電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

山形弦楽四重奏団第34回定期演奏会を聴く(2)

2010年02月01日 19時11分15秒 | -室内楽
山形弦楽四重奏団第34回定期演奏会、休憩後に、プロコフィエフの弦楽四重奏曲第1番が始まります。これは、今朝の記事「山形弦楽四重奏団第34回定期演奏会を聴く(1)」の続きです。

第1楽章:アレグロ。モダニズム~新古典主義時代のプロコフィエフにしては、強烈なたたきつけるような音楽ではありません。でも、神秘的な感じはよく出ています。意表をつく跳躍、すぱっと鋭角的な変化は、やっぱりプロコフィエフです。
第2楽章:アンダンテ~ヴィヴァーチェ。始まりはヴィオラとチェロから。ヴァイオリンが入り、緊張感のあるゆっくりした音楽になります。やがてテンポが速くなり、動きのある音楽に。不安感や焦燥感を感じさせる中に、チェロのピツィカートが実にタイミング良く入ります。このリズム感も、プロコフィエフのもので、ヴィオラの旋律が魅力的です。
第3楽章:アンダンテ。懐かしさを感じさせるロシアの子守歌のような旋律から。プロコフィエフらしい抒情性です。硬質の抒情。この楽章は、後年のプロコフィエフを思わせるものがあります。

作曲されたのは、1931年、米国議会図書館からの委嘱によって、とありますので、1891年生まれのプロコフィエフはちょうど40歳、不惑とはいうものの、不安定な惑いの時期だったのでしょう。わがままいっぱいに育った10代を経て、20代半ばで祖国を出て、40代半ばまで米国やヨーロッパで暮らし、作曲では認められつつ、演奏家としては必ずしも成功していない。このまま自分は年老いていくのだろうかという焦りや漂泊感が、政治体制の変化で不安もあるが懐かしくもある故国ロシアへの帰還という願望とないまぜになり、帰るに帰れなかったマルティヌーにも通じる、悩み、悲嘆や切迫感を出しているのかもしれません。



アンコールは、ハイドンの弦楽四重奏曲Op.76-1から、メヌエットを。あ~、やっぱりハイドンはいいなあ。カルテットの原点だなあ。当方、今回は事前予習なし。ぶっつけ本番でした。おかげで、音楽の外形だけ、上っ面をなでただけに終わってしまいましたが、それでもプロコフィエフの弦楽四重奏曲などに、あらためて興味を持ちました。これは、後でCDでじっくり聴いてみなければ!

また、今回のプログラムは、ハイドンを除けばきわめてマニアックな、近現代中心のものでした。プロコフィエフ好きの当方はともかくとして、この冬空の下、お客さんが入るのかなと心配しましたが、トップの写真のように、なんと約80名の来場者でした。これは、固定客数と見ていいでしょう。山形市の人口は20万人、周辺人口をあわせてもたかだか30万人程度の地方都市で、近現代中心の室内楽演奏会に80人の聴衆が毎回集まる。これは、演奏家と聴衆の両方の幸福な関係がなければ不可能なことです。室内楽専門の音楽ジャーナリスト、やくぺん先生(*)の言い方をちょいと真似るならば、「すごいぞ、山形!」なのかもしれません。

そして、次回の第35回定期演奏会は、なんと、チラシもカラー印刷です!
プログラムは、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第12番、尾崎宗吉「小弦楽四重奏曲Op.1」、ハイドンの弦楽四重奏曲Op.74-2、4月20日(火)、18:45~、文翔館議場ホール、です。これもまた、楽しみです。



(*):やくぺん先生うわの空~音楽ジャーナリスト渡辺和さんのブログ
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山形弦楽四重奏団第34回定期演奏会を聴く(1)

2010年02月01日 06時30分42秒 | -室内楽
1月最後の日曜日、31日の夜6時半から、山形市の文翔館議場ホールにて、山形弦楽四重奏団の第34回定期演奏会。午後、夕方に近づいてから親戚の親子が来訪し、大学入試センター試験の結果などを聞きました。まずまずの成績だったようで、第一志望の地元大学に出願する予定とのこと、励ましてやりました。

そんなこんなで、出発がやや出遅れて、会場に到着した時には、アンサンブルともズのプレ・コンサートが始まっておりました。本日は、ハイドンによる「ヴァイオリンとヴィオラのための6つのソナタ」の第5番。茂木智子さん(Vn)と田中知子さん(Va)のお二人です。

開演前のプレトーク、今回はヴィオラの倉田さんです。あれ?私が倉田さんの生の声を聞くのは、もしかしたら初めてかもしれません。テノールよりはむしろハイ・バリトンとでもいうのでしょうか、男声としてはやや高めの声域の、少しハスキーな、いい声です。
ハイドンの作品50という曲は、モーツァルトから献呈されたハイドン・セットに刺激を受けて、四人が対等の立場で演奏する緊密な音楽を志向して作られるようになった、出発点としての作品とのこと。もう一つのプロコフィエフは、アメリカの議会図書館から委嘱を受けて作曲されたものだそうで、ロシアに帰ろうかどうしようかと悩んでいた時期のものだそうです。この二曲の間に、林光「ラメント(悲の曲)」とヴォルフの「イタリアのセレナーデ」が入るとのこと。赤いネクタイの倉田さん、なかなか弁舌さわやかです。



いよいよ開演。第1Vnの中島さん、Vlaの倉田さん、Vcの茂木さんは黒のダークスーツにネクタイ姿ですが、中島さんと茂木さんのネクタイの色と柄までは確認できず。第2Vnの駒込さんは、春の青空のような目に鮮やかなドレスです。左から、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、そして右端にチェロが位置します。

第1曲、ハイドンの弦楽四重奏曲ヘ長調 Op.50-5「夢」。
第1楽章:アレグロ・モデラート。明るく快活な、いつものハイドンだけれど。そういえば、初期の曲は第1ヴァイオリン主導型のものが多かったかもしれない。第2楽章:ポコ・アダージョ。4人のハーモニーで始まります。第1ヴァイオリンを引き立てたり刻みを引き受けるだけではなく、4人で響きを作ります。チェロが深くていい音を奏でます。第3楽章:テンポ・ディ・メヌエット:アレグレット。第1ヴァイオリンの旋律に付けて、三つのパートが動きますが、単純ではありません。ここでもチェロがいい音を聴かせます。第4楽章:フィナーレ、ヴィヴァーチェ。第1ヴァイオリンが、スラーで面白い音を出します。ウィー、ホィー、ツィー、みたいな。ほどよく陰影も激しさもあり、活気あるフィナーレです。なかなか面白い曲です。

続いて第2曲、林光「ラメント(悲の曲)」。2000年の2月に、ニューヨークで初演された曲だそうです。出だし、いい響きです。伝統的なハーモニーではないけれど、引き裂かれたような現代で、調和を求めるとすればこんな響きになるのでしょうか。第1VnやVcが時おり印象的な強いフレーズを奏します。さらにVlaも。これにVcが絡むと、2つのVnが対抗するように。やがて四人の響きが探られます。第1Vnの長い持続音に第2VnとVaが金縛りにあったように加わり、Vcが入ると音楽は動きを再開します。第1Vnが長い持続音、第2Vnがピツィカート、その間VaとVcは沈黙します。4人の響きが再現され、Vcの持続音のうちに3人のピツィカート、そして2本のVnの持続する音が弱まる中で、VaとVcのピツィカートが静かに曲を閉じます。初めて聴きましたが、緊張感に満ちた、静かな、しかし強い印象を与える音楽です。

前半の休憩前にもう一曲、ヴォルフの「イタリアのセレナード」です。もっぱらレコードやCDで音楽に接してきたためか、小品に接する機会が少ない傾向が否めません。有名な作品であるにもかかわらず、当方、ほとんど初めて聴くようなものです。19世紀末のウィーンに現れた歌曲の作家でブラームス批判の急先鋒でもあった、フーゴー・ヴォルフの作品。全体に p や pp が多いようですが、時代がそうなのか、たいへんロマンティックな響きと感じます。未完の弦楽四重奏曲のある楽章を取り出したものというよりは、交響曲に対する交響詩のように、単一楽章で起承転結を持っている音楽のようです。



写真は、後方から見た休憩時の議場ホールの内部です。休憩のあとに、今回のメインプログラム、プロコフィエフの弦楽四重奏曲第1番があるのですが、時間切れです。続きはまた夜に。
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