クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

憲法記念日に想う

2008-05-03 07:46:18 | Weblog
僕はこのブログでは、政治的な記述は、意識して避けて来た。しかし、今日は憲法記念日である。憲法改正の動きが、加速している。僕は憲法第9条、戦争放棄の条文は変えてはならぬと思う次第だ。
僕は戦後第1世代・団塊の世代である。生まれたのは、東京世田谷の代田と言う町である。生まれた家は、何の縁戚もない2家族が、1枚の襖を隔てただけで同居していた。台所も便所も一緒の生活で、プライバシー等微塵も無い。30~40代の夫婦が良く我慢出来たと思う。僕は同居していた年寄り(60代)の夫婦を、実の祖父母と思っていた。便所に入ると、天井も床も焼夷弾で焼けた穴が開いており、風呂場は焼けたトタンが張ってあるだけだ。米は勿論パンも配給で、7歳年上の姉に手を引かれ、パン屋に並んだ事を憶えている。子供のおやつは蒸かし芋か配給の乾パンであった。たまに大切な来客があると、寿司の出前を頼んだが、握り賃の他に、米も渡していた。子供の口に寿司は超贅沢品で、年に1、2回しか口に出来ぬ食べ物であった。寿司を取ると、僕達は襖の隙間から覗き、残してくれるのを待っていた。父は子供の好きな、卵と海苔巻きを残してくれた。今でも僕には、寿司は贅沢品との思いが強くある。
着る物は、父の知人の子供のお下がりで、ズボンに穴が開けば、母がミットのような当て布で繕ってくれた。他人との同居は、僕が4歳になる迄続いた。周りに住む人々の結束は強く、母が寝込むと、隣近所からおかずの差し入れはしょっちゅうあった。今は梅の名所となった羽根木公園も、当時は根津山と呼ばれ、防空壕の後が幾つも開いていた。
戦争は人々に悲惨な生活を、長い間強いる。絶対にしてはならぬ。号令を掛けている連中は、旨い物を喰らい、贅沢な暮らしを保っているが、庶民は家族と分かれ、命を落とし、住む家を失い、満足に食べ物を手に入れられぬ。ワン・ニャンとて同じだ。人々にワン・ニャンに目を向ける心の余裕が無くなり、満足な食事を与えられなくなる。
後期高齢者医療制度、これは何なのか。今その対象となっている方々は、プライバシーも無い家に住み、空きっ腹でも働き続け、今の日本の礎となった、我慢の生活をおくってこられた。これらの方々にまた我慢をさせる。許せない政治だ。国民の生活に少しも目を向けぬ政治。一部の利権者だけが得する政治。人々の心は荒む。故に、虐待、いじめ、自殺と命を大切にしなくなる。はけ口は、花壇の花をへしり折、ワン・ニャンへの虐待と繋がる。
今日の写真のように、幼子とニャンコが楽しく遊ぶ姿を、何時迄も見続けられるように、憲法第9条、戦争放棄は守らねばならぬ。