大雪の空

46歳から始めて嵌ってしまった山歩きの記録と野球などの雑記帳。時々帰郷中の島暮らしの日常。

辞本涯の碑とキリシタン墓地

2012年11月07日 | 教会巡り/島歩き
三井楽教会からあの空海縁の「辞本涯の碑」と
「キリシタン墓地」を見に行ってみた。

辞本涯の碑は単独ならまあまあなんだが、空海の像が横にあるので軽い感じ。
何で余分な雰囲気ぶち壊しの像を立てるかなあ。

   

 



「キリシタン墓地」は辞本涯の碑から南に5分ほど走った所にあった。


荒々しい波が押し寄せる海岸にあるから、
長い禁教の時代を耐えてきたのを重ねると何とも言えぬ気持ちになる。

墓の傍にマリア像を立てているのが珍しい。
海上左手に見える島影は二度とも渡れなかった嵯峨島だ。

  
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樫の浦のアコウの巨樹

2012年11月07日 | 教会巡り/島歩き
浦頭教会への途中で樫の浦にあるアコウの巨樹を
見に行く事にした。
雰囲気が良ければ切り上げて寝ても良いかと思ってたが
まったくそんな環境ではなかったので浦頭教会へ戻った。

案内板はあったが勘違いして先に行ってしまい時間をロスした。
戻って見たアコウの巨大さに度肝を抜かれた。

うちの島にある奈良尾のアコウも相当な物だが、こちらの方が
若くて元気が良い。

県下で最大、九州でも最大級の巨樹だそうだ。

掃除をしていたおじいさんが(と言っても俺とカツカツだが)
枝が伸び過ぎて切らなくちゃあならないのがなあと言っていた。

民家が後でできたのに、先住しているアコウが痛い目に遭うのが
理不尽だが、よくある事だな。

本当にでかくて驚いてしまったが、紀伊半島や高知あたりに
もっと大きなのがありそうな気がするんだがなあ。

     
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牢屋の窄殉教記念教会

2012年11月07日 | 教会巡り/島歩き
何かが足らない気がしていたが、この教会の事を忘れていた。

旧五輪教会と山越えの事で頭が一杯で書き漏れたらしい 。

この地で起きた惨劇はちょっと有り得ない酷さだ。

何と六坪に二百人を押し込めたというのだから驚きと怒りに震える。
一坪に33人!!!よく押し込めたもんだ。それも8ヶ月以上もだ。
排泄も立ったままなんだから言葉も出ない。
かてて加えての毎日の男女問わぬ拷問!

結果、入牢中に39名・出牢後に3名の42名が死んだ。

これが同じ人間のやる事だろうか?

同じ久賀島に住んでいた人間が押し込めたのだろうが、
隠れキリシタンという事でやれたのだろうか。

江戸期から続いた「キリシタン弾圧」の根深さに
暗澹たる気持ちになるし、明治維新と言う物の底の浅さも情けない。

43名の犠牲者の碑が並んでいたが、「短躯のため圧死」
「うじに下腹部を喰われ死亡」など書いたのがあって生々しい。

しかし、新政府に移行して禁教令維持が発令されたにしても、
これ程の事をする人間の心理が解らない。


   

   

  
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福江教会

2012年11月07日 | 教会巡り/島歩き
ここは新しく最大規模の教会で写真に収めるのに苦労するほど。

建てられて直ぐに発生した福江大火では奇跡的に生き延びた。

1962年9月26日未明、東浜町付近から出火し、
平均7M瞬間最大風速12.1Mの強風で瞬く間に燃え広がった。
焼失面積132,000平方M・消失戸数604・被災世帯811被災者3,936
という当時の長崎県下最大の火災となってしまった。

当時中学生だった俺もテレビなどで見聞きしていたのだろう、
しっかり記憶していたが、焼け残った教会の事は忘れていた。

焼け野原に凛として立つ教会は市民の心の支えになったろう。


 

今年はその福江大火から50年だそうだ。
それにしては教会が綺麗なのに感心する。

あまりに立派過ぎて歴史的な趣が皆無なのは仕方が無かろう。
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浦頭教会

2012年11月07日 | 教会巡り/島歩き
堂崎教会の後行ってみたら葬儀があっていたので福江へ走った。

市役所で繁敷教会への行き方を聞き、ホットモットで弁当を仕入れて向かったが
結局分からず次回に持ち越した。

その代わりにやった七ツ岳の後に樫ノ浦のアコウの巨木を見てから再訪した。
さすがに葬儀も終わっており、ゆっくり見物できた。

この教会は新しく規模の大きな建物だった。
歴史的な重みは全く無いのは仕方がない。

   

   
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