電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

吉村昭『暁の旅人』を読む

2009年11月16日 06時49分37秒 | -吉村昭
講談社文庫で、吉村昭著『暁の旅人』を読みました。順天堂病院の創始者・佐藤泰然の次男で、幕府奥医師の松本良甫の養嗣子となった松本良順の生涯を描いた、評伝風の作品です。作者の医家ものは定評がありますが、本書もまた、幕末の動乱を背景にした、重厚な物語です。

松本良順は、長崎の海軍伝習所にオランダから派遣された医師ポンペについて医学を学ぶことを、ようやく許されます。それは、オランダ語の医学書を解釈し知識を吸収するという、従来の蘭方医とは異なり、物理・化学、解剖学、病理学、薬学、内科、外科、眼科などを実地で学ばせる、体系的かつ実証的なものでした。

松本良順は、オランダ語会話を学ぶかたわら、熱心に医学を修得します。さらに、長崎において病院兼医学校を設立し、ポンペのもとで多くの蘭方医を育てます。やがて良順は江戸に戻り、幕府医学所の頭取として、医療と後進の育成に努めます。

しかし、時代の大きな変化は、大政奉還、明治維新と、それをよしとしない奥羽列藩同盟との戦争の方向に流れていきます。徳川幕府への忠節を願った良順は、家族を逃し、江戸から会津に逃れ、そこで戊辰戦争の傷病者の治療にあたります。銃砲による負傷に対する漢方医の誤った治療を正し、弾丸の摘出と消毒を教え、多くの命を救います。会津藩主・松平容保は、幕府医学所の頭取を勤めた良順の才能を惜しみ、会津落城の前に脱出を勧めます。米沢を経て庄内に至る経路は、東北南部をほぼ縦横断するものです。



庄内に到着し、湯田川温泉でリューマチを治療した良順は、榎本武揚ら旧幕府高官から誘いを受け、仙台に向かいます。そこで、幕府の軍艦とともに函館に同行を求められますが、尋ねてきた土方歳三のすすめで、ひそかに江戸に戻ることにします。横浜に潜伏するところを捕えられ、ほぼ一年半の禁固生活を送りますが、ようやく釈放され、家族のもとに帰ることができます。多くの資金提供を受けて、東京に洋式病院を建設するのですが、この一連の流れに登場する人物は、松平容保、近藤勇・土方歳三らの新選組や、榎本武揚、山縣有朋、陸奥宗光など多彩で、幕末の物語としても第一級の読みものです。

後年、陸軍の軍医部の前身に奉職しますが、脚気病には手が出ない場面も描かれ、これは後の高木兼寛を描く『白い航跡』(*1,2)に連なるところでしょう。また、榎本武揚に誘われる場面から、フランス医学を修めた外科医・高松凌雲(*3)と混同しそうになりますが、こちらは『夜明けの雷鳴』のほうです。

(*1):吉村昭『白い航跡』上巻を読む~「電網郊外散歩道」より
(*2):吉村昭『白い航跡』下巻を読む~「電網郊外散歩道」より
(*3):吉村昭『夜明けの雷鳴~医師 高松凌雲』を読む~「電網郊外散歩道」より
コメント (13)