ バスはまだまだ走り続ける。
↓ 高速道路を降りた。 今度こそもうすぐだろう・・・・
↓ 遠くの方にモン・サン・ミッシェルが見えた。
手前の木にはヤドリギがいっぱい付いている。 (日本では)このヤドリギの実を食べに
やってくるきれいな野鳥を見て楽しんだことがある。 ここでも同じかなぁ・・・・・・・
↓ だんだん近づいてきた。 観光案内のパンフレットで見たのと同じだな?(あたりまえか・・・)
↓ ちょうど昼食時間頃、到着した。 観光前にレストランで食事をしたが、そのレストランのテーブルから
モン・サン・ミッシェルがよく見えた。
食事のメニューはここの名物オムレツと魚料理。 魚料理は生臭くて喉を通らなかった。
オムレツは泡だらけでこれもまたあまり美味しくない。 名物に美味いもの無し・・・かな?
↓ レストランの近くからシャトルバスに乗ってモン・サン・ミッシェルの近くまで行った。
↓ モン・サン・ミッシェルの入り口。 左のお店が名物のオムレツで有名なんだって・・・
↓ 名物のオムレツはこの店から始まったとのこと。 この店のは美味しいのだろうか?
↓ 入り口は跳ね橋になっていた。
↓ 城壁に沿って中に入っていく。
↓ 中は細い道の両側に家だ立ちこんでいてお土産屋が並んでいた。 カタカナで書いた店もあった。
↓ 登る人、下る人で細い道は混雑していた。
↓ 看板に日の丸が描かれていたので思わずパチリっといってしまった。 オイラはやっぱり日本人だった。
↓ 城壁伝いに坂道を登って行く。
↓ 眼下には海が広がっていた。
↓ この入り口から修道院の中に入る。
↓ ぐるっと回って中庭?に出た。
↓ 尖塔が聳える修道院の建物。 ずいぶん古そうだね。
↓ 修道院の中。 中にはきらびやかな装飾などは見当たらなかった。 修道院って学校みたいなもの
だから当然のことかな?
↓ 大天使・ミカエルの像。 今から1300年ばかり前、アヴランシュという所の司教さん
(神父さんの偉い人かな?)が大天使・ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」との
お告げを受けてここに小さな礼拝堂を造ったのがモン・サン・ミッシェルの始まりだとか・・・
ミカエル・・・MICHEL。 ミッシェル、マイケルなどとも読まれる。
天使にもいろいろ位があるらしいが、大天使は一番偉い天使らしい。
今は亡きマイケル・ジャクソンもこの名前をもらったんだなぁ。
↓ 中庭の様子。
↓ 中庭から見た尖塔。 尖塔の先には黄金のミカエルが取り付けられているんだとか・・・
↓ 修道院の屋根には木材が使われていた。 何だか船底をひっくり返したみたいだなぁ・・・
↓ 修道院への道路際の小さな教会。 その入り口にジャンヌダルクの像が立っていた。
ジャンヌダルクの名前は聞いたことがあるが、どんなことをした人かはよく知らなかった。
今回、このブログアップで少し勉強した。 ふーん、なるほど・・・ そういうことかぁ・・・
↓ 修道院の見学を終えて元きた道を下った。
↓ 青空に浮かぶモン・サン・ミッシェル。 よくまぁ、こんなものを造ったと感心したが、
この風景からは“驚異”とは思えなかった。 ところが・・・・
↓ 今から百年ばかり前は海に浮かぶこんなすごい威容を誇っていたんだとか・・・
これなら“驚異の建造物”はぴったりだ。
観光に便利なように堤防を作って陸続きにして、いつでも歩いて中に入れるように
したのだそうだが、これが原因で潮の流れがさえぎられ回りに土砂が積もってしまい
現在のような姿になってしまったのだとか・・・・・
そこで元のように戻そうと、積もった土砂を取り除き、橋を架けて行き来するように
するんだとか・・・
いつの日か、百年前のような景色になったとき、また訪れてみたいものだ。
(続く)