まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

お迎えに来ている

2017-09-20 08:45:39 | くらし

今日は彼岸の入り。

小説『長いお別れ』で看護師が言った言葉。
「今夜は、できるならお泊りになった方がいいと思います」
経験上、分かると書いたけれど。

 昨夕

父のときは全くもってその気配が分からず、泊まり込んでいた病院から朝食を食べに家に帰った
その隙を狙うかのようにして、父はひとりでサッサと逝ってしまった。

母のときはそれが何となく分かった、なんとなくとしかいいようがない。今晩あたり逝くかもしれないと。
それで、病院から夜具を借りて母のベッドの横に敷いて初めていっしょに寝た。母は高いびきをかいていた。
私は今までになく穏やかな気持ちでそれを聞いていっしょに過ごしていた。
日をまたいだころ、母の様子を見てあぶないかもと思い、実家で留守番していた夫に連絡し二人で見送った。
ほんとうに不思議としか言いようのない感覚だった。

知人は似たような経験を話す。
知人は、忙しいご主人に変わって親戚の女性の看護を夜ずっと引き受けていたそうだ。
その人はだんだんに弱って来ていて。
毎晩のように見舞いに来ていたご主人がその晩も「そんなら俺もう帰ろうかな」と言うので、知人は、
「あんた、今日は帰らん方がいいと思うや。もっとおってやれっちゃ」と引き留めたそうな。
やはりそんな気がしたんですって。

母が入院していた看護師さんが言うように、長い間その人を看護して看ていると、
それはもう看護していた人がいちばんよく分かる、というそのことなのかもしれない。

その女性は最後まで意識が明白だったけれど、病室の天井を見て、
「カツトシがそこに来とる。友達もそこにおるわ、アサコもおるねかや、見えん?」とご主人と知人に
さかんに訴えて、何度も訴えてくるのだそうだ。
ご主人はそれを聞いて、
「カツトシが来とるならそんなら俺が諦めんならんなあ」と妻に最後に伝えたとのこと。もう泣けてくる。
妻は「ありがとう」と言って。その後亡くなったそうだ。話す知人も聞いている私も涙拭う。

私はやはり母のことを思い出す。
あれは、亡くなる4,5日くらい前のことだと思う。ちょうど母の妹がお見舞いに来ていたその時。
それまで目をしっかり閉じていた母が、急に両目を見開いて病室の天井を見渡し始めた。
母は7年間も寝たきりで意識がなかったけれど、それははっきりと強い意志を持った動作に見えた。
叔母は、
「あれ、私は初めて母さんが両目を開けたのん見たや、いっつも片目しかあいとらんだったもんな」と言った。
ほんとにそう。たまに両目開けるときがあっても、それはいつもぼんやりとしていた。

「あっちに先に逝っとるもんがみんな迎えに来とるんだわさ」と叔母は続けた。
母さんよかったじゃない、みんな待っとってくれとるわよ。
と、私も先に亡くなった身内のひとりひとりの名前を挙げた。

知人の話を聞きながら、そういう嘘のような信じてもらえないような経験てほんとうにあるよね、と実感した。

秋の彼岸の入りに思い出を。

 

コメント (2)
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