電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

モンゴメリ『アンの愛情』を読む(4)

2009年11月27日 06時20分35秒 | -外国文学
モンゴメリ作『赤毛のアン』シリーズ第三作『アンの愛情』、物語はいよいよ大詰めです。

第31章「アンからフィルへ」、第32章「ダグラス夫人のお茶」。夏休みの間じゅう、東部のバレー・ロードの学校で教えることを頼まれたアンは、ミス・ジャネット・スウィート家に下宿します。そんな状況を、アンからフィルへ宛てた手紙という形で説明したのは、作者の工夫なのでしょう。ジャネットはダグラス氏を愛しているのですが、彼は結婚を申し込もうとしないのです。

第33章「通いつづけた二十年」、第34章「ジョン・ダグラスついに語る」。そしてその理由は、母親にあったことが判明します。アレックの言葉「猫(意地悪女)は猫らしくしているのが好きだ。人間の皮をかぶった猫なんか嫌いだ」のとおりでした。ジャネットの寛大な赦しは、アンにも強い印象を与えたことでしょう。そして、誤解のもたらす悲しみと苦しみも。

第35章「レドモンドの最後の年」、第36章「ガードナー夫人とその娘たち」。夏休みが終わって、パティの家で四年生の生活が始まります。フィルはジョーを家族に認めさせ、ステラは古典の勉強に頭が痛く、アンは昔の物語クラブの原稿を読みながら笑い出します。でも、中には素材となる一篇が見付かったようです。そして、『青年の友』誌に採用となり、編集長は他の原稿も見せてくれというのです。文学への野心が芽生えているとき、ロイの母娘の訪問は必ずしも歓迎ではなかったはずなのに、なぜ承知したのか。こんなふうに、物事は既成事実の積み重ねの上に転がり進んで行くものなのでしょう。ロイの家族の中で、妹のドロシーだけは好きになれそうだという発見は幸いでした。

第37章「学士たち」、第38章「偽装した愛情」。最後の試験を前に、女子学生たちは呻きますが、ジェムシーナ伯母さんの温かく厳しい批判に背筋を伸ばして立ち向かいます。

「あんた方はレドモンドで今では通用しない古語だの幾何だの、なんだのというくだらないもののほかに、なにか学びましたかね?」
とジェムシーナ伯母さんは追求した。
「ええ、学びましたとも。学んだと思いますね、伯母さん」
とアンが抗議した。
「あたしたちはこの前の研究会でウドレイ教授のおっしゃったことが真実だということを学んだわ」とフィルが言った。
「教授はね、『ユーモアは人生の饗宴においての最も風味に富んだ調味料である。自分の失敗を笑い、そしてそこから学べ。自分の苦労を笑い草にしつつ、それから勇気をかきあつめよ。困難を笑い飛ばしながら、それに打ち勝て」っておっしゃったの。これは学ぶ価値があるでしょう、ジェムシーナ伯母さん?」
「ええ、ありますよ、フィル。笑うべきことを笑い、笑ってはならないものを笑わないことをおぼえた時、あんた方は知恵と理解力を会得したわけなのですよ」

そして卒業式の日、アンはロイに贈られたすみれの花ではなく、ギルバートに贈られたすずらんの花を身につけます。宿願達成の日、古くからの友であり同志であったギルバートとのつながりが、より深く感じられたからでしょう。様々な噂や憶測は誤解のもとでしかありません。
仲間たちが「パティの家」を去り、別々の道を歩もうとする頃、アンはロイの求婚を受けて、突然に閃光のように悟るのです。自分はロイを愛しているつもりだったが実は愛しているのではない。「あたしはあたしの生活に属している人がほしいのよ。あの人はそうではないの」。そうなんです。外見やほめ言葉の上手さではなくて、生活を共にする相手でなければ、一緒にはやっていけないのです。教会で、牧師さんが言うではありませんか----あなたはこの人を、富める時も病める時も、変わらず愛しますか----と。愛情は意志を伴うものなのですから。

第39章「結婚式さまざま」、第40章「黙示録」。ジェーンは四十年配で背が低くやせて白髪まじりの億万長者と結婚し、フィル・ゴードンは貧しい牧師と結婚して貧民窟に赴き、ダイアナは男の子を産んで夢中になっており、アラン牧師夫人は母親のただ一つの思い出を語りますが、アンはそのいずれも持ち合わせず、人生を空虚に感じるのでした。そして山彦荘に帰ってきたラヴェンダー夫妻に再会します。シャーロッタ四世は相変わらずアンの崇拝者ですが、デイヴィの知らせは思わず蒼白になるほどの衝撃でした。五年間、誰も取る者がなかったクーパー奨学金をかちえる程に勉学に打ち込んだギルバートは、やせて体力も衰えているところを腸チフスにかかり、もう望みはないと言うのです。自分がいかに盲目で愚かであったか、ギルバートがいかにかけがえのない存在であるかを瞬時に悟るのです。

第41章「真実の愛」。最後の章は、駄文は割愛しましょう。夜は明け、朝がやってきます。映画「赤毛のアン」でも、とても美しく印象的な場面でした。

(*):モンゴメリ『アンの愛情』を読む(1),(2),(3)~「電網郊外散歩道」より
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