お通夜も告別式も、滞りなく無事に済ますことができました。
その日は、どっと疲れが出て、早く床に就いたものの、やはり真夜中に目が覚め、眠れません。
亡くなる前の一月、病室で半日を過ごした日々の、旦那さまの様子がありありと目に浮かび、相変わらず涙腺は緩みっぱなしの私。
一月半が過ぎようととしている今も、同様です。
睡眠の質は、かなり改善されてきましたが。
いつになれば、この状態から抜け出せるのでしょう。
良い事なんて、当分ないのではないかしら、と沈んだ思いで過ごし始めた葬儀後でしたが・・・・・・。
思いがけない嬉しいお話を、耳にすることになりました。。
葬儀が終わり、多少落ち着いてきた頃、お世話になった方々や、私の友人に、ご会葬くださったお礼の電話をかけました。
取り急ぎ、まずはお電話で、といったところです。
今は、毎日礼状をしたためていて、その作業で忙殺されています。
手紙を書くって、素敵なことですね~
丁寧に真心こめてその時間を紡げる幸せを感じています。
でもやっぱり大変な作業ですけれど。
既に封書は10通くらい、はがきは60枚くらい書きました。
電話をすると、つい思いが溢れ、長電話になることが多くて・・・・・・。
皆さん、温かな言葉で励まして下さいます。
すると、また目が潤んでしまう私。
どなたでも、身内の別離は、同じような経緯をたどり、歳月の流れを味方にして、徐々に立ち直っていくものなのかもしれません。。
さて、こんな悲しみの中、嬉しかった事とは。
葬儀後の、喪主である私の会葬御礼の挨拶を、数人の方が大層褒めて下さった事です。
夫が一番親しかった同僚、膨大な読書量で知られる次女の義父さま、大企業の副社長の経歴があられる親友のKさんのご主人さま、その他、私の友人。
その中でも、同僚のNさんの少々過剰すぎるお褒めの言葉は、特に胸に沁みました。
文才で知られた夫が多少は満足し、あの世に旅立ってくれたかもしれない、と思うと、また胸が詰まってしまった私です。
褒められたことを、他者に具体的に話すのは、奥床しさに欠け、恥ずかしい事かもしれないけれど、私はこういう時、開き直ってしまうようです。
自分の個人日記に過ぎないブログ。
多少節度を欠いても、嬉しい事、悲しい事、なんでも素直に綴りましょう、と。
ですからNさんがおっしゃってくださったことを、臆面もなく記します。
「これまで、幾度も葬儀には参列したけれど、喪主の挨拶で、今回ほど感動したことはありません。
本当に素晴らしかったですよ。
200点満点でしたよ。
思わず拍手をしようかと思ったほどでした。
恐らく私が拍手したら、感動の拍手が沸き起こったでしょうね~。
Nさんの人柄も、実に見事に表現されていたし。
Nさんもさぞ喜んだことでしょう」と。
Kさんのご主人は、
「型にはまった儀礼的な喪主の挨拶がほとんどだけれど、このたびのは、具体性があって、実に良かった。
わたしも母親の介護をしていて、同じような心境によくなりますよ」
次女の義父さまのお褒めの言葉は、長女から詳しい事は聞いていません。
文例を色々読んで参考にし、用意したものではありません。
落ち着いて考える心の余裕も、心静かに綴れる時間もほとんどありませんでした。
家族が起床する前の早朝、まさにブログを綴る時間帯に書きました。
ブログで多少は書き慣れていたことが幸いしたのでしょうか。
生前、お世話になった皆様への感謝の気持ち、夫への思いを、感情はできるだけ抑制して、精いっぱい素直に語りたい。
それだけでした。
夫が天国に旅立つ前のはなむけの言葉になってくれたのであれば、本当に嬉しいです。
チョッピリでも御恩返しが、最後にできたかしら?
そう思うことに致します。
昨夜、私の心の支えだった、大切な大切な友人が、亡くなりました。
お嬢様からのお電話で、すぐそれを察し、気持ちの動転が抑えられなくなりました。
重いパーキンソン病を患っておられましたのに、私へ、優しい気遣いを幾度も示してくださったUさん、
不自由な手で書かれたお手紙を何度も頂きました。
それに引き換え、私は自分の事で精一杯の日日でした。
今日、友人へ宛てたお手紙に、Uさんの気丈さと優しさを見習って、私も頑張ります、と書いたばかりでしたのに。
49日が過ぎたら、会うのを楽しみにしていましたのに。
今の私には、余りに辛すぎる訃報です。
悲しくて悲しくて仕方ありません。
他にも信じられないような長女の親友の訃報を聞き、涙の壺がもう一つできたような心境といっていました。
またもう一つ、壺が必要になってしまいました。
もうこれ以上は抱えきれません。
またいつか改めて、この事について書きたいと思います。
ご覧下さいまして有難うございました。
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花のように泉のように