思いがけない多くの弔問客がいらして下さったお通夜。
その夜、帰宅してからも、私の心に焼き付いて離れない光景がありました。
夫の友人、同僚たちが、祭壇に置かれた夫の棺の前に佇まれる姿です。
長い列をなし、足を運び、一人ひとりが夫との別離を惜しんで下さっているかのように見えました。
特に、すらっとしたあか抜けた雰囲気の老紳士が、しばらく、棺から離れようとなさらなかったこと。
何を思われたのでしょう。
別れの寂しさをかみしめておいでだったのでしょうか。
自分に何かを悟らせておいでのような、不思議な雰囲気がありました。
夫の職業柄のせいでしょう。
皆さん、品行方正な雰囲気の人たちばかり。
会社では、大層活躍なさった方達です。
そのような錚々たる人たちの前で、いよいよ喪主の挨拶をしなければならない告別式の日が訪れました。
棺が閉じられ前、夫と最後のお別れをした私は、平常心とは程遠く、涙で濡れたままの顔。
けれど、大勢の方を前にして、私の気持ちは、意外にも落ち着いていました。
旦那さまのために頑張らなくては、との気持ちで一杯だったのでしょう。
精一杯、心を込めて、一言一言かみしめ語りかけるように、ゆっくりと、会葬のお礼を述べました。
もちろん暗記は無理でしたので、手には次女のお婿さんに印刷してもらった紙を持ってのことです。
三分足らず。
つかえることもなく、あっという間にその時は過ぎました。
喪主として、他で心がけた事といえば、美しいお辞儀を心を込めてすることぐらいでしたでしょうか。
深い悲しみの中、それができる精一杯の事でした。
十数年前の写真です。
私は型通りの挨拶を儀礼的に済ますのは、あまり好みませんでした。
と言うより、その例文を色々読んで、準備する心の余裕などありませんでしたから。
まさにブログを綴るような素直な気持ちで認めた御礼の言葉。
後で数人の方が、それを聞いた感想を、直接私に、或は長女に述べて下さいました。
このことについては、少々気恥ずかしいですが、明日お話させていただきますね。
朝食の用意をし、夫の霊前にお供えし、「おはよう!」と今朝も声をかけました。
すると途端に涙で目が潤んでしまいます。
こんな日がいつまで続くのでしょうね。
叶わぬ片思い、の心境です。
皆様は、悔いが残らないように、旦那さまを大切に大切にして差し上げてくださいね。
私は、もっとこうして上げれば良かった、ああして上げれば良かった、と反省することがいっぱいです。
ご覧下さいまして有難うございました。
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花のように泉のように