明治から昭和初期にかけて、熊本のお座敷文化を支えた「町芸者」たちは最初、寺原町の坪井川土手付近に住んでいたので「土手券」と呼ばれた。わが町の文化史の一つである「土手券」について数年前から史料を探しているのだが見つからない。何かその痕跡でもとお年寄りのお話を聞いて回ったりしているが、さすがにご存じの方はもういらっしゃらないようだ。
「土手券」たちがどんな芸を披露していたのか、当時の芸能関係資料などから推測するしかないが、昭和10年に水前寺北郊で開催された「新興熊本大博覧会」の公式ガイドブックに、熊本の民謡として次の8曲が歌詞付きで紹介されている。
火の国小唄/五十四万石/田原坂/おてもやん/キンキラキン/東雲節/新興熊本博覧会会歌/新興熊本小唄
最後の2曲は博覧会用に作ったものだろうが、前の6曲が当時熊本で最も唄われていた曲だと考えられる。従って、「土手券」たちのレパートリーにも含まれていたと思われる。今日は下の2曲を聴いてみた。
東雲節
キンキラキン
「土手券」たちがどんな芸を披露していたのか、当時の芸能関係資料などから推測するしかないが、昭和10年に水前寺北郊で開催された「新興熊本大博覧会」の公式ガイドブックに、熊本の民謡として次の8曲が歌詞付きで紹介されている。
火の国小唄/五十四万石/田原坂/おてもやん/キンキラキン/東雲節/新興熊本博覧会会歌/新興熊本小唄
最後の2曲は博覧会用に作ったものだろうが、前の6曲が当時熊本で最も唄われていた曲だと考えられる。従って、「土手券」たちのレパートリーにも含まれていたと思われる。今日は下の2曲を聴いてみた。
東雲節
キンキラキン