雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

カワサキ単車の昔話-77

2007-11-09 04:49:43 | M/Cレース
昨日、「カワサキ単車の昔話」はちょっとご無沙汰である。どうも書く気になれないのである、などと書いた。

それなのに、今77話を書こうとしている。懐かしい連中に会ったら、気が変わったのである。


Z1会の今年最後のゴルフがあった。
秋晴れの晴天に恵まれて、8組いつものように賑やかなゴルフだったが、今回は私が推薦した、歳森康師君も初参加であったし、同じパーテイには金谷秀夫君や大西、西海君といった創生期のカワサキのレースなどに関係した人たちがいて、昔話に華が咲いたのである。

歳森は天才肌のライダーだった。当時の山本隆、星野一義などとともにカワサキ赤タンク最盛期を支えたライダーである。
16歳で契約しモトクロスで山本とともに活躍していた。

カワサキが鈴鹿のロードレースに始めて正式にエントリーしたのはアマチュア6時間耐久なのだが、その時歳森がパートナーに選んだのが金谷だったのでである。
メンバーを決めるときに、歳森が私に「ロード、早いのが木の実にいるけど連れて来ていいですか?」と聞いてきたのである。
これが金谷の初レース、契約もないままのカワサキでのデビューであった。
金谷ははじめから、早かった。そしてその後正式に契約することになったのである。契約を担当していたのが私である。まあそんな仲である。


250A1の名神のテストで「ミッションが焼きついて」と言う有名な話がある、その焼きついた車に乗っていたのが金谷である。
「流石金谷だ。後輪ロックのまま転倒せずに」と言う話は何度か聞いていた。

その昔話が出た。そのテストに同行していたのが西海君で金谷の直ぐ後ろを走っていたと言うのである。これは、はじめて知った。
「120キロ位でロックして、右左に流れたが転倒せずに何とか止まった]という話も目の前で実際に見た人の話はまた格別である。当時を思い出した。


三木セブンのゴルフ場にロードレースをしていたと言う人がいて、
金谷秀夫と聞いて、神様に接するような態度であった。その道の人から見ればそうかも知れない。
Wikipediaで「金谷秀夫」を検索されたら、彼がどのくらいのライダーであったかがお解りになると思う。

私が金谷のことをブログで気安く書くものだから、
そのWikipediaの記事を書いた当のご本人から、丁寧なコメントを頂いたりもした。


歳森は金谷をカワサキに結んだ男である。
彼は人をいい方向に導く運みたいなものを持っているのかも知れない。
モトクロスもロードも器用にこなした彼は一足早く4輪の世界へ転向し日産と契約した。
そして、当時まだカワサキのモトクロスをやっていた星野一義を日産に引っ張ったのである。
日本一早い男といわれた星野を4輪の世界に導いたのは歳森だとも言える。
今、星野インパルの社長をしている金子豊君も当時はカワサキコンバットにいた仲間である。

こんな有名人たちを気安く呼び捨てにして書いているのも、昔のレース時代がそのまま繋がっているからである。


二輪やレースの世界では、結構有名な人たちが集まっている、Z1会はそんなメンバーの会である。
大げさに云えば、カワサキの歴史を造り育ててきた人たちの集まりであるといっていい。
楽しいZ1会のゴルフのそんな人たちの写真を撮ってきた。

このブログを昨日アップしたら、早速60おじさんという名前でブログを出している山本隆君が早速コメントをくれた。
山本、歳森、金谷、星野みんな神戸木の実のチームメートで山本が兄貴分だった。
彼は、ゴルフを残念ながらやらないのである。今からでもやってはどうかと勧めておいた。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする