電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

八幡和郎『本当は恐ろしい江戸時代』を読む

2010年02月26日 06時26分44秒 | -ノンフィクション
ソフトバンク新書で、八幡和郎著『本当は恐ろしい江戸時代』を読みました。著者は、当方とほぼ同世代に属し、国土庁長官官房参事官、通商産業大臣官房情報管理課長などを歴任し、徳島文理大学大学院教授、作家、評論家として活躍中とあります。なるほど、それでソフトバンク新書か、と思わずうがった見方をしてしまいますが、内容はかなり痛烈です。構成は次のとおり。

第1章 餓死者が続出し、はげ山だらけ
第2章 サドマゾ趣味のでたらめ刑罰
第3章 自由も民権もなかった暗黒の日々
第4章 旅は自由でなく、しかも歩くしかなかった
第5章 食生活も財政も米のみが頼り
第6章 教育水準が高かったというのはウソ
第7章 地方は「江戸藩」の植民地
第8章 「鎖国」したので植民地にされそうになった日本
第9章 働くのは嫌いで賄賂が大好きなのが武士

内容的には、半藤一利『幕末史』などと真っ向からぶつかります。たとえば第7章には、「戊辰戦争の官軍が賊軍を冷遇した事実はナシ」という節があり、「薩長が維新の功労者として有利な地位を占めたのは事実だが、それ以外は官軍側だからといって優遇された例はほとんどない」(p.175)とされています。これは、ほとんど薩長の独占人事だった、ということの別な表現なのでは。また、「太平洋戦争も、もし薩長閥が堅持されていれば起こることはなかっただろう」(p.179)とまで言い切っています。陸軍について、「太平洋戦争に突入したときの責任者」は「南部藩の東条英機など佐幕派の出身者が多かったのは象徴的」(p.219)というわけです。このあたりも、下級軍人には貧しい東北出身者が多く、上級軍人、特に歴代の中枢クラスは薩長が占めるという構造だったのでは、と思います。

また、本書では、「統帥権の独立」というクギが、文民統制を外れ憲政を志向した近代国家の袋を突き破る結果をもたらした、その直接の当事者である山県有朋を、「世界に通用するような素晴らしい現実主義者」として称揚する見方をとっています。これは、歴史上の人物の二面性なのでしょうが、この見方には、やや違和感を覚えます。

まあ、そんなところはジャブの打ち合いみたいなもので、本質的な主張は書名のとおり「本当は恐ろしい江戸時代」が、明治維新のどたばたによって近代国家に生まれ変わり、まがりなりにも、庶民も幸福になった面が多いのですよ、ということであろうと思います。その点については、なるほど、そうだなあと同感、共感できるものでした。
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