まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

昭和40年代 私の正月の思い出

2019-01-04 09:19:38 | くらし

3が日は穏やかな天気に恵まれて。うらうらと過ごす。
さまざまな出来事は、ま、いっかと例によってやり過ごして。

近所でひとり暮らしをしている家にはお子さんの車が駐車。
お母さんと正月を迎えたお子さんたちも、みな帰って行った。
カワナカサンは大晦日を息子さん夫婦と過ごし、お正月を息子さんの家で迎え、昨日には帰って来た。
去年秋、お母さんを亡くしたひとり娘さんの家で雨戸を閉める音がするたびに、さぞやと胸が痛む。

私も横浜で就職して、正月を迎えるたびにどこで過ごそうかと思案した。
独身の時ね。個人のお宅の2階で下宿していたときね。
船に弱い私は冬の佐渡には帰りたくない。新幹線もカーフェリーもない時代よ。
かといって、下宿にそのままいたらおばちゃんに気を遣わせてしまう。

正月流浪の民。
ある時は千葉のオジサンの家に厄介になる。
ある時は同僚と二人して京都奈良に出かけ、宿で紅白歌合戦なんか観てすごした。
今でも忘れないわ。
布施明が♪ごらん ふしちょう とかって袖にひらひらの糸みたいなのを付けて広げながら歌ってた姿。
明日香では民宿に泊まって。いやあこれが寒いのなんの、なんせ45年も前だもの。
行火入れてもらっても布団の中はまだ冷たいの。明日香鍋なるものも食べて。

なぜか1回だけ同僚二人が下宿に来たことがある。
昭和40年代よ、若かったのね、二人とも着物着てきたの。
えっ!?ほんとに正月に着物着るんだ、と田舎者の私は驚いたのなんの。
2日か3日だったと思う。なんで地元の彼女たちが来ることになったのかしらね。
そのころは正月は店屋は休業だったから、何を出してもてなしたのかしら、そこはさっぱり覚えていない。
着物姿だけが鮮明なのよ。のどかだったわ。

結婚してからの正月をどう過ごしたかもあまり覚えていない、ともかく忙しかったから。
ただ母が毎年暮れに、
煮物用の焼いたスケトウダラ・スケトウダラの子を煮付けたもの・野菜・餡子・草餅や栃餅白餅
などを段ボールひと箱送ってくれた。
ありがたくもあり、あまり食べないのになちょっと、の思いもあったり入して。
罰当たりだったわね、若かったのよ、今となればそれも懐かしい思い出。

 

コメント (4)
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