クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

ネコの額と言うけれど

2009-11-12 05:35:00 | ネコ
狭い事の代名詞に、ネコの額と言う言葉が使われる。クーと暮らすようになってから、この言葉に疑問を持つようになった。
確かにネコの顔は犬に比べると、小さくて丸い。そして、目が大きく、顔の3分の1程ある。眉毛から耳の付け根迄の額の部分の面積は、正確に測った事はないが、以外に広く感じる。クーの場合だと、八割れの頂点から耳までは真っ黒の毛で覆われているが、真正面から見ると、乳幼児の顔のようにデコである。顔を触っても怒らぬココでチョイと測ったが、額の面積は顔の4分の1位であった。
顔を触る事はクーにはさせて貰えない。そんな事をしたら、指への本気のガブリと僕の顔へのクーパンチが同時に見舞われるだろう。
ネコの額と言うけれど、この部分も僕には可愛いのである。

許せぬ小沢一郎発言

2009-11-12 04:33:06 | Weblog
今回はネコのブログでは無い。
我ブログでは政治的な発言は慎んで来た。しかし、僕の根源的信条(イデオロギー)に関わる事項故、あえて発言するものである。
11日の朝刊及びインターネットニュースで、民主党幹事長小沢一郎が、10日に高野山を訪れ、日本仏教会会長と会談後記者団に「キリスト教は非常に排他的で、独善的な宗教である」と語ったとの報道が流れた。僕はこのニュースを読み、一人のキリスト教徒として、腹が煮えくり返る程の怒りが湧き上がった。小沢はキリスト教の本質を理解せず、偏見のままに発言したのか、仏教会への胡麻擦りでの発言かは分からぬが、公党の幹事長として許す事は出来ぬ。
日本人は宗教的な信念の希薄な民族である。しかし、世界では宗教イデオロギーの対立で、今もパレスチナ戦争のような対立が起こっている。日本も戦前は宗教統制国家であり、その結果太平洋戦争を引き起こし、原爆を投下させられたり、多くの国民が犠牲となった。その反省で国民は、互いに宗教的信条の違いを認め合い、平和国家建設に努力して来たのである。小沢発言を突き詰めると、宗教的信条が違う人を排斥・弾圧し、戦前のような思想統制に行くのではないかと危惧する。日本人キリスト教徒では、大平正芳氏が首相になっている。自民党幹事長時代の氏と礼拝を共にし、歓談した事があるが、温厚な紳士であり、気さくな方であった。
今、地域の宗教者は信条の違いを乗り越えて、手を携えて平和国家建設の為に祈っている。昨年の11月22日東京・世田谷区代沢の日本聖公会東京聖三一教会では、キリスト教、仏教、神道、イスラム教の聖職と信徒が集い世界の平和を祈った。写真は十字架の前で舞う巫女さんである。
このように庶民達は一生懸命に互いを認め合って祈っているのに、友愛を御旗とする政党の幹部が、信条的に合致しない宗教を人々を排斥しようとする発言をするのは全く解せない。
僕は小沢一郎が10日の発言を撤回し、世界中のキリスト教信徒へ陳謝しない限り、この政党と内閣を支持しないだろう。