今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

涙ながらに聞いたお褒めの言葉の数々 

2016-01-30 07:40:26 | 家族

お通夜も告別式も、滞りなく無事に済ますことができました。

その日は、どっと疲れが出て、早く床に就いたものの、やはり真夜中に目が覚め、眠れません。

亡くなる前の一月、病室で半日を過ごした日々の、旦那さまの様子がありありと目に浮かび、相変わらず涙腺は緩みっぱなしの私。

一月半が過ぎようととしている今も、同様です。

睡眠の質は、かなり改善されてきましたが。

いつになれば、この状態から抜け出せるのでしょう。

 

良い事なんて、当分ないのではないかしら、と沈んだ思いで過ごし始めた葬儀後でしたが・・・・・・。

思いがけない嬉しいお話を、耳にすることになりました。。

葬儀が終わり、多少落ち着いてきた頃、お世話になった方々や、私の友人に、ご会葬くださったお礼の電話をかけました。

取り急ぎ、まずはお電話で、といったところです。

今は、毎日礼状をしたためていて、その作業で忙殺されています。

 

手紙を書くって、素敵なことですね~
丁寧に真心こめてその時間を紡げる幸せを感じています。
でもやっぱり大変な作業ですけれど。
既に封書は10通くらい、はがきは60枚くらい書きました。

 

 電話をすると、つい思いが溢れ、長電話になることが多くて・・・・・・。

皆さん、温かな言葉で励まして下さいます。

すると、また目が潤んでしまう私。

どなたでも、身内の別離は、同じような経緯をたどり、歳月の流れを味方にして、徐々に立ち直っていくものなのかもしれません。。

 

さて、こんな悲しみの中、嬉しかった事とは。

葬儀後の、喪主である私の会葬御礼の挨拶を、数人の方が大層褒めて下さった事です。

夫が一番親しかった同僚、膨大な読書量で知られる次女の義父さま、大企業の副社長の経歴があられる親友のKさんのご主人さま、その他、私の友人。

その中でも、同僚のNさんの少々過剰すぎるお褒めの言葉は、特に胸に沁みました。

文才で知られた夫が多少は満足し、あの世に旅立ってくれたかもしれない、と思うと、また胸が詰まってしまった私です。

 

褒められたことを、他者に具体的に話すのは、奥床しさに欠け、恥ずかしい事かもしれないけれど、私はこういう時、開き直ってしまうようです。

自分の個人日記に過ぎないブログ。

多少節度を欠いても、嬉しい事、悲しい事、なんでも素直に綴りましょう、と。

 

 

 ですからNさんがおっしゃってくださったことを、臆面もなく記します。

「これまで、幾度も葬儀には参列したけれど、喪主の挨拶で、今回ほど感動したことはありません。

本当に素晴らしかったですよ。

200点満点でしたよ。

思わず拍手をしようかと思ったほどでした。

恐らく私が拍手したら、感動の拍手が沸き起こったでしょうね~。

Nさんの人柄も、実に見事に表現されていたし。

Nさんもさぞ喜んだことでしょう」と。

 

Kさんのご主人は、

「型にはまった儀礼的な喪主の挨拶がほとんどだけれど、このたびのは、具体性があって、実に良かった。

わたしも母親の介護をしていて、同じような心境によくなりますよ」

次女の義父さまのお褒めの言葉は、長女から詳しい事は聞いていません。

 

 

文例を色々読んで参考にし、用意したものではありません。

落ち着いて考える心の余裕も、心静かに綴れる時間もほとんどありませんでした。

家族が起床する前の早朝、まさにブログを綴る時間帯に書きました。

ブログで多少は書き慣れていたことが幸いしたのでしょうか。

生前、お世話になった皆様への感謝の気持ち、夫への思いを、感情はできるだけ抑制して、精いっぱい素直に語りたい。

それだけでした。

 

夫が天国に旅立つ前のはなむけの言葉になってくれたのであれば、本当に嬉しいです。

チョッピリでも御恩返しが、最後にできたかしら?

そう思うことに致します。

 

 

昨夜、私の心の支えだった、大切な大切な友人が、亡くなりました。

お嬢様からのお電話で、すぐそれを察し、気持ちの動転が抑えられなくなりました。

重いパーキンソン病を患っておられましたのに、私へ、優しい気遣いを幾度も示してくださったUさん、

不自由な手で書かれたお手紙を何度も頂きました。

それに引き換え、私は自分の事で精一杯の日日でした。

 

今日、友人へ宛てたお手紙に、Uさんの気丈さと優しさを見習って、私も頑張ります、と書いたばかりでしたのに。

49日が過ぎたら、会うのを楽しみにしていましたのに。

今の私には、余りに辛すぎる訃報です。

悲しくて悲しくて仕方ありません。

 

他にも信じられないような長女の親友の訃報を聞き、涙の壺がもう一つできたような心境といっていました。

またもう一つ、壺が必要になってしまいました。

もうこれ以上は抱えきれません。

またいつか改めて、この事について書きたいと思います。

 

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 花のように泉のように

 

 

 


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