今日は(10月7日)、次女家の長男、K君の話をします。
R君同様に、K君とも親密な時期がありました。
孫とのかかわりも、私の暮らしや体調の状況如何で、色々様相が変わりました。
最後の孫、かれんちゃんが誕生した時は、暫くすると、病床の夫の世話で大変な時期と重なり、
孫の世話どころではなくなってしまいました。
私自身も、体力が衰え、孫の面倒まで見る気力を失っていきました。
その点、初孫のR君同様、K君が誕生した時は、私はまだまだ元気。
次女のお婿さんが、数年間単身で地方勤務となり、その間、次女と同居したこともあります。
その時は、保育園のお迎えは私と主人でやり遂げ、娘が帰宅するまでK君の世話も、私が一手に引き受けしました。
夫も、K君の遊び相手となりよく面倒を見てくれたものです。
春の学園祭の時に写しました。
歌のコンクールで3位になったKくんです。
こんな才能があるなんて、私は知らなかくて、只々びっくり。
曲は「鬼滅の刃」のテーマ曲。
校庭に響き渡るような澄んだ美しい声。
会場が一番盛り上がり、みんなが手拍子を始め・・・。
私の背後では、野球部の人達からの威勢のいい応援の掛け声も聞こえました。
K君は、持って生まれた性格でしょうか。
実に穏やかな情緒の安定した子で、私も主人も、この子の世話で苦労したことは一度もありませんでした。
K君の笑顔に、いつも癒され、元気をいっぱい授けてもらってきた。
そんな感じです。
そう言えば、初孫のR君も同様だったかもしれません。
K君の人柄は。高校三年生になった今も変わらないようです
これも学園祭の時、撮ったものです
小学校から野球少年で、地方のリーグでそれなりに活躍。
受験期に入る小学校の5年生の秋まで、練習に励みました。
塾に通い始めてからは、私は下校時間を待って、娘宅に週に三回位通い続けました。
おやつを用意し、K君が塾に行くまでを見守るためです。
毎日、20分かかる道のりを歩いて出かけた私でした。
その頃の元気だった自分が、今となっては、とても懐かしい。
そして、第一志望の中学に無事に合格してからは、また野球部で大活躍。
キャプテンをやり遂げ、高2の秋、退部した時、顧問の先生から素晴らしいお褒めの言葉を授かったK君です。
Mちゃんにとっても身に余る嬉しい言葉だったのでしょう。
ラインですぐ私にも知らせてくれました。
以下のような顧問の先生の言葉でした。
Mちゃんが報告してくれた言葉をそのまま載せますね。
「顧問の先生にここ数年のキャプテンの中でも最高だったなんて言われびっくりしました。
冷静と情熱、クールなところと熱いところのバランスがキャプテンとして素晴らしかったんだって。
親の私が聞いてびっくりでした。」
体育祭で紅組の団長を務めた時のK君です。
そのK君は今、来年の春の大学受験目ざして、猛勉強中。
両親と同じ国立大学を一応目指しているようですが・・・。
「神様があなたに一番相応しい大学を選んででくださる。
ベストを尽くして天命を待つ」
平凡ですが、娘達にも言い続けたこの言葉をK君にも贈ります。
長くなるので孫娘の桜ちゃんとかれんちゃんの事は、またいつか日を改めて語ることにいたします。
これ以上に素晴らしい玩具はないのでは。
そう思えるくらいに、四人の孫達は全員愉しみました。
今は廃館になってありませんが、よく孫達を連れて行った、渋谷と青山の児童館にも置かれていました
パーツを少しづつ買ううちに、ここまで揃える事ができました。
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