まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

身につまされる 『あと千回の晩飯』 山田風太郎著

2019-01-09 08:52:37 | 

いやあ、年の初めにふさわしい1冊を読んだのかもしれない。
『あと千回の晩飯』1997年  

山田風太郎さん、私は勝手に昭和の時代に活躍し昭和の時代に亡くなったとばかり思っていたのよ。
それくらい古い作家さんだと思い込んでいた。
おまけに書かれる作品は、忍法帖シリーズ エログロナンセンスものだの奇想小説だのと、
全く興味が湧かない作品ばかりだから、いくら評価されようが関心なんて1ミリもなかったの。

それが年末、地区センターの書棚から「あと千回の晩飯」の文字が飛び出して見えたわけ。
こういうことってたまにあるのよね。「どうぞ私を連れてってください」というやつ。
そうか、そういうことならと躊躇なく持ち帰った。

もう今の私にぴったり。年齢もぴったり追いついて。いい時期に手に取ったものだと思う。
もっと若くても年をとっても、そういうものかな、で終わっていたような気がする。今なら
「山田さんあなたのように酸いも甘いも分かってらっしゃる方でもそんなふうに思われるんだ」
としみじみ共感し、ほんとうにそうよねとそういうことよね、と身につまされる。

老いの繰り言といえば身も蓋もないが、どこか俯瞰的にご自分を見ていて、かなり深刻な事態なのに
まるで他人事のようで飄々としている。つい笑いたくなってしまう描写がなんとも面白い。

エッセイ1回目の冒頭の文章

いろいろな徴候から、晩飯を食うのもあと千回くらいなものだろうと思う。
といって、別にいまこれといった致命的な病気の宣告を受けたわけではない。
72歳になる私が、漠然とそう感じているだけである。病徴というより老徴というべきか。

もうこの文章を読んだだけで、我が身に置き換えてなんだか胸が詰まる。

とくに興味を惹いた項の文章抜き書き(途中省略部分多々)

60歳を少し越えたころ、「私の死ぬ話」と題して、当時私の気にかかっていた身体の故障、
あるいは私の将来死にそうな病気について随筆を書いたことがある。
そのときの私のならべた故障ないし病気は、脂漏性湿疹、脳溢血、歯、肺がん、心筋梗塞、胃潰瘍、
肝硬変、ぎっくり腰、尿路結石、便秘、足のイボ。10年後白内障、書字困難症、前立腺肥大が加わる。

他の病気は分かる、誰でも年をとれば罹りそうな病気だ。そこに「脂漏性湿疹」が入っているのがおかしくて。
私も今のところおさまっているけれど、一時苦しめられた病気なの。
山田さんも罹っていたのかしら、痒みで頭掻きむしっていたのかしら。親近感がわくわ。

蓼科の山小屋。2階が書斎兼寝室、トイレがない。
階下に降りるたび階段がギーコギーコなるから、客を起こすと思い数年前から夜シビンを使うようになった。
朝までにちょうど一杯になる。
満杯になったものを眺めると、黄金色のきらめきといい、泡のたちかたといい、ビールそっくりだ。
感心なことに把手までついている。それを握って高くかかげると思わず「カンパーイ!」と叫びたくなる。

もう笑ったのなんの。そこで私も思い出した。
父が入院していたとき同室になった男性が、そちらに管を挿入して尿の袋をぶら下げていた。
そして言ったことがだいたいこういう意味のこと。
「おれの家の便所が遠いんだっちゃ。夜便所へ行きとうなっても行くのが大変だけど、これぶら下げてれば
行かんでもいい。そのまましてもいいから便利だ」究極のポジティブ思考に笑うやら感心するやら。忘れられないわ。

ところがそんな呑気なことを言ってられたのもそこまで。
自分の書いた文字さえ読みかねるありさまに辟易して、いよいよ白内障の手術を受けるために眼科へ。
眼科医が憮然として投げつけた言葉。
「遠くない将来、君は死ぬか失明するかだ・・・・ここまで来ては回復しない」
なんと白内障とおまけに末期の糖尿病だと診断されてしまう。さらにパーキンソン病まで加わってしまう。

山田さん、人類65歳引退説の持論。
その持論に照らしても、七十歳を過ぎてまだ無病息災などという事態は許されることではない、とまできっぱり。

それでも七十を越えると、意外に思ったことはある。
それは老境に至って、案外寂寥とか焦燥を感じないことだ。
ってそうなのかしら。焦燥は感じないけれど、凡人の私は寂寥は常に感じているわ。
入院生活は「アッケラカン」ですって。アッケラカン、か。

エッセイの書きはじめは平成6年秋。
余命はまあ、あと千日くらいかなと見当つけて、その間の献立表を作ってみようかと発心した。

食事は関心を持っているのに、前夜に何を食ったか、あくる日忘却しているのである。
思い出そうと首をひねっても、なんとしても思い出せない。

あと千回くらいしか晩飯が食えないなら、その千回を事前にみずから予定したものにしたい
と思い立ったにすぎない。

それで奥様と昭和63年の記録を基に献立を立てはじめる。
はじめたはいいが、そんなものは食いたくないとか食えんとかで挫折してしまうのよ。
「そもそも食い物を予定表によって食う、などということがまちがってるのかも知れん。
こんなことはよそう」
そうですよ、それは無意味です、とそこは恐れ多い大先輩の山田さんにでもひとこと言いたくなるわ。

後半のエッセイになると可笑しみだけではない凄みを感じてくる。

糖尿病パーキンソン病の症状はあるが、日常はアッケラカンと暮らしているが、これはひとえに
疼痛や苦痛がないということだけで、七百回の晩飯もあやしいという事態に刻々と迫りつつあるのは確かだ。

尾形乾山の辞世に心惹かれるようになった。私には風の中に尾形乾山の歌声が聞こえる。
「うきこともうれしき折も過ぎぬればただあけくれの夢ばかりなる」
しかし、そんな歌声をききながらあと千回の晩飯を食って終わるのは、あまりに寂しい気がする。

いろいろと死に方を考えてみたが、どうもうまくいきそうもない。
私としては滑稽な死に方が望ましいのだが、そうは問屋がおろしそうもない。
あるいは死ぬこと自体、人間最大の滑稽事かもしれない。

山田風太郎さん 1922年(大正11年)~2001年(平成13年)没 79歳

 

コメント
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