電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

好きな音楽が途中でとぎれる(中断する)ことを惜しむ気持ち

2010年02月18日 06時26分16秒 | クラシック音楽
中公新書で、岡田暁生著『音楽の聴き方』を少しずつ読んでいますが、中にこんな一節を見付けました。三輪眞弘さんの言葉だそうですが、

たとえば着メロとか、僕はそうとう耐え難いんです。なぜかというと、曲が始まって、途中で切らなければならないわけです。もし音楽が好きだという人がいたら、そんなことがどうしてできるんだろうと、まずは思うわけです。~後略~

というものです。思わず共感してしまいました。当然のことながら、当方は途中で中断を余儀なくされる着メロは設定せず、不粋なベル音または振動音であります(^o^)/

ところで、好きな音楽が鳴り始めたとき、途中で切ることができない、もっと聴いていたいと思ってしまう、という心理(*)はよくわかります。たとえば、ラジオドラマの制作でブルーノ・ワルターによるマーラーの交響曲第9番の第4楽章アダージョをバックに使ったとすると、私などは、場面が終わってしまっても途中でフェードアウトできなくなってしまうのではないかと思います。ディレクター、あるいはミキサー失格です。いやはや、実際ラジオ番組制作者にならずによかったなぁと思います(^o^)/

素人音楽愛好家は、純粋に音楽が「好き」なだけでいられる。これは、とても大事なことなのではないかと思います。そういう聴衆の層の厚みが、実は音楽の土壌なのではなかろうか。

(*):でも、ごはんの前に音楽を聴き始めないで、という妻の主張は正しい。「ごはんだよ~」の声が聞こえる前に、ちゃんと音楽が終わるようにするのが、素人音楽愛好家の保つべき節度であります(^o^)/

【追記】
文意をより明確化するために、「当然のことながら~振動音であります」と、接続詞「ところで」を追加しました。
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