ごーさんの中国放浪記in威海

ガイドブックに載っていない中国を写真で紹介します。

空海が修行したお寺

2023年04月06日 | 中国の世界遺産

『青龍寺』

 

兵馬俑を見学した翌日、

通訳が私に日本人の建てたお寺があると話した。

 

次の移動まで1時駆け足で、なんの知識もなく行ったのですが、

なんと空海』が唐へ留学生として派遣されて2年間修行をしたお寺ということが後で分かった。

 

 

 

元々は寺の遺跡のあったところに再建された寺で、日本からの資金援助もあったそうです。

 

境内には「空海記念碑」、「空海記念堂」があるとのことでしたが、

残念ながら空海の修行したお寺とは知らなかったので見ることができなかった。

 

 

 

寺内では日本人が関わったお寺らしく桜の木を植えられています。

行った日は少し早く咲き初めでした。

もう少し遅いと満開の桜並木が見られたのですが・・・。

 

 

 

 

意外と若い人のお参りが目立ちました。

 

 

 

現在は、西安『青龍寺』は、四国八十八箇所の0番札所となっている。

寺内には日本人のお坊さんがいてるそうです。

前もって『青龍寺』の情報を知って行けばまた違った楽しさがあったと思うとすこし残念でした。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兵馬俑を見に行ったらコスプレが溢れていた

2023年04月03日 | 中国の世界遺産

宮廷衣装コスプレ

 

中国国内では、ロリータ・ファッションが大流行していると聞いています。

 

私が訪れた、古都の都『陕西省(シャンシー ション)西安市(シーアン-シ)』では、

ロータ・ファッションは見られなかったが、

『中国古代衣装』または『宮廷衣装コスプレ』が流行っていました。

 

 

 

日本から海外に広まったコスプレですが、最近では中国の勢いが増しています。

西安のどこの観光地を回ってもコスプレが出現するので、スナップ写真を撮ってきました。

 

 

 

男性は「中国古代衣装

 

男性のコスプレ姿も多いです、

(男性は衣装はいいのですが頭の丸坊主はちょっと違和感ありです)

 

 

 

 

こちらの男女二人、女性が男性になにやら文句を言っていました。

この後に大ケンカをして男女別々な方向に歩いて行ってしまったが、

その後、仲直りしたのか気になるところです・・・。

 

 

 

こちらのお二人は結婚式記念写真です。

離婚率の多い中国ですので末永くお幸せにケンカしないようにしてください。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兵馬俑の展示

2023年04月01日 | 中国の世界遺産

武士俑

始皇帝を永遠に守るために埋葬された軍隊です。

 

最初に兵馬俑に訪れたときの感動を忘れられず、二度目の訪問です。

武士俑のリアルな顔の表情やベルトや服装のような細部まできちんと作られています。

 

8,000体あると言われている俑の顔体型が全て違うので、

簡単に型を作って流し込むのではなく、一体すべて手作りのところがすごいです。

 

 

 

 

この時代に銅をよく使われていたようで馬車や馬の装飾に用いれられている。

間近に実物を見ると馬も実物大でリアルに作られているので、

当時の軍隊の様子をリアルに思い浮かべることができます。

 

 

 

 

鎧の紐や、靴の裏の滑り止めのイボイボまで再現されています。

 

私が行ったときは日本語のできる案内が残念ながら見つからず、

中国語の案内で回ったのですがやはり日本語でないと理解が難しかったです。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

感動の兵馬俑

2023年03月28日 | 中国の世界遺産

中国を初めて統一した秦の始皇帝を守る最強地下軍団『兵馬俑』

 

時代は紀元前221年頃、日本では弥生時代

たて穴住宅に住み服装は木綿の布を体に巻いているだけ

農耕が盛んに行われるようになった時代です。

 

それに比べて、始皇帝の時代では軍隊の騎馬隊をもち

武器や装飾品をみるかぎりかなりの文化が進んでいたようです。

 

 

 

兵士は実物大で顔体格は同じものはない

 

 

8,000体と推測されている俑は、まだ全体の20%が発掘されたに過ぎないそうです。

 

 

 

 

馬も実物大

 

 

兵馬俑の大発見者

1974年に農家の住民6人が井戸を作るために土を掘っていた際に、

住民の一人“”楊志発“”さんという人が最初に兵馬俑のバラバラになった破片を発見した。

 

きっと大金持ちになったのだろうと調べてみた。

完成した『兵馬俑博物館』で働いて、初めは月給300元、当時のレート(約4500円)。

それから定年までは千元(約1万5千円)だった。

 

退職してからは、来館者が購入した本に兵馬俑発見者としてサインをしながら生計を立てていたそうです、

意外でした、世紀の大発見をした人にしては質素な生活をしていたんですね。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする