葬儀に参列すると、喪主が最後に、会葬くださった皆様に御礼のご挨拶をなさることが多いですね。
ご主人さまを亡くされた時は、奥様より、長男が喪主となり、お言葉を述べられることが多いのではないでしょうか。
高校の恩師のお葬式の時も、そのようでした。
さらに過去へ遡り、私の叔母が亡くなった時の印象的な光景が、今も忘れられません。
長きにわたり連れ添った父の弟にあたる叔父は、まだ健在でした。
東大の教授に就いた学識極まりない人で、人前で話すことは、常日頃当たり前であったに違いありません。
事実、話術も巧みで、私は娘時代、叔父に会うと、話にいつも聞き入り、心豊かな気持ちになれたものです。
ところが、叔母の葬儀の喪主を務めたのは、長男のNちゃんでした。
わたしには意外感があり、一方では叔父の憔悴しきった心身を案じ、なんだかとても心配になったものです。
さて私の場合、娘が二人いますが、他家に嫁いでいるので、喪主を務めるのは、不自然な事になるのかもしれませんが・・・・・・。
私も叔父と同様に、心は悲嘆に暮れていて、その務めを果たす自信など全くありませんでした。
そのため、長女のNちゃんにお願いした私でしたが、むろん断られました。
さて、どうしましょう。
不安でしたが、先々の事を心配する心のゆとりもないほど、気持ちは涙で満杯状態。
もし亡くなった翌日がお通夜のスケジュールでしたら、おそらく私は喪主としての心の準備は叶わなかったでしょう。
幸いと言うべきか、火葬場が、四日後まで空いていませんでした。
高齢化社会に突入した我が国。
世間の悲しい現状を改めて思いました。
そのお陰で、その期間に何とか喪主としての心準備ができた次第です。
その間の旦那さまは・・・・・・。
ブログでは触れたくありません。
掛け替えのない大切な時間であったことだけ、お伝えしておきます。
お通夜の二日前頃から、やっと多少平常心を取り戻し、会葬御礼のご挨拶文を考え始めるようになりました。
不眠症で眠れない頭を働かせて、その言葉を、床の中で紡ごうとしました。
むろん、そんなやり方では、言葉が一向につながってくれません。
そうだ、自分のブログに下書きしよう、と思った私。
やつれた旦那さまの顔が痛々しいです。
その結果は、期待通りでした。
悲しみの中、思いが溢れ、その感情を素直に綴ったところ、たちまち文が出来上がりました。
読み返すと、あまり直すところがなく、私の思いが正直に語られた内容になっていました。
もちろん、感情を抑制するために、多少は推敲しましたが。
タイマーをセットして読むと三分足らずの長さ。
でもこれで完成ではありません。
社会人として活躍する娘たち二人に読んでもらい、変な箇所は直してもらおう、と思った私です。
二人とも、人前で話す文章は、書き慣れているはず。
長女は、社長と取締役の前で、部長昇格のためのプレゼンテーションを、最近こなしたばかり。
次女は、広報の部署のマネージャーです。
娘たちのこの賢明さも、無能な母親によるのでなく、夫の賜物と、私はYさんに心から感謝しています。
そんな二人ですが、意外にも両方から、一読後、「いいんじゃない」とあっさり認められ、ホッと一安心しました。
読む前の、次女の前置きは、かなり厳しいものでしたから、つい身構え、全体的な修正を覚悟したのですが。
前置きとは、マネージャーをしている次女でも、上司に、書き物を提出すると、至るところ直され、幾度も自信を失ってきたとのこと。
「最初はショックで、情けない思いがしたけれど、文章はそのような苦労の積み重ねを経て上達するものだと、次第に分かったの。
だから最近は直されても、以前のように落ち込まなくなったわ。
だから、ママも気にしないでね。
気になる所は、遠慮なく指摘させてもらうわね。」
次女のNちゃんが読んでいる間、ドキドキ、ドキドキ。
ところが、「これでいいんじゃない」と、長女のNちゃん同様の感想を一言。
良かったです。
お通夜が翌々日に迫っていました。
喪主として葬儀に臨むことへの緊張はかなりのものでしたから。
いろいろ直されると、気持ちが益々動揺してしまいそうでした。
娘たちが、意外にもすんなり認めてくれた内容でしたが、自信などあろうはずがありません。
けれど、それ以上手を加えて直す作業をする心のゆとりもなくて、次女のお婿さんに印刷してもらいました。
そして、いよいよお通夜、その翌日、葬儀の日を迎えました。
明日に続きます
ご覧下さいまして有難うございました。
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花のように泉のように
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