雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

市長のいない市

2007-11-13 05:06:14 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
「市長のいない市、議会のない町村だって選択肢」という「一国多制度で自治を競おう」という朝日の社説に共感した。

本当に、そのような発想でそのようにやればいいのにと思うが、とてもそのようなことに挑戦できそうな市町村は近隣に見つからない。

社説には、こんなことが書かれている。
「全国のほとんどの自治体議会で、八百長と学芸会をやっている」
片山前鳥取県知事の指摘だそうである。
議員と行政側が事前に質問と答弁をすり合わせておき、それを読み上げるだけ、そんな現状への皮肉だ。

三木市の議会を2度だけ見せて貰ったが、全くこの指摘の通りである。
「八百長と学芸会」とまでは、流石に言えなかったが、
「議会は神聖」と仰るので、「議会よりは儀会」だと感想を述べさせて頂いた。

これに反発した議会もあるそうなので、ちゃんとやっているところも中にはあるのだろうが,「うちは違う」と言い切れる議会は全国にどれだけあるのか、と社説は言っている。


この1年、市に関係する方たちとも面識が出来て、議会に出席される方々でこのブログをご覧になる方も居られると思うのだが、
このような議会になる責任は、市側に多くあるのだとは思うが、質問に立つ議員のほうも、どう見ても迫力に乏しいのである。

議会で発言される方が、市側も議員さんも、
自分の言葉で、自分の思うことを、自分の思うとおりに、率直に言っていないのである。
少なくとも、私にはそう感じられるし、間違いなくそうである。

議会で発言される方のうち、直接お話をしたこともあるので、その方たちがどんな方なのかはよく解っている。
「その方の良さ」が、議会では全然発揮されていないと思う。

だから、学芸会になってしまうのだと思う。

改革に目覚めた議員が増えてはいるが、議会への住民の視線はまだまだ冷たい。この現状を改めたい。と社説では言っている。



ここまでが、社説の導入部である。
そのあとに、改革の実践例や、自治を向上させる仕組みの問題などに続き、
冒頭の「市長のいない市、議会のない町村だって選択肢、サラリーマンや女性が参加しやすい議会に」という「一国多制度で自治を競おう」という本論に繋がっているのだが、

とても、とても「そんなことは夢のまた夢」の現状を悲しみたいと思う。



話は変わるが、関連はある。
昨日、私が招待をしていた「やまかず」君が「ひょこむ」に参加した。解る人は解る、28才面白い青年である。
僕は一生三木にいます。市会議員が予定です。国会議員にはなりません。
きっちりとした想いをもっている。期待できそうである。



コメント (2)
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