電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

小川糸『食堂かたつむり』を読む

2010年02月07日 06時10分29秒 | 読書
ポプラ社刊の単行本で、小川糸著『食堂かたつむり』を読みました。物語の始めのほうは、「恋と家財道具一式と声」を失った若い女性・倫子が、ただ一つ残った祖母の「ぬか床」をかかえて故郷に帰り着くまで。中盤は、やや生真面目過ぎるように思えるけれど料理の才能があるらしい倫子が、故郷の人々と田舎町のゆったりした環境の中で、食堂「かたつむり」を開店する話。そして終盤は、母の秘密と母娘の和解の物語です。ユーモラスなところもありますが、なかなかシリアスなところもある、若者(あるいは、そろそろ若者と呼ばれる年代を卒業しつつある世代)向けの童話なのかな、と感じました。

もうすぐ映画化される(もうされた?)らしいです。チャンスがあればぜひ映画も観たいと思います。いいお話なので、あまり野暮天なつっこみをしてもしょうがないのですが、楽しみながらちゃんと読んだ証に、中年オジサン的なつっこみを少々。

(1)経済的な裏付けは合理性があるか。
ほとんど無一文になったわりには、店舗の意匠を実現するにはお金がかかるはず。母親から高利で借金したことになっていますが、田舎町のスナックのママは、そんなにお金を持っているのでしょうか。

お手洗は、壁一面タイル貼りにし、私が、色違いのタイルを貼り合わせて鳥のカップルの模様を作った。プリミティブな感じがあって、即興で作ったわりにはかなりいい仕上りになった。いくら料理が良くても、お手洗が汚いとすべてが台無しになってしまう。他の所は切り詰めても、お手洗いだけにはお金をかけることにして、最新式のシャワー付きトイレを購入した。壁にちいさな窓も取り付け、とても安らげる空間になった。

うーん、水まわりって、案外予算オーバーしやすいところなんですけど(^o^;)>
1日1組のお客しか受け付けない食堂「かたつむり」の売上げは、@数千円×25日としても、たぶん月に10万円はないと思われます。内装や道具など借金の返済に加え、光熱費だけでなく凝って作るさまざまな材料費などもあり、現実に店舗と本人の生活を維持していくのはけっこう難しいのでは(^o^)/

(2)主人公を置き去りにしたインド人の恋人は、なぜ去っていったのか。
数百万というお金も家財道具も、みんな黙って持ち去るという仕打ちは、愛情よりもむしろ憎しみを感じさせます。逆にいえば、倫子はなぜそれほど憎まれるようになってしまったのかが、よくわからない。ふと、思い当たりました。この物語というより童話は、一人称で、主人公の視点から書かれています。もしかするとこれは主人公のやや過敏な見方であって、真実はもっと相対的なものかもしれません。

(3)生命を食べることについて。
初めて生物学を学んだとき、最初の時間に習ったのは、独立栄養生物と従属栄養生物という区分でした。ヒトを含む動物はみな従属栄養生物であり、他の生物を食べることによって生きていくことができる。それは、動物という存在そのものがそうなのである、という認識に、ある意味、感動したものでした。この認識は、この物語(童話)の主題と、とても近いものです。

(4)母娘の和解について。
始まりは不幸を絵に描いたような事件ですが、その後は悪意の人間が登場するエピソードは一件だけ。娘が母親と和解するのは、母親の人生を理解できる年齢になったことの証というべきでしょう。ただし、水鉄砲には唖然。水道水中で精子が無事に生存できるのかどうか、たいへん疑問です。ありえないのでは(^o^)/
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